青柳総本家によると、同社は1879(明治12)年、尾張藩主・徳川慶勝から「青柳」の屋号を贈られ、名古屋市の大須で創業しました。1931(昭和6)年、国鉄・名古屋駅構内で初となるういろうの立ち売りを開始。東海道新幹線が開業した1964(昭和39)年、車内販売を許可され、ういろうの名古屋名物としての地位を高めました。
1960~70年代には、テラスにビアガーデンのある郊外型レストラン「レストランフルール」や、当時珍しかったメキシコ料理店「メキシカンレストランフルール」、アールヌーボー調の家具でまとめた高級喫茶店「アールヌーボーフルール」(現在はすべて閉店)などを展開し、一世を風靡(ふうび)しました。
中学に入って以降、敬さんからの働きかけは減ったそうですが、青柳総本家は地元の有名企業。周りから「店を継ぐの?」とよく聞かれ、後継ぎという立場を意識せざるを得なかったといいます。ただ、稔貴さん自身には「後継者を誰にするかは社長次第。自分が決めることではない」という意識があったそうです。
28歳の頃、海外の知り合いのツテをたどり、現地で働くことを考え始めます。父・敬さんの意見を聞こうと相談したところ、海外で働くことの是非とは別に、「うちに入社するなら20代のうちに来なさい」と言われました。
社会人として懸命に働く姿を見て、それなりに期待してくれたのではないか、と稔貴さんは振り返ります。当時の青柳総本家の売上は、新幹線が開通した全盛期の1964年ごろの4分の1に減っていました。それでも稔貴さんは「父の期待に応えたい」と、28歳で青柳総本家に入社しました。2017年のことです。
20代での入社を敬さんが勧めたのは、工場や店舗での勤務を経験した上で、本社の経営に携わってほしいと考えたからではないか、と稔貴さんは言います。工場で約1年働いた後、百貨店など複数の販売店で接客の現場に立ちました。自社商品を使ったスイーツなどを楽しめる「喫茶Willows」(現在は閉店)の店長も1年ほど務めました。
「現場には社歴の長い方が多く、会社に愛情を持って働いて下さっていると感じました」
入社から約2年半後の2019年10月、取締役に就き、本社で働き始めました。まもなく、新型コロナ禍に襲われます。
コロナ禍で立ち返った「青柳総本家とは」
最初の緊急事態宣言が出された2020年5月の売上は、前年同月比95%減となり、社内に衝撃が走りました。土産用菓子を中心とした品ぞろえだったため、その後も緊急事態宣言が発令されるたびに、売上が平時に比べ30〜40%落ち込みました。このままでは会社の存続さえ危ぶまれました。
状況を打開するため、稔貴さんがまず取り組んだのは、会社の歴史をひもとくことでした。
「自分は創業者ではありません。青柳総本家とはどんな会社かという軸を明確にしてから、新たな施策を打つべきだと考えました」
青柳総本家には、郊外型レストランを始め、当時としては珍しい事業に相次いで参入してきた歴史があります。稔貴さんは自社が「お客様を笑顔にする空間を提供し、挑戦し続けるベンチャーマインドを持った会社である」と気づいたといいます。
「コロナ禍にあっても、これまでにやったことのない挑戦をしよう。お客様を裏切らないものを作れば、きっと受け入れてもらえる」
自社での販路開拓を開始、1割で受注
2020年8月、中日新聞社が取りまとめる、Makuake(マクアケ)でのクラウドファンディングに参加しました。青柳総本家を含む名古屋の老舗お土産メーカー5社が商品を出し合い、応援購入してくれた人に詰め合わせを贈ります。愛知県内の観光産業を支援するため、売上の一部を寄付する試みです。
最終的に372人から約164万円が集まりました。購入者からは「厳しい状況ですが、頑張って下さい」といったメッセージが寄せられました。稔貴さんは「このピンチを絶対に乗り切らないといけない」と胸が熱くなったといいます。
次に取り組んだのが、それまで手がけてこなかった自社での販路開拓の営業です。2020年10月から、全国のスーパーに営業電話をかけ始めました。面会のアポを取り付けるため、社内にチームを作り、マニュアルも作成。1日30件ほど電話をかけていきました。
電話に出た担当者が青柳総本家や「青柳ういろう」を知っていることもありました。サンプルを送り、仕入れにつながる例もあったといいます。最終的に、電話をかけた相手の約1割から受注することができました。
和菓子業界は縮小傾向とも言われます。しかし、うまく魅力を伝えられれば、お土産以外の用途でも食べてもらえるのではないか。「ういろうは、まだ戦える」。稔貴さんはそう思いを新たにしました。
初音ミクを表現した「ネギ味のういろう」
2021年7月、青柳総本家として初となる、キャラクターとのコラボ菓子が誕生します。地元・名古屋のラジオ局「CBCラジオ」の開局70周年キャンペーンとして、オリジナルういろうを作りたいと相談されたことから始まりました。キャンペーンのイメージキャラである「初音ミク」らしさを、ういろうで表現することになったのです。
初音ミクが手に持っている定番アイテムとしてファンの間で知られるのがネギです。こうして「ネギ味のういろう」の開発が始まりました。
開発は難航したといいます。ネギの味を前面に出し、おかずのようなういろうにするのか。あるいは甘さをしっかり残し、お菓子として味わってもらうのか――。最終的に、ネギの味がほんのり漂うような商品に仕上げました。
発売後、多くの反響があったといいます。中でも稔貴さんの心が沸き立ったのは「青柳総本家のネギ味なら大丈夫」「やっぱりおいしい」という声だそうです。青柳総本家の長い歴史を通じ、味に対する信頼を積み重ねてきたことを再認識する機会になりました。
「ごほうび需要」開拓へ、レシピを発信
コロナ禍が長引く中、お土産需要の回復は見通せませんでした。稔貴さんは、顧客が自分用に購入して消費する「ごほうび需要」を掘り起こす必要性を感じていました。
そんな中、2020年10月からツイッターに公式アカウントを作り、発信を始めました。主な発信内容は、自社商品のアレンジレシピの紹介です。ういろうをベーコンで巻いて焼いたり、スコーンに挟んだり……。青柳総本家を知ってもらい、商品を自宅で食べてもらうことを目指しました。
その中で生まれたのが、ロングセラー商品の「カエルまんじゅう」を使ったレシピです。カエルまんじゅうに切れ込みを入れ、間にクリームをたっぷり挟み、当時ブームになりつつあったイタリア発祥の菓子「マリトッツォ」に見立てたものです。試作品の画像を載せたツイートは大きな反響を呼び、「商品化してほしい」という声が多く寄せられました。
「マリトッツォのブームを逃してはいけない」。そう考えた稔貴さんは、猛スピードで開発を進めます。
商品の箱は専用のものを発注せず、市販品で間に合わせました。それまでの自社商品は全て常温保存だったため、急いで各店舗に冷蔵庫を設置しました。
ういろう以外の新商品を出すのは、1989年の「カエルまんじゅう」、2012年の「青柳小倉サンド」以来初めてです。それでも開発決定から商品化まで、わずか1カ月でこぎ着けました。
2021年7月に発売すると、名古屋市内の2店舗で、1カ月のうちに1万個が売れました。現在でも購入者からの「買った」「おいしかった」というSNSへの投稿が絶えません。2022年7月には将棋の棋聖戦で、藤井聡太五冠のおやつにケロトッツォが選ばれました。
ドラクエとコラボ「スライムういろう」
ユニークな商品は他にも生まれました。ゲーム「ドラゴンクエスト」シリーズで人気のキャラクター「スライム」にちなんだ「スライムういろう」です。
2021年の年初、大手ゲームメーカーのスクウェアエニックスから開発の打診がありました。スマホ用ゲーム「ドラクエウォーク」に登場するご当地お土産を、現実世界で再現する「リアルおみやげプロジェクト」の一環でした。稔貴さんは「スライムは知名度が高く、きっと話題になるだろう。青柳総本家を知ってもらうきっかけになる」と快諾します。
ただ、開発は一筋縄でいかなかったそうです。酸味の強い原料を使う必要があり、ういろうが固まりづらい課題に直面しました。何度も試作を繰り返したといいます。
1年の開発期間を経て、2022年3月に期間限定で発売すると、オンラインでは5分で完売。店を「ドラクエウォーク」仕様に装飾した名古屋市内の4店舗には、長い列ができました。
守りに入るのではなく変わり続けたい
大学時代にはDJ用機材をそろえ、音楽を楽しんでいたという稔貴さん。老舗和菓子店の店主たちがDJとなり、音楽を流しながら各社のお菓子を無料でふるまうイベント「アンコマンないと」にも2019年から出演しています。音楽を通じ、若い世代に和菓子に触れてもらうのが目的です。
「DJには経営に通じる部分があるかもしれません。与えられた時間があって、どういうお客さんが来ているか観察し、楽しんでくれるようパフォーマンスを組み立てていく。それが好きなんです」
家業に参画して5年余り。稔貴さんが大切にしている言葉があります。”The only constant is change.”(地球上でたった1つの真実は変わり続けることだけ)というものです。
「既存のビジネスを守っているだけでは、思考停止に陥っているのと同じです」。商品とは顧客を笑顔にするという目的をかなえるための手段に過ぎない、と稔貴さんは考えます。
いま頭の中にあるのが、米粉や米を使った商品の開発です。青柳総本家のういろうには、米粉が使われています。米粉を使ったヒット商品をさらに生み出すことで、国内のコメ余りなどの課題解決に貢献したいといいます。
「来年から小さく始め、3年以内に形にする予定です。将来的には海外のお客様も笑顔にしたいです」
2022年4月には、東京・浅草寺にほど近い路地に、名古屋市外では初となる直営店を出店。人気のケロトッツォなどを求める客足が絶えません。
老舗の看板に甘えず、変わり、進化していきたい――。稔貴さんはそう考えています。