目次

  1. 米国に出て気づいた「大好きな玉子焼き」
  2. 「対等な関係が築けない先と商談はしない」がポリシー
  3. 良いことも悪いことも社員と情報共有
  4. 新商品のネーミング、社長案をスルー
  5. 求めた変化 会長やベテランに怒られても……

 「かつては今、本社がある場所に自宅と工場が並んで建っていました。朝、部屋にいると玉子焼きの甘い香りが漂ってくるんですよね。小学生の頃、その香りに誘われて工場に行くと、職人さんが焼きたての玉子焼きをこっそり食べさせてくれたのを思い出します」

 当時、山田社長に玉子焼きを食べさせてくれた職人さんは今も現役です。玉子焼きを作り続けて60年超のベテラン、77歳の南勝男さん。「社長のことは、小さい頃から知っているよ。最高の社長だ」と顔をほころばせます。

14歳で入社し玉子焼きを作り続けて60年超の南勝男さん(左)と妻のみち子さんは、職場を盛り上げる仲良し夫婦

 祖父から父へ引き継がれた山田製玉部ですが、山田社長は大学時代、両親から「後は継がなくていいから外に出なさい」と言われ、広告代理店に就職しました。広告代理店での仕事は、写真とコピーなどクリエイティブがクライアントから高評価を受け、やりがいがありました。

 ただ、その後、売り上げなどの数字につながらなければ一転してダメだという評価になってしまいます。数字という成果が問われる世界でやりがいを見失い、就職から1年で退職して単身、アメリカに旅に出ました。

 「クリスマスシーズンにニューヨークでお金が尽きて父親に送金して欲しいと連絡したんです。送金するから年末は日本に戻って仕事を手伝うように言われ、帰国しました。玉子焼きの匂いに触れて、山田製玉部の玉子焼きが好きだとあらためて思ったんです。寿司屋に営業に行って食べてもらえればおいしいか、まずいか、その場で評価が下る。まずければ売れないし、おいしければ売れる。子どもの頃から大好きな玉子焼きで勝負し続けたいと考え、25歳のとき山田製玉部に入社しました」

 後継ぎであれば、入社後1〜2年で役員になることも珍しくありません。しかし、山田社長は入社から10年以上役職につかず一般の社員で過ごしました。

(続きは会員登録で読めます)

ツギノジダイに会員登録をすると、記事全文をお読みいただけます。
おすすめ記事をまとめたメールマガジンも受信できます。