売り上げも士気も下降線だった中華チェーン テンホウ3代目の組織改革
長野県諏訪市発祥の中華料理チェーン店「テンホウ」は創業66年目を迎え、今も長野県内だけで33店舗を抱えています。創業者の孫で3代目社長の大石壮太郎さん(50)は、下がっていた売り上げと従業員の士気を高めるため、評価制度の導入や経営理念の策定を進め、反転攻勢のための組織改革に成功しました。
長野県諏訪市発祥の中華料理チェーン店「テンホウ」は創業66年目を迎え、今も長野県内だけで33店舗を抱えています。創業者の孫で3代目社長の大石壮太郎さん(50)は、下がっていた売り上げと従業員の士気を高めるため、評価制度の導入や経営理念の策定を進め、反転攻勢のための組織改革に成功しました。
長野県内だけでチェーン展開するテンホウは、地元では気軽な食堂として愛されています。特に餃子が人気メニューで、シナモンや八角などを加えたオリジナルのものを年間200万食製造しています。
テンホウは自社工場と各店舗のオープンキッチンで調理を分担し、品質向上と効率化を図っているのが特徴です。
餃子は290円(税込み)、しょうゆラーメンは480円(同)という手頃な価格帯も、長野県民に長く親しまれる理由です。
テンホウの発祥はかつて上諏訪駅のそばにあった温泉旅館「天宝 鶴の湯」です。大石さんの祖母百代さんが女将を務めていました。昭和20~30年代にかけて上諏訪地方に次々と旅館が建てられる中、百代さんは旅館業の継続に危機感を覚えました。
そこで料理修業に赴き、東京・新宿の中華料理店で無給で働きながら、餃子やチャーメン、タンメンのレシピを身に付け、諏訪に戻りました。諏訪では新しかった餃子は人気商品に。旅館は餃子を目玉にした「天宝 鶴の湯 餃子菜館」へとリニューアルし、繁盛店となりました。
1973年、「餃子菜館」を引き継ぐ形で、百代さんの息子で大石さんの父孝三郎さんが、テンホウの運営会社「テンホウ・フーズ」を創業。初代社長に就きました。ここから「どうせやるならでっかくするぞ」とチェーン化を図ります。
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父が社長になったのは、大石さんが1歳のころでした。「小さいころから家には従業員の方が多く出入りしてにぎやかでしたね」
しかし、作ったばかりの工場が全焼したり、お金がなかったり、従業員が集まらなかったり。法人化当初のテンホウには多くの苦難があったようです。
「朝から晩まで働いていた父とのプライベートな思い出はほとんどありません。高校くらいまで話すことも少なかったですが、そういうものかなと思っていました。それでも年に一度は家族旅行で海に行きました」
中学3年になり、大石さんは受験勉強に励みましたが、将来の進路は特に決まっていませんでした。父はそんな息子を心配し「継がなくてもいいから好きなことをやれ」と伝えました。
それまでは漠然と「将来は家業を継ぐのだろう」と思っていた大石さんですが、継ぐことを意識しはじめ、将来を見据えて進路を設計しました。
そして大学卒業後、家業に役に立つ仕事を経験したいと東京で就職活動をします。当時はバブル崩壊後の就職難で、50社ほど受けてもなかなか内定に至らず、最終的には個人店のコンビニの売り場作りを行う問屋に就職しました。「店主さんから信頼を得て一緒に売り場づくりをやっていく仕事は、その後の人生に大変役立っています」
東京で3年ほど働いた後、「そろそろ戻ってこないか」という声もあり、諏訪へとUターンしました。
最初は現場で接客や調理を覚えるところからスタート。しばらくして、新業態として始まった焼き肉店に入るために知り合いの店で修業しながら、テンホウの全店舗を回りました。
そこで目にしたのは荒れた状態の家業でした。
「父は祖母に似て事業欲が旺盛で色々なことに挑戦するタイプでした。でも、すべてがうまくいっているわけではなく、赤字になっている事業もいくつかあったのです。売り上げも下降線をたどっており、従業員の士気も低くなっていました。飲みに行けば会社の愚痴や文句ばかり言う人もいて、仕事って本来は楽しいもののはずで、これは変えないといけないと思いました」
「テンホウは良かった時代が長かったので、そこであぐらをかき、多くの従業員さんはてんぐになっていたのだと思います。お客さんの方を見て仕事をしていなかったのでしょうね」
社長の父は、更なる会社の発展を考え、自分は商品開発とテスト販売でお店に出ることに専念。社長の仕事を叔父で専務だった遠藤克美さんに譲り、経営をバトンタッチしました。
父は「先代」と呼ばれるようになり、専務はそのまま「代表取締役専務」として代表権だけ引き継ぎます。「ずっとみんなにそう呼ばれてきたから変えない」とのことでした。
引き継いだ遠藤さんは、まず不採算事業を閉じたり、増えすぎた固定費を削減し始めたりするなどの社内改革に着手。同時に新規出店も意欲的に進めていきます。大石さんも創業家の一員として手伝いました。
大石さんが取り組んだのは、評価制度と経営理念の策定でした。このころ「勉強が足りない」と思い、中小企業大学校に数カ月通いました。その中に評価制度を作る講座があり、学んだことを現場に導入しました。
「具体的には、新入社員、社員3年目、店長、部長などのクラス別に『やってほしいことリスト』を作り、自ら評価して半年ごとに直属の上司と面談するという仕組みになります」
勤怠、調理、品質、接客、クリンネス、日々の業務内容、育成指導などの項目において、クラス別に発揮して欲しい業務レベルをリストで定義しました。例えば、以下の内容になります。
接客:接客は明るく笑顔で、はきはきとした対応をしているか?
調理:盛り付けは迅速かつ丁寧に行われ、見た目もきれいに行われているか?
育成:マニュアルを順守し、それ以上の価値をお客様に提供できるよう、楽しめるよう伝えてきたか?
期首に定めた目標に対する達成度を自己採点し、上長と面談をして評価を決める。多くの企業が採り入れている制度です。
制度導入前は年功制のように給料が決められ、不公平感もありました。しかし、新制度が導入されることで、給料が下がる人もいるのではないでしょうか。
「給料よりも、仕事の基準をみんなが理解できるようにしたかったのです。自分が『できている』と思っても、人から見てできていないと評価できないし、その逆もあります。そして、会社の目標をみんなで共有することが大事な点だと思っています」
会社としての目標の共有から、組織改革が始まったのです。
経営理念も1988年に作られた「豊かさの実現」が壁に貼ってあっただけで、形骸化していたといいます。大石さんは社員一人ひとりに会って、豊かさとはなにか、どんな会社になりたいかを聞き出し、2007年には「豊かさの実現」と題して次のような経営理念をまとめました。
「テンホウにかかわる全ての人が、この仕事や人を通じて、人生を最高に豊かで幸せなものにする」
これはテンホウが目指す共通目的で「何のために働くのか?」という問いへの答えとなるものです。この理念を実現するために、健康、心、人、趣味、お金にフォーカスした「5つの豊かさ」も定めました(画像参照)。
「テンホウは老舗企業を目指しています。例えば京都で100年続くような会社からも勉強させてもらっていますが、時代が変わり、やっている商売が変わろうが、変わらない理念を伝えていくことが大切だと思っています。誰かに言われたからやるのではなく、なりたい姿に向かって頑張れる。その想いで理念を作りました」
この中で一番重要なのは「心の豊かさ」といいます。そして、テンホウの使命を「全ての顧客、取引先、従業員同士、家族、応援者、地域社会に喜ばれること」と定義しています。
改革を行う中で、叔父の遠藤さんは調理技術や接客力の向上などを行い、大石さんは店長への権限委譲や自主的に考え実行できる体制づくりを進め、会社の雰囲気も徐々に変わってきました。
そして、ある店舗がやる気を出し、経営理念が作られた翌年の08年には前年比で売り上げ138%増という数字をたたき出したのです。
「それまでどの店舗にも諦めの空気がありました。やればできると分かったら他の店舗も頑張り始め、みんな業績が上がり始めました」
まさにブレークスルー。その要因は何だったのでしょうか。
「目的や会社がどこに向かうかを、評価制度や経営理念で伝えたことで仕事の進め方が変わり、それが結果としてお客様に伝わったからだと思います。ただ言われたことをやるだけではなく、社員それぞれが自主的に考えて動くようになったことが大きいと思います」
しかしながら、組織改革には痛みも伴いました。途中から入ってきた大石さんがベテラン社員の上司になることもあり、何度も衝突があったといいます。
「『なぜ従わなければならないのか?』と思われたり、『お前のために働いているわけじゃない』『全員お前に反対しているよ』と言われたりすることもありました。自分が若く至らない点もあったためとも思いますが、途中から入ってきた人がいきなり上司になることの難しさが、10年くらい続きました」
大石さんは11年に3代目社長に就任しました。粘り強く改革を進める中で、父や叔父とは違ったやり方を模索しました。
「父や遠藤さんと同じように指示と命令で会社を動かすのは無理だと思っていました。社員自らが僕ら経営陣が思っている方向に進むにはどうしたら良いのかをずっと考えた結果、理念を整理して伝えることや、意見を聞き出して人に任せることにつながりました」
先代の父と自分とのアプローチの違いを、このように例えます。
「先代は自ら突っ走って仕組みを作る短距離走。対して僕らはたすきを次の世代につないでいく駅伝です」
発想力と行動力で会社を大きくした先代社長の父が社長業から退き、叔父の経営へと移り変わっていく中で、共に経営に関わることになった大石さん。改革、改善を進め、企業理念を作り、スタッフの自主性を引き出し、「言うこと聞け」と無理やりやらせるのではなく、考えさせ楽しませることで、業績の回復に成功しました。それは、父とは異なる経営方針だったのです。
※後編では、コロナ禍の逆風に立ち向かうチャレンジや「美味しすぎるものを作らない」というこだわり、立ち上げた評価制度をあえて廃止した理由について迫ります。
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