広告マンから家業の老舗包丁店へ 「華麗な逆転劇」で始めない3代目
くいだおれの街大阪で、ミシュラン獲得のレストランをはじめ、世界で活躍するシェフや板前も愛用する包丁ブランド「堺一文字光秀」が創業67年を迎えました。3代目専務の田中諒さん(34歳)が家業を継ごうと決めたのは高校2年のときでした。なぜ家業を継ごうと考えたのか、今後どう変えていくのか。事業承継をしようか迷っている後継者たちに向けて自らの体験をつづります。
くいだおれの街大阪で、ミシュラン獲得のレストランをはじめ、世界で活躍するシェフや板前も愛用する包丁ブランド「堺一文字光秀」が創業67年を迎えました。3代目専務の田中諒さん(34歳)が家業を継ごうと決めたのは高校2年のときでした。なぜ家業を継ごうと考えたのか、今後どう変えていくのか。事業承継をしようか迷っている後継者たちに向けて自らの体験をつづります。
振り返ると、これまで「後を継げ」と言われたことは一度もありませんでした。ただ、「私も継ぎたい」という意思は高校2年生に固まりました。かなり甘い考えですが、それまでは、ミュージシャンを目指していました。
「自分も、この会社を継ぎたい」
そう思った瞬間のことは今も鮮明に覚えています。初代である祖父田中久香(ひさか)が亡くなった高校2年の時です。
地元の駅の改札前で祖父の訃報を電話で聞きました。そこからはあまり記憶がありません。ただただ悲しかったことと、人生で初めて父親が泣いているのを目にしたことだけが記憶に残っています。
祖父を思い出すと、いつも真剣に何かに打ち込んでいた印象があります。毎日、新聞紙が字でいっぱいになるほど書道の練習をしており、雅号を取って、展覧会を開けるくらいの腕前でした。当時の最新ゲームだったPS2の囲碁ゲームでコンピューターの設定を最強レベルにした上で石を何個も置かせて勝っていたり、部屋中にトロフィーがあったゴルフでも、よく部屋でパターを練習したりしていました。
それでも、私が近づくといつも顔をほころばせて話しかけてくれました。私は男の子の初孫ということもあり、大変可愛がってもらいました。祖父が怒っているのを見たことは一度もありません。
祖父は、第二次世界大戦の後、18歳で両親を亡くし、焼野原から2000種類以上の国産包丁を手に取れる、関西を代表する包丁店を作り上げました。今考えるとそれだけでも素晴らしい功績です。
でもそれだけでは無かったのです。
シャッターを手がける会社と、不動産を扱う会社。合計3社を息子3人に一社ずつ継がせ、相続税も現金で用意して晩年を迎えました。祖父びいきと言われるかも知れませんが、家族も大切にし、事業家としては理想的な人物でした。
高校生の時なので、その凄さは今の半分も分かっていなかったかもしれません。それでも、「自分の祖父は凄い」と感覚的には分かっていました。葬儀が終わり、家に帰る前に喪服を着替えるために、大阪の難波にある家業のお店に立ち寄ることとなりました。
「もっとたくさん話を聞いておけば良かった」
失意の中、祖父がいないお店に入った時に、私は不思議な感覚に陥りました。祖父が導入した看板、祖父が書き起こした刀の鍔を模したロゴ、祖父が書いた屋号、祖父を慕って入社した社員さん、お取引先、お客様。
祖父がいないことが嘘のように思えてきました。祖父自身はもういない。でも、今も生き続けている。「その思いは、誰かが継いでいけば永遠になくならない」
その瞬間はただただ不思議な感覚を味わっていただけですが、今思い返すとその時から、家業を継ぎたいという意志は固まっていました。
私の祖父は特別です。今でもそう思っています。ただ、家業を持つすべての人は、うちと同じように創業時の周囲の心無い声、業界の慣習、景気の変動や顧客の変化に立ち向かってきた先代が必ずいます。
その創業した先代も、どこかの家業に丁稚奉公をしたり、サラリーマンとして誰かの下で働いたりすることだってできたはずです。厚生労働省の我が国の労働力の概況(2017年)によると、世の中の役員や経営者は9.6%です。大多数の経営者や役員でない人からすると、あなたの会社の先代が変わり者に見えたり、妬みの対象に見えたりする人もいるかもしれません。
そういった環境の中で一念発起しなければ、そもそも事業など起こせません。そして、直近の決算書で売上を計上しているということは、現時点でも何かしらの分野で、誰かにとってはお金を使う先としてNo.1になっているのです。
No.1です。例外はありません。
物を買う時に、手に入る時期、価値、値段のバランスが最も良いもの以外、人はお金を使いません。その時の意思決定の上でベストだったということです。
例えば工業用の接着剤を作っている会社があったとして、「今は海外でもっと安いのが作れるし、国内でもっと優秀な接着剤もある」としましょう。ではなぜお客様は今も買ってくれているのでしょうか。
「他に良いのがあるかそもそも調べていないのでは?」「まだ競合が営業に来ていないだけ」。たとえ、そうだとしても、顧客企業にとって切り替えの検討にかかるコストや営業さんとの信頼関係を切り替えることにリスクを感じているかもしれません。それは現時点でNo.1ということです。あなたの家業を、誰かが必要としています。その事実を正しく評価することは、あなたが知らなかった親やルーツとなるご先祖様の一面を知るきっかけにもなりますし、また変えるべき部分を明確にすることにも繋がるのです。
2009年、私は、サイバー・コミュニケーションズに入社しました。勿論、ゆくゆくは家業に戻るつもりでした。食器や刃物の業界に身をおいても良かったかも知れませんが、大きなマーケットの変化に対応できなくなる、ということが当時一番怖かったです。
サイバー・コミュニケーションズは、電通グループの子会社であるCARTA HOLDINGSのグループ会社で、デジタルメディアの広告を扱う会社です。家業に入る前に、家業とは真逆の世界、変化の激しい市場に身を置き、新しい世代のニーズや、アプローチの仕方を知りたいと思い、入社しました。
WEB広告の世界で営業をやっていたときは、クライアントは大手企業ばかりでした。彼らが広告会社に求めることは、「あらゆる選択肢の中でベストであったか」です。マーケティング目標を達成するのに適したクリエイティブか、最も効率的か、実績はあるか、競合他社より優れた出稿戦略かどうかなど。
ただしそれは、マーケティング目標を達成するための専門部署があり、その部署がベストの選択をすることがゴールになっているからです。そのサービスに投資をし、失敗をした時に「なぜそれを選んだのか」を説明する責任があるため、広告会社は顧客やその上司が考えつくであろう選択肢を先回りしてその要素をつぶします。提案資料なども、競合との比較資料などを駆使して作って行きます。
中小企業の意思決定の場合、「あらゆる選択肢の中でベストであったか」よりも「中長期的に、顧客や取引先と信頼を築けるか」が一番大切な気がします。なぜなら、人数が少ないですし、失敗の時に誰かに説明する必要がありません。責任を取るのは経営者である自分だからです。
任せる部分は社内であろうと社外であろうと任せていかないと、本当に重要な意思決定や取り組みに割く時間がなくなってしまうのです。例えば私も、納品された商品を段ボールから棚に移す作業も、営業電話の対応も、銀行口座から社員さんにお給料を振り込むと言った、大企業ではおおよそ仕事にならないようなことも、他にやる人がいなければ当然やらなくてはいけません。
新規事業やリブランディングも大事ですが、その前にやることがたくさんあるのです。そんなときに感じるのが、既存の取引先さんの有難さ、です。
「仲の良い取引先とえらくズブズブでやっているなぁ。」と感じますし、変えるべきところは変えれば良いです。ただ、「お互いに相手のことが分かっていて、取引が長いのでマイナスの結果には絶対にさせない」という信頼関係もあるのです。あなたの家業も、そういった信頼関係を評価されているのかも知れません。
AmazonやGoogleのサービスに戦慄し、「うちの家業がこんな企業に勝てるわけない」と思うかも知れませんし、家業を取り巻く状況に悲観することもあるでしょう。
でも、先代が清水の舞台から飛び降りる気持ちでチャレンジをし、今もそのチャレンジにお金を払っている人がいるのです。その方々にとっては、業界TOPの商品よりあなたの家業の商品を選ぶ理由があります。
こんなことを書いて良いのかはわかりませんが、私は、後ろ向きなくらいであれば継ぐべきではないと考えています。
あなたも会社も不幸になるのであれば、現社長も継いで欲しいとは思わないでしょう。先代のチャレンジの理由の一つに、後世(つまりあなた)の人生を幸せにしたいということもあったはずなのですから。
でも、だからこそあなたの先代が大きなチャレンジをして成功したこと、それが今も誰かの選択肢になり続けているという事実自体には向き合うべきだと思います。
私は祖父の功績を超えられるとは思っていません。ただ、その思いを継ぎ、次の時代に伝えていきたいと思っています。その中で、祖父にもできなかったことを成し遂げたいと思っています。
家業を改革、となると劇的な逆転満塁ホームランの話が多いですが、スコア(決算)とベンチ(打てる対策、リソース)をしっかり見て、戦い方を見極める必要があります。
なぜ先代はチャレンジをしたのか、今事業はどういう状態で、なぜ今も売上が上がっているのか、その3つさえしっかり見極められれば、あとはあなたが非効率に思えること、やりたいことすべてが改善できるポイントになります。
華麗な逆転劇を成功させた後継ぎ経営者の先輩方とたくさん出会いましたが、彼らの誰一人として、上記のようなステップを踏まずに取り組んでいる人はいませんでした。
まだまだ勉強中の身ではありますが、私なりに家業が作ってきた価値を定量、定性的に分析した上でリブランディングや店舗のPOSレジ導入、評価制度の刷新やWEBのリニューアルに取り組んでいます。家業を見極めるにあたって私がやったことを、次回書かせて頂ければと思います。
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