目次

  1. 「名古屋名物・ういろう」の地位高める
  2. 「父の期待に応えたい」28歳で入社
  3. コロナ禍で立ち返った「青柳総本家とは」
  4. 自社での販路開拓を開始、1割で受注
  5. 初音ミクを表現した「ネギ味のういろう」
  6. 「ごほうび需要」開拓へ、レシピを発信
  7. ドラクエとコラボ「スライムういろう」
  8. 守りに入るのではなく変わり続けたい

 青柳総本家によると、同社は1879(明治12)年、尾張藩主・徳川慶勝から「青柳」の屋号を贈られ、名古屋市の大須で創業しました。1931(昭和6)年、国鉄・名古屋駅構内で初となるういろうの立ち売りを開始。東海道新幹線が開業した1964(昭和39)年、車内販売を許可され、ういろうの名古屋名物としての地位を高めました。

東海道新幹線の車内販売のため、青柳ういろうを積み込む様子(青柳総本家提供)

 1960~70年代には、テラスにビアガーデンのある郊外型レストラン「レストランフルール」や、当時珍しかったメキシコ料理店「メキシカンレストランフルール」、アールヌーボー調の家具でまとめた高級喫茶店「アールヌーボーフルール」(現在はすべて閉店)などを展開し、一世を風靡(ふうび)しました。

 現在の従業員数は111人。名古屋市を中心に直営店を5店運営し、愛知県内の主要駅、空港のほか、全国の百貨店などで商品を販売しています。

 稔貴さんは妹と2人きょうだい。創業家5代目で現社長の敬(たかし)さん(67)から、いつか家業を継ぐよう言われて育ちました。

 中学に入って以降、敬さんからの働きかけは減ったそうですが、青柳総本家は地元の有名企業。周りから「店を継ぐの?」とよく聞かれ、後継ぎという立場を意識せざるを得なかったといいます。ただ、稔貴さん自身には「後継者を誰にするかは社長次第。自分が決めることではない」という意識があったそうです。

幼少期の稔貴さんと父・敬さん(青柳総本家提供)

 東京の大学を卒業した後、都内の医療機器メーカーに就職。営業担当者として、ペースメーカーなどを販売しました。

(続きは会員登録で読めます)

ツギノジダイに会員登録をすると、記事全文をお読みいただけます。
おすすめ記事をまとめたメールマガジンも受信できます。