受注の波を経験した精和工業所 対策はデジタル化・出汁サーバー・うどん
杉山忠義
2024.09.13
(最終更新:2024.09.13 )
主力商品である電気温水器用のステレンスタンクの前に立つ精和工業所3代目の原克彦さん(写真はすべて精和工業所提供)
精和工業所(兵庫県伊丹市)3代目の原克彦さんは、「すべての商売はサービス業」という先代である伯父の言葉をきっかけに事業を継ぐことを決意。「ざっくり」とした事業の進め方を改善し、受注の波にも対応できるようデジタル化で作業を効率化させます。さらに、溶接を軸としながらも「世の中のためになるサービスを色々と手がけていきたい」と自社開発製品の一つである出汁サーバーの普及に向けてベトナムでうどん店を開業するなど社員とともに挑戦を続けています。
薄板ステンレスの溶接で存在感を発揮
精和工業所は原さんの祖父の山下清至さんが、業務用厨房機器やショーケースなどのステンレス製品の加工を手がける会社として、1962年に創業しました。その後はいわゆる給湯器、小型電気温水器関連のステンレス製品の加工や溶接も手がけるようになります。
ステンレス製品を溶接加工している様子
中でも高い技術力が必要とされる薄さ1㎜以下の薄板溶接を手がけることで、存在感を発揮。現在はエコキュートなど住宅設備機器をメインに、環境試験装置、燃料電池関連の筐体なども扱い、従業員約250人、売上高50億円規模にまで成長しています。
「ざっくり」「連携不足」課題が山積
原さんは会計系大手コンサルティング会社でのキャリアを経て、2004年に家業に入ります。前職時代のクライアントには大手メーカーが多かったこともあり、すぐに家業の課題に気づきます。
トップダウンで多くの物事が進んでいく。部門間同士の連携が足りない。部門長は自部門の進捗や業績ばかりで、会社全体の目標達成や利益を考えていないなど、組織として醸成されていない点です。
「いわゆる管理会計のスキームや意識が経営者だけにしかない、と感じました。経営者目線のメンバーが少ない、とも言えるでしょう。完全分業制のようにも見えました」
会社全体としての明確な数値目標や、中期経営計画といった指標もありませんでした。原さんの言葉を借りれば「曖昧」「ざっくり」で、事業はまわっていました。
予算、という概念もありませんでした。そのため必要なものが生じたら、上長や社長に打診。投資効果などを示さずとも、受ける側も感覚的に良し悪しを判断していました。各種稟議なども同様。ただ創業来黒字、無借金経営であったことから、そのままの状態が続いていました。
部門長を刷新 改革がスムーズに
しかし、心の底ではこのままではいけない、改革する必要があると、特に2代目は考えていたようだと、原さんは言います。そのため原さんに代表の座を渡す際、部門長を刷新。原さんの改革を進めやすくしての勇退となりました。
「とてもありがたいことでした。新しく抜擢されたメンバーは、ふだんから忖度なしに意見を交わしてきたメンバーでしたからね。前任は定年を迎える年齢であったこともあり、特に反発がなかったことも大きかったです」
代表となった原さんは、まずは社員に宣言をします。「これからは各部門がコミュニケーションを取り合い、自分たちで意思決定をしていく。そのようなフラットな組織を目指します」
管理会計のスキームを整備し、情報を共有。管理会計の考えや会計スキル自体を高めてもらおうと、部門長に対して勉強会なども実施しました。人事評価制度も作成し、一人ひとりが必要なスキルも明確にしていきました。
顧客ごとにアプローチを変える体制へ
それまでざっくりであった見積もりは細かくなり、利益率が低いことが判明した顧客に対しては、製品価格を上げることで対応するなど、顧客ごとにアプローチを変えるなどの変化も生まれます。提案の際にも、裏付けとなる資料がそろっているので、説得力が備わりました。
生産性向上に対する考えも変わっていきました。他部門の状況を意識していないため、改善が他の部門の負担となっているようなケースもありました。
「部門長を集めて話し合う場を設け、その場で情報交換を行ったり、価値観の共有なども進めたりしていきました」
受注の波に対応するため デジタル化を推進
改革を進めた結果、売上や利益率は順調に伸びていきました。そんな矢先、新型コロナの緊急事態宣言による受注減、大幅な減収となります。さらには以前にも増して、受注の波も激しくなりました。
「仕事がぜんぜんない月が続いていたと思ったら、突然、大量の仕事が発生する。そのような状況が日常的になりました」
そこで原さんは、人件費を含めた固定費を抑えることにします。これまでは定年退職などで減った人員は適宜補充していましたが、新たな採用をすることなく、作業の効率化で対応しようとしたのです。各種ITツールの導入です。
Teamsを導入することで、リアルや電話でのやり取りから、ネット、チャットに移行。図面や写真なども添付することで、コミュニケーションコストやトラブル発生時の対応コスト削減を実現していきます。
現場でITツールを使っている様子
ペーパーレス、電子化も推し進めます。「i-Reporter」という電子帳票システムを導入することで、手書きだった日報はデジタルに。また基幹システムとして在庫管理システムは導入していましたが、レポートはExcelなどで作成していたため、Automation AnywhereというRPAツールを使うことで、自動化を実現します。
従業員エンゲージメント向上へ 自社商品を開発
受注の波という状況を経験した原さんは、従来のOEM型のビジネスモデルだけでなく、自分たちで売上をつくっていく、新たな事業を起こす必要がある、と考えます。自社商品の開発です。
自社商品の開発は、別の意図や効果もあると原さんは言います。従業員エンゲージメントのアップです。
「働くことが楽しい。働くことに誇りを持てる。まわりや家族などにも自慢できる。そんな会社に成長したい。そんな会社で働いてほしい、と思いました」
自社で開発した消毒液ディスペンサー「CapaClean(キャパクリーン)」
こうして開発されたのが、コロナ禍対策の製品「消毒液ディスペンサー」です。従業員が暮らす自治体の市役所、市民病院、スポーツ施設、さらにはEXPO 2025(大阪・関西万博)にも設置される予定です。
前面に社名とロゴがデザインされていることもあり、まさに原さんが思ったとおり、従業員の家族や知人などが目にしたり、大きな反響を得たりとの成果を生みます。一方で事業としての成果はさっぱりでした。
出汁とつゆや味噌などを同時に好みの量抽出できる「出汁サーバー」
消毒液ディスペンサーの開発も含め、自社商品の開発は実は以前から行っていました。そして「ホットビールサーバー」、うどんなどの出汁を直前で抽出する「出汁サーバー」といったユニークな製品も生まれていました。ただ正式な部門はなく、営業や設計部門のメンバーが片手間、兼業で行っていました。
そのため連続して製品を開発することが難しく、マーケティングリサーチが乏しいために、プロダクトアウトになっていることが課題となっていました。
開発部門のメンバーと議論を重ねる原さん
そこで2022年、開発部門を正式に設け、メンバーを専業させます。同時に、会社外の意見も積極的に取れ入れようと、外部の人たちも出入り可能な施設、オープンファクトリーとしての機能も持たせました。
ただ既存事業で成果を出していること、各部門の部長クラスを抜擢したこともあり、大きな反発を受けます。
「私が思い描くこれからの会社の姿、経営に対する考えを一人ひとりに丁寧に伝えることで、理解してもらう努力を重ねました」
原さんの考えとは、実は家業に入るきっかけ、現在も大切にしている経営の根幹でもあり、創業者から受け継いだものでもありました。
世の中のためになることだったら何だっていい
そもそも原さんは家業を継ぐとは思っていませんでした。サービス業に興味があったことも一因ですが、創業者は原さんの母方の祖父であり、母の兄である伯父が2代目として家業を継いでいたからです。
ところが2代目の子どもは2人とも女性であったこと、家業を継ぐ意志もなかったことから、原さんに事業を継承してもらいたいとの期待が集まります。そしてあるとき、創業者とビジネスについて会話をしていたときに、次のような言葉を受け取ります。
「世の中のためになることだったら、すべての商売はサービス業だと思う。自分はたまたまステンレス溶接だったけれど、溶接にこだわる必要はない。あなたは自由に商売をやればいい」
この言葉をきっかけに、原さんは家業を継ぐ決意を固めると共に、社長就任後は創業者の言葉を実践。自社商品の開発など、チャレンジを続けていきます。
ベトナムでうどん店を開業
「あまりに突拍子もないことはしませんが、溶接をコアコンピタンスとしながら、世の中のためになるサービスを色々と手がけていきたい」と、原さんは言います。
そして、実行しています。ユニークなところでは、ベトナムでうどん店を運営しています。きっかけは、次世代リーダーの育成事業として若手メンバーを、ベトナムに研修に行かせたことでした。
ベトナムで営業するうどん店「さくらうどん」
すると帰国したメンバーから「ベトナムで出汁サーバーが売れそうだが、成功モデルが必要なので、まずは自分たちでうどん店を運営し、繁盛店として示す必要がある」との報告を受けます。
「驚きました」と原さんは言いますが、言葉には手応えと喜びがこもっていたように感じました。そこからはトントン拍子で、若手メンバーにプロジェクトを任せ、ゼロからうどん屋を立ち上げ運営しています。
現時点ではうどん店も消毒液ディスペンサーと同じように、利益を生む事業にまではなっていません。一方で、本業は組織改革やDXの取り組みなどもあり、原さんが社長に就任した2018年と比べると、売上高は約10億円アップの51.5億円ほどまでに伸ばしています。
「これからも内部留保することなく、本業で得た利益の範囲で新しいことにチャレンジを続けていきます。チャレンジはできるだけ夢があり、かつ、事業柱となるような。このようなチャレンジの継続が結果として、従業員の幸せやエンゲージメントを高めること、そして会社の成長につながると考えています」