目次

  1. 家業継承は日常の延長線
  2. じわじわと感じていた危機
  3. 夜行バスで全国の試飲会を巡る
  4. 地ビールイベントの仕掛け人に
  5. 店先で野菜を売る理由
  6. 新商品「ほどなく」に込めた思い
  7. 「ブームは終わる」と引き締め
  8. 「これは面白いで」と言える商売を

 入り口に京都産の野菜が並ぶ酒店の中に入ると、日本各地の地ビールが並ぶ冷蔵庫が目にとまります。京都の西陣麦酒や三重県の伊勢角屋麦酒など280~320種類の銘柄を取りそろえています。

壁面の冷蔵庫には地ビールがずらりと並びます

 京都・西陣に位置する山岡酒店は1930年ごろ、山岡さんの祖父が創業しました。山岡さんも店舗兼住宅に住んでいたため、10歳ごろから配達や集金を手伝いました。年の暮れは大忙し。大学受験の時期も容赦無く駆り出されたそうです。

 かつて店の一角は立ち飲みスペースで、まちの人に欠かせない存在でした。山岡さんにとって家業を継ぐことは日常の延長線上にあったそうです。

 「大学に通いながら店も手伝っていたので、いつ継いだという明確なものはありません。2000年に大学を卒業したら、そのまま家で仕事をするようになりました」

 しかしそのころ、家業を取り巻く環境は大きく変わっていました。

 京都でも95年ごろから大型酒販店が進出。03年には酒類販売が原則自由化され、競争がさらに激化しました。

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