西ざわ笑店のルーツは、明治時代に伊賀市内で創業した西澤精肉店(現在は廃業)にまでさかのぼります。精肉店の三男だった西澤さんの祖父が1957年、店の片隅でコロッケを売りはじめ、1975年に「西澤のコロッケ」として独立しました。伊賀牛を甘めに味付けした手づくりコロッケやメンチカツは、学生のおやつや夕食のお供として愛され、伊賀のソウルフードのような存在となりました。
2011年、父の高広さんが伊賀市内の別の場所に「西ざわ笑店」を開店。店の名前には日々笑顔でいたいという思いを込めています。2店舗でコロッケを中心に揚げ物の販売を続けましたが、祖父母の店は2019年に幕を閉じ、現在の西ざわ笑店のみになりました。2023年には「肉笑」として株式会社化。代表を高広さん、専務を西澤さんが務め、母親も加えた3人による家族経営です。
3人きょうだいの長男である西澤さんは、子どものころから事業の変遷を肌で感じてきました。周囲から後継ぎとして期待されましたが、「コロッケ店だけは継ぎたくないと思っていました。大変なのを見ていましたから」。
幼少期から店のコロッケはあまり食べなかったそうです。「当たり前すぎて、いつでも食べられるから」と笑います。高校生になって進路を考えはじめたとき、家業が頭に浮かびました。
「進学、就職などの選択肢があるなかで、特にやりたいこともなくて…。でも、なぜか精肉店には興味を持てたんです。なんとなく身近だったのでしょうね」。自分でどこかへ勤めたり、新たに店を開いたりするより「家業があるのだから、そこでやったほうがいい」と考えました。
家業の道を歩むと決めた西澤さんは、コロッケ店に精肉事業を加えれば、客単価も売り上げも伸びると考えました。高校卒業後は三重県伊勢市の精肉店へ就職し、朝から晩まで肉をさばきました。「しんどかったですが、伊賀で精肉店を開くという目標があったので頑張れました」
18歳から約2年半、正社員として勤め、2020年に伊賀へ戻ります。そこから家業を手伝いつつ、伊賀市の隣にある三重県名張市の精肉店でさらに1年間修業を積みました。
技術と知識の総仕上げとして、群馬県の公益社団法人・全国食肉学校でも3カ月間学びました。「食肉の知識や技術が再確認でき、食肉業界に関わる仲間ができたのも収穫でした」
在学中には、同校も運営を担う資格試験「お肉検定一級」にも合格。精肉のプロとして家業を継ぐ準備は整いました。
コロッケや総菜の販売に限界
そのころの西ざわ笑店は、コロナ禍による売り上げ減からの回復を目指し、父の高広さんが試行錯誤していました。実店舗でのコロッケや総菜の販売に加え、産直市場にも出荷しましたが、2011年の開店以降のピーク時と比べ、売り上げは40%以上ダウンしていました。
2022年には、祖父母が営んでいた店の敷地に、冷凍コロッケの自動販売機を設置しました。珍しさもあって話題を呼び、設置当初は1日1万5千円程度の売り上げがありました。高広さんは「1カ月もしないうちに設備投資のもとはとれました。人件費もかからず、24時間販売できるので、導入してよかったです」と言います。
一方、高広さんは単価の低いコロッケや総菜だけの販売に限界を感じ、息子が始める精肉事業に大きな期待を持っていました。
西澤さんは「具体的な経営状態は知りませんでしたが、厳しい状況はなんとなく感じていたので、そのままコロッケ店を継ぐのではなく、精肉店を早くはじめたいと思っていました。不安より、今しなければという気持ちが勝りました。父はコロッケ、母が総菜、僕が精肉を担当する形で、リニューアルの準備を進めました」。
一筋縄ではいかなかった仕入れ
精肉を扱うにあたり、最大のハードルは肉の仕入れ先の確保や競合との差別化でした。
山間部にある伊賀地域は古くから牛肉を食べる文化が根づき、伊賀牛専門の精肉店が数多く軒を連ねています。お盆や年末には、お気に入りの精肉店の前に行列ができる激戦区です。
伊賀市内には伊賀牛の牧場も複数あり、精肉店が直接牧場へ出向いて牛を見て、1頭買いをする「生体取引」という全国でも珍しい流通スタイルです。精肉店と生産者が一緒にブランド牛を育てる文化があり、上質な肉を安定的に販売し、そのほとんどが地元で消費されるため「幻の牛」とも呼ばれます。
そんな歴史があり、関係性ができ上がった業界に、西ざわ笑店は新規参入することになりました。特に仕入れ先に関しては一筋縄ではいきませんでした。「仕入れ先がなかなか確保できず、オープンができないかもしれない。このころがいちばん不安でした」。父の高広さんと手を尽くし、最終的には修業時代を過ごした名張市の精肉店が牧場を経営していた縁で、仕入れ先を確保できました。
4千万円を投じてリニューアル
2023年11月、西ざわ笑店は店舗を全面リニューアルし、コロッケと総菜に加え、精肉の販売も始めました。
西澤さんがターゲットに据えたのは、精肉店で肉を買うことに慣れていない若い世代です。
「歴史ある精肉店と勝負しても勝ち目はありません。せっかく新しく始めるのだから、伊賀にはまだない、精肉店っぽくないデザインにして、厳選した伊賀牛をカジュアルに買いに来てもらいたいと思いました」
リニューアルした店で目を引くのは店構えです。若い世代に親しまれるよう、カフェかパン屋を思わせる洋風の雰囲気にしたいと、デザイナーにイメージを伝えて形にしてもらいました。
自身の髪もピンクに染め、型にとらわれない空気を出すようにしています。「髪の色は親からの反対もなく自由にさせてもらっています。時代背景もあるためか、お客様からマイナスの反応を頂いたことはないです。むしろきれいな色とほめてくださり、顔を覚えやすくなったという、うれしい反応があります」
リニューアルにあたり、店舗の改装、冷蔵ショーケースなどの設備、梱包材などで4千万円の初期投資がかかりました。当初は国の事業再構築補助金を使う予定で事業計画を立て、申請は通ったものの、工期が間に合わず、全額自己負担となりました。父高広さんが銀行へ走り、事業計画を縮小することで融資をとりつけたそうです。
商圏の全国拡大を目指して
西澤さんは伊賀牛の商圏を地元だけでなく、全国へ広げようと考えています。贈答や取り寄せなどを視野に入れてホームページを整え、ネットショップも開きました。ロゴは西澤さんが好きなバラの花と牛をモチーフにしました。包装紙や贈答用の木箱にも印刷し、統一感のあるブランドイメージに仕上げました。
「普段から気になったロゴや、印象に残ったデザインを業種を問わず日々集めています。それらを参考にイメージを固め、デザイナーさんに発注しました」
イメージ通りの店ができましたが、「肉屋と気づいてもらえない(笑)」というのが今の悩みです。「まだまだ周知が必要で、インスタグラムでの発信や、のぼりを立てたり、地元の祭りやイベントなどにも積極的に出たりして、まずは存在を知ってもらえるようにしたいです」
「肉カフェ」ランチで広げる間口
リニューアルから半年が過ぎ、売り上げは以前の1.5倍にアップしましたが、目標である3倍には達していません。
そこで、店内に西澤さんが一人でオペレーションできる規模のカフェをつくることを考えました。2024年5月から店内に「肉カフェ」を併設し、飲食営業を始めました。「飲食で間口を広げて精肉店のことを知ってもらえたら、来店しやすくなると考えました。宣伝のつもりでランチはお値打ち価格で提供しています」
祖父母の旧店舗を専用の「生食用処理施設」にすることで、保健所から生肉の販売の許可を得ました。肉を扱うときは専用器具を用いて、加工に使用する肉塊は容器包装に密封し、肉塊の表面から1センチ以上の深さまでを60度で2分間以上加熱殺菌するといった基準を厳守しています。
処理施設で加工した伊賀牛ユッケを店舗で販売しており、伊賀牛のユッケランチ(1480円)として提供しています。販売する際は食中毒などの注意喚起なども行っています。
ユッケには伊賀牛の希少部位であるイチボと、自家製の韓国風タレ、伊賀産の卵黄を使いました。「1480円が採算ギリギリの値段です。ほぼもうけはありませんが、この味をまず知ってほしいです」
ほかに伊賀牛すき焼きランチ(1480円)や、自家製レトロプリン(680円)なども用意しました。まだまだ利用者は少ないといいますが、「自分と同じくらいの年齢層や、スーパーでパックのお肉しか買ったことないお客様も来てくれました」。
食を通じて伊賀の魅力を
西澤さんは、仕入れた肉の加工からショーケースの陳列、販売、そして肉カフェ営業まですべて担当しています。
「お客さまと会話をしながら、一般的にはあまり知られていないおいしい部位や、調理方法、お肉の楽しみ方を伝えていきたい」
家業の歴史をつないできたコロッケと総菜に、西澤さんの伊賀牛への思いが重なり、新しい「西ざわ笑店」が走り出しました。
「父からは基本的にやりたいようにさせてもらっています。就職するのも、ゼロから店を立ち上げるのも大変ですが、うちには家業がありました。そのベースを引き継ぎながら、自分のやりたいことを実現したいと、挑戦しています。せっかくの自営業なので、周りの意見に流されるより自分のやりたいようにしていきたいです」
挑戦はスタートしたばかりですが、西澤さんの言葉からは、過疎化が進む地域への熱い思いがほとばしります。
「食を通して伊賀の魅力を伝えていきたい。僕らのような若い世代が頑張ることで、何かが変えられるかもしれないと思っています」
次代を担う3代目は、さわやかな笑顔で今日も店に立ちます。