目次

  1. ねじ作りの工具でシェア5%
  2. 「道楽娘」と思われて
  3. 「私にできることを」と5Sに着手
  4. 清掃活動を自ら率先
  5. 課題だった不良率が改善
  6. 「ドクターセールス」で営業強化
  7. 無形資産の5Sも目指して
  8. 「三方よし」の経営を未来へ

 1923年創業の田野井製作所は、ねじを作る工具の製造を手がけています。田野井さんは2013年、父の後を継いで社長になりました。

 ねじを入れる穴にねじ山を作る工具が「タップ」で、主に工業製品メーカーに販売しています。ねじとなる金属の棒にねじ山を作る工具が「ダイス」で、こちらはねじメーカーが使用します。

 タップとダイスの国内シェアは、工具の総合メーカーが7割弱を占めるなか、田野井製作所も約5%を持っています。専業メーカーとしての高い品質と技術力が、自動車業界を中心に支持された形です。埼玉県と宮城県に工場があり、2024年8月末時点の社員数は132人。年商は約13億5千万円で、コロナ禍前の9割ほどに戻りつつあるといいます。

田野井製作所の主力商品「タップ」。タップは超硬合金やハイスピードスチールでできた棒状の金属に、切削や研磨などの加工を施して作ります(田野井製作所提供)
田野井製作所の主力商品「タップ」。タップは超硬合金やハイスピードスチールでできた棒状の金属に、切削や研磨などの加工を施して作ります(田野井製作所提供)

 田野井さんは4人きょうだいの2番目として生まれました。海外にあこがれ、高校卒業後はカナダの語学学校を経て、米ロサンゼルスのビジネススクールで学びました。楽しい留学生活を送っていた1998年ごろ、社長だった父から「大口の取引先が倒産した。留学費用を出せなくなるかもしれない」と電話で告げられます。

 「留学が当たり前ではないことに気づかされました。社員やお客様あってこその会社であり、私も留学させてもらっているのだと。幸い留学は継続できましたが、『私も会社の役に立ちたい』と思うようになり、卒業後、家業へ入ることにしました」

 田野井さんは2002年、田野井製作所へ入社し、同じ時期に弟たちも入りました。海外部に配属された田野井さんは、当時のことを「今では笑い話」と振り返ります。

 「社長の娘である私は『アメリカで遊んできた道楽娘』と思われ、歓迎されていないと感じたこともありました。用意された席が、部署の他の社員とは異なる向きで、私だけ壁側を向くようになっていたのです。最初は仕事もなかなか与えてもらえず、午後は壁に向かって眠気と戦う日々でした」

田野井製作所のオフィス棟
田野井製作所のオフィス棟

 田野井さんは持ち前の明るさで「何か仕事はありませんか。雑用でも何でもやります」と部内で声をかけ続けました。すると海外駐在から帰任して間もないベテラン社員から、海外取引の入金と売掛金の額をひもづける作業を任されます。売上計上の不備を発見するなど、目の前の仕事にコツコツ取り組むうちに、少しずつ社員との距離が近づいていきました。

 一方で田野井さん自身は、父の後を継ぐのは兄か弟だろうと思っていました。それが変化したのは2005年ごろだと話します。家族の集まりで食事をしたとき、父が何げなく4きょうだいに声をかけたのです。

 「このなかで、誰が一番社長に向いていると思う?」

 田野井さんは驚きました。技術担当の兄や、製造と営業を担当する弟、管理部門を担当する義妹たちから、「社長は優美ちゃんでしょ」と、口々に田野井さんを推す声が出たからです。この会話を機に「後継ぎ」を自分ごととして考えるようになりました。

 田野井さんは母から勧められたホッピービバレッジ社長・石渡美奈さんの本をきっかけに、経営者や後継ぎ向けの外部セミナーに通い始めます。そして2009年、父から副社長に任命されました。

 それまで海外部の主任だった田野井さんは33歳。製造・技術・営業・管理の統括を任されたものの、「正直、何をしたらいいのかわからなかった」と振り返ります。

 「経営者向けの研修でも、はじめは決算書の読み方もわからずに猛勉強しました。中小企業の後継ぎが受講者に多くて相談しやすかったのと、講師も『学んだことを、最初から全部やろうとしないように。自分にできそうなことから、少しずつやってください』というスタンスだったのが助かりましたね」

 田野井さんが「私にできることは何だろう」と考え、着手したのが5S(整理・整頓・清掃・清潔・しつけ)の徹底でした。

 5Sは製造業の基本です。それでも、改めて徹底しようと決めた背景には、入社当時の驚きがありました。

 「入社時の第一印象は『暗い』と『モノが多すぎる』でした。タップやダイスの品質や技術力が評価される一方、工場は床が油でベタベタしていて、工具があちこちに散らばっていました。滑ってケガをするリスクや工具を探す手間が、業務効率や品質に影響していたのです」

 「さらに倉庫や発送スペースには、いつからあるのかわからない物がうずたかく積まれ、窓をふさぐほどでした。窓がふさがれると職場が暗くなり、社員の士気も下がります。5Sなら、技術畑ではない私にもできることがあると考えました」

 田野井さんは父とも相談し、全部署で始業後の20分間を、清掃や整理整頓といった環境整備にあてることに決めました。各部署で環境整備の計画を立てて実行し、管理職と共に毎月点検する仕組みにしたといいます。

 「当初、社員たちは『業務時間内の仕事の一環とは言え、なぜこんなに面倒なことをやらないといけないのか』と感じていたと思います。反発して退職した社員もいたほどでした」

 そこで田野井さんは、自身が率先して5Sを推進すると決めます。埼玉や宮城の工場、名古屋市と広島市の営業所に出向いて、清掃活動に参加しました。「社員の顔と名前を覚えたかったこともあり、たわいのない話もしながらコミュニケーションをとっていきました」

 整理は「いるものといらないものを明確にし、いるものを必要最小限まで絞り込み、残りは捨てる」、整頓は「モノの置き場を『常時』『随時』『一時』で決め、名前や数字をラベリングして管理する」と定義。すると、職場内は徐々に不要なものがなくなり、スッキリしていきました。

 それまでは「まとめて購入した方が安いから」と、消しゴムが数十年分もある状態でした。それが、整理整頓の徹底で必要な物をすぐ取り出せるようになったのです。物が減ったことでスペースが生まれ、作業性も向上。何より、社内の雰囲気が明るくなったといいます。

整理整頓が行き届いた棚
整理整頓が行き届いた棚

 さらに、毎月の環境整備点検の評価内容のスコアを集計し、上位のチームに食事券や賞金を贈る制度も作りました。「賞与の評価とも連動させ、チームでも個人でも頑張った人が評価される仕組みにしました」

 手順書通りに仕事ができているかなどを確認する「品質整備点検」も定期的に行うようにして、課題だった製品の不良率がパーセンテージで2ポイント改善しました。

工場見学も積極的に受け入れています(田野井製作所提供)
工場見学も積極的に受け入れています(田野井製作所提供)

 5Sが行き届いた工場には、社外からの見学も増えました。営業部のメンバーが、取引先の商社やユーザーに「うちの工場を見に来ませんか」と声をかけたからです。

 田野井さんは「お客様に紹介したくなるほどの強みにまで育ったのだと胸が熱くなりました」と話します。

 2024年からは、毎月、「工場見学日」を設定して工場見学ツアーの受け入れを始めました。「見てもらうことで、社員たちにもいい刺激になっています」

 5Sの浸透や品質改善は、「会社の方針に従って確実に仕事を進める」という組織風土づくりにもつながりました。創業90年を迎えた2013年、社長に就任した田野井さんは、副社長時代から経営計画書を策定して経営方針や施策を全社員と共有。その施策の一つに「値決めルールの明確化」がありました。

 「うちの製品は高い技術力と品質が強みですが、競合他社との兼ね合いもあり、営業スタッフがついつい値引きに走る傾向がありました。それを『一定の値引き率を超える場合は社長決裁とする』と明記し、値引きに頼りすぎない営業体制を構築したところ、粗利率が10ポイント改善しました」

 値引き以外の営業力として田野井さんが着目したのが、父の代から始めた独自の「ドクターセールス」の強化です。製品を売るだけでなく顧客の困りごとを聞き、真の課題解決につなげるソリューション営業スタイルでした。

 例えば、「タップの寿命が短い」と悩む顧客に、競合他社の製品から田野井製作所の高品質で長寿命のタップに切り替えてもらったことがありました。

 確かに寿命は延びましたが、顧客の課題を丁寧に深掘りすると、「寿命が延びても、作業で発生するバリを取り除くのは引き続き手間がかかる」というつぶやきが聞こえました。

 「そのお客様の真の課題が、生産性の向上も含めたコストダウンであることがわかりました。そこで、長寿命タップよりも寿命は少し短いものの、従来品よりも寿命が長くてバリも除去できるタップを提案しました」

シームレスタフレット(田野井製作所提供)
シームレスタフレット(田野井製作所提供)

 ドクターセールスを通じて提案した商品の一例が「シームレスタフレット」です。ねじ山の山頂部分にできる継ぎ目(シーム)を除去することで、異物混入や締め付け不良を解消できます。

 バリを除去できるタップの採用によって、顧客にとっては従来のバリ取り作業が減り、目視検査の時間も短縮されたといいます。「生産性の向上とコストダウンへの貢献ができました。お客様の要望の一歩先をいく提案ができたのです」

 製品力も営業力も強化した田野井製作所ですが、ドクターセールスは自社製品の売り上げにつながらないこともあるといいます。

 「お客様の課題解決のために、競合他社の製品が適していると判断した場合はそちらを薦めます。ドクターセールスでお客様の困りごとの原因が、タップ以外の部品にあることが判明するケースもあります」

 現時点は、製品しか売り上げの手段がなく、「お客様の課題解決につながればいい」と田野井さんは話します。

 しかし将来的には、ドクターセールス自体で対価を得られないか、模索しているといいます。

 「機械や設備の保守点検時の出張調査費のようなイメージを描いています。ただし私たちはまだ、お客様にそれを提案できる状態にはありません。ドクターセールスで蓄積されたノウハウの整理や、社内共有が不十分なのです。無形資産の5Sのような取り組みを進め、形にしていければと思います」

田野井さんが目指すのは「三方よし」の経営です

 経営において田野井さんが日々持ち続けるのは、「それは三方よしなのか」という問いです。

 「副社長に就任したとき、『社員の給与を倍増させたい』と決意しました。まだまだ道半ばですが、利益の3分の1は社員に還元し、残りは将来への投資と、非常時に備えた内部留保にすると決め、それを実行し続けてきました」

 「取引においても、私たちだけにメリットがあってもだめだし、取引先だけに利益がもたらされる形態では長く続けられません。三方よしのものづくりと人づくりを誠実に推し進め、未来につながる経営を実現し続けたいです」