配送ルートを運転手のスマホへ 黒潮重機興業2代目はできることからDX
運送業界の中でもニッチと言われる建設用の重機や資材専門の運搬サービスをしている「黒潮重機興業(宮城県多賀城市)」。東日本大震災時、津波に車両や自宅が流されながらも、翌日から人命救助や復興のため「誰かのために」をモットーに動いてきた2代目の菅原隆太さん。今度は自社の運転手の働きやすさのために、自身の経験を活かした配送管理システムを作ります。いずれ、「運送業2024年問題」の解決にも役立てたいと模索しています。
運送業界の中でもニッチと言われる建設用の重機や資材専門の運搬サービスをしている「黒潮重機興業(宮城県多賀城市)」。東日本大震災時、津波に車両や自宅が流されながらも、翌日から人命救助や復興のため「誰かのために」をモットーに動いてきた2代目の菅原隆太さん。今度は自社の運転手の働きやすさのために、自身の経験を活かした配送管理システムを作ります。いずれ、「運送業2024年問題」の解決にも役立てたいと模索しています。
目次
黒潮重機興業は、1979年開業。
2代目の菅原隆太さんは長男でありながら「後継ぎ」の3文字を両親からも周りからも、一度も言われずに育ちました。
ですから当然、後継ぎである自分を意識することはありません。
けれども、運送業を営む父と一緒にトラックの助手席に乗って過ごす時間、車の運転、車を触る時間、そのすべてが大好きでした。
「車に携わりたい」との思いからトラック整備士になり、別の会社に就職します。
転機が訪れたのは、菅原さんが仕事中の怪我で入院していた時です。
↓ここから続き
先代である父から「欠員がでた。家の仕事を手伝わないか?」と生まれて初めて家業のことを言われました。
しかし、後継ぎを意識することなく育った菅原さんは「トラックに乗れるから、まぁいいか」と軽く受け止め、整備士兼運転手として黒潮重機興業に23歳の時に入社します。
社内では「社長の息子が来たぞ」と様子伺いをする人もいる中、当の本人は従業員であり後継ぎのことはあまり考えてなかったので、周りの反応も経営状況もまったく気にすることはなかったそうです。
後に聞いた話ですが、震災直前は運送業界全体で仕事が減っており、人員削減などを試みても、経営状況が良くなる見込みも生まれないことから、廃業も考えるほどだったそうです。
菅原さんの気持ちとは裏腹に、父は入社数年後から毎年のように「来年は継いでもらうぞ!」と言っていましたが一向に動きはありませんでした。
「父が自分に継げと言わなかったのは、経営状況を察しての優しさもあったのかな」と、菅原さんは当時を振り返ります。
2011年3月11日、東日本大震災が起きました。
家族、従業員とその家族の命は守られましたが、自宅も新事務所を建て2年足らずの事務所も無くなり、10台あった重機運搬車両のうち5台が流されました。
そんな状況の中、当時社長だった父の決断に、菅原さんは心が震えたと思い返します。
震災の翌日、もともと取引のあった北陸地方の業者に電話をかけた父はすぐに中古の重機運搬車両を物も見ずに購入し、燃料を満タンに詰めて、すぐに車をもってきてほしいと頼んだそうです。
もし、自分が父だったら…同じ決断はできたのだろうか。おそらく、呆然と立ち尽くしていたのではないだろうかと、振り返り改めて思います。そんな父の姿が、当時菅原さんの心を大きく突き動かしていました。
そこから、自分たちも被災者でありながら、従業員総出で人命救助や復興のために、息つく暇なく現場に向かいます。
「これまではただの重機の運び屋さんだと思っていた。でも、震災を通してこんなにも人から必要とされて、役に立っていることを実感した」
目指すべきものが明確になった菅原さんの心には、これまでとは違う会社への思いが育ち始めます。
被災現場に到着すると自衛隊員たちが敬礼して、一秒でも早く届けることができるように、いかなる時でも道を優先的に空けてくれました。
資材を届けると「よく来て下さった」と心からの感謝の言葉を、被災現場で作業する人たちからたくさんもらいました。
その言葉は、被災した菅原さんの心の傷を忘れさせてくれると同時に、仕事への強い使命感も生みだします。皮肉にも、大切なものをたくさん失った震災によって、会社の仕事は増えていったのです。
震災直後の悲惨な状況が少しだけ落ち着いてきた時に、父から「1ヵ月後に社長だ」と言われた菅原さん。
すでに、気持ちは固まっていました。震災が起きてから9ヵ月後、2011年12月に社長に就任します。
同時に、DXに乗り出します。
菅原さんは、以前から会社の配送管理や運転手の仕事量の細かさを、運転手として身をもって経験していたので、何か会社の仕組みを変えることができないものかと模索していました。
試行錯誤の末、事務所内にいるスタッフの業務効率化につながるような、配車表の入力画面、単価管理、請求書作成などをまとめたExcel資料が完成。
同時に、菅原さんは「運転手が働きやすくなるようにするには、自分のスキルだけではできない」と気が付くことになります。
運転手のために、システム業者にお願いをして、きちんとしたシステムを作りたいと思った矢先に起きたのが、東日本大震災です。自宅、会社、車両、パソコンも流された中で、目の前の業務をこなすために、電話のやり取りだけでノートに注文をまとめるという、以前よりもさらに昔の状態に戻らざるをえませんでした。
建設用の重機や資材を専門に運ぶ黒潮重機興業は、運送業界全体の中でも全体の1割もないニッチな業種です。一般的な運送会社と「受注」という観点で比較した時の大きな違いは、「すべてが突発的な注文」というところです。
「今日これから重機を引っ張って来て下さい」「明日、運んで下さい」という突然の依頼がほとんどです。
震災当時の仕事の依頼は、1日に300件以上。状況が少し落ち着いても、1日100~200本の電話を受け、注文内容を黒板や紙に書き出し、配送ルートの効率性を考えて、各運転手に渡すという煩雑な状態が続いていました。
現在も、当時の注文ノートは捨てることができずに、大切に保管してあります。奮闘の記録です。
今見返しても、突発的な注文・変更・キャンセルにミスなく対応することの大変さを思い返し「よくやっていたな」という気持ちが湧いてきます。震災が起きてから、落ち着きを取り戻すまでに5年かかりました。
改めて業務を見直そうと、自身の運転手経験と事務スタッフ側の両方の立場に立って考えた時、「配送前」と「配送後」でそれぞれ違う課題が見えてきました。黒潮重機興業が請け負う仕事は、簡単に言えば「指定された現場まで重機や資材を届け、それを回収しにいくこと」です。
住所が存在していないような山奥の現場に行くこともあれば、トラックが通れないような道もあるため、迂回が必要なところもあります。
まず、配送前の大きな課題は、このような事態に備えるべく「運転手一人ひとりの配送前の予習」の負担でした。
事務スタッフはおらず、運転手は指定された場所の地図を手渡され、地図帳を開き自分で調べ、顧客からFAXで送られてきた資料だけでは情報が足りなかった場合は、運転手が予測し対応する、加えて前任の運転手に聞き取りをすることもありました。
また、運転手の配送後の大きな課題は、日報の作成でした。
仕事柄、業務時間のほとんどを運転している運転手にとって、配送後にどこからどこまで配達をしたのかやその距離、次の担当者への共有事項をまとめるのは容易なことでないと、菅原さんは感じていました。運転手として働いていた、自らの経験が役立ちます。
新しいシステムを導入するときは、社会から反対の声が上がることは珍しくありません。
そこで菅原さんは、運転手たちが普段から使い慣れているスマートフォンを活用し「できることからの改革」に踏み出します。
「いつも使っているスマホだから、大丈夫。便利になるだけだよ」と運転手に伝え、市販の無料アプリをインストールしてもらい、顧客の連絡先・運搬地図・地図の添付・注文用紙をデータ化して、事務所に専用のスタッフも配置しました。
すると「配送するのに気持ちの余裕が出た」「配送前の予習が大幅に楽になった」という現場からのうれしい声が上がってきました。
加えて、過去の履歴から注文内容も検索できるようになったことで、顧客から「注文のたびに、書類を再送する必要がなくなってやりやすい」という声も聞かれ、顧客サービスの向上にもつながったと実感しています。
大手運送会社を筆頭に、運送業界もDXが進んでいます。菅原さんは「すでに作られたシステムを活用するのが、コストも時間もかからなくていい」と思い、調べましたが、自社の仕事の内容・流れにピタッと当てはまるシステムはありません。
なぜなら、黒潮重機興業は、突発的な注文や変更が当たり前という運送業界の中でもニッチな会社です。
ですから、自社の困りごとにうまくフィットするシステムを作るには、オリジナルという選択肢しかありませんでした。
ものづくり補助金を活用して、システム会社と相談をしながら作り上げていくわけですが、しかし、困難さは想像以上。
完成まで1年近くを要しました。
重機運搬に関してはプロだけれども、システムに関しては素人の菅原さんと、その反対の立場にあるシステムエンジニアの両者の打ち合わせは、うまくはいきませんでした。
お互い分かったようで分かっていない話し合いになるため、お互い認識のズレがあり、そのためやっと完成した1回目のシステムは、肝心な部分がうまく機能せず使うことすらできなかったのです。
2回目に完成したシステムをやっと現場に導入するタイミングで、運転手一人ひとりにタブレットを配布しました。
すでにスマートフォンを活用していたこともあり、運転手全員がすんなりとタブレットを使いこなし、余ったデータ容量はセキュリティをかけた上でプライベートの使用を認め、待機や休憩時間などに自由に使ってもらうなど福利厚生としての使用も考えました。
その結果、誰一人としてDXに反対する人はいませんでした。
新たに配布したタブレットで、事務所から運転手への運送指示・顧客情報・現場で受け取る完了サインなどが全て対応できるようになり、配送後の課題であった運転手の日報記入の負担も激減しました。
菅原さんが、日報作成のシステムを構築する際にこだわったことは「記入するのは数字だけ」ということです。
これまで日報記入時には、配送場所・記入時間・天気などをすべて自分で書き込む必要がありましたが、システムを導入後はすべて選択式になり「距離」以外の数字は打つ必要がなくなったのです。
これによって、運転手の残業時間も負担もグンと減りました。また、取引先とのエピソードではこんなことも。
重機や資材は配送した会社が回収をしにいくのですが、回収日は1ヵ月後、1年後になることも珍しくはありません。
これまでの黒潮重機興業だったら、また新たに情報を送ってもらい顧客への負担をかけていましたが、DX化により顧客情報や配送時の共有事項をしっかりと担当運転手間で共有できるようになり、顧客の手間が減りました。
これにより、顧客からの評判も自然と良くなってきました。
システムを導入して売上が増えたというわけではありません。それでも菅原さんは満足しています。
「作業の効率化、またDXに積極的な姿勢を見せることで、離職率は低い。他社に比べて、運転手の平均年齢も若い。これが、一番の財産」と笑顔で話す菅原さんには、次の目標があります。
一度完成したシステムは、4回目のアップデートに取り掛かっています。
「自社のためだけなら、我慢して使う。同じような悩みを抱える同業他社にも便利に使って欲しいから、改良を続けていく」という決意の背景には、業界全体をとりまく「運送業2024年問題」があります。
2024年には働き方改革関連法により、運転手の労働時間に上限が設定されるとあって、今後同業者にとって「配送にまつわる作業の効率性」は会社の存続を左右する大きな課題となるだろうと危惧しているのです。
もっと、運送業界で運転手が働きやすくなる環境を整えていきたい。同じ悩みを抱える、同業他社にも便利に使って欲しい。自社だけがうまくいくのではなく、業界全体で助け合っていきたいと願っています。
東日本大震災で、大切な自宅や思い出の写真、社屋、車両などたくさんのものを失いました。もう、戻ってこない悔しさはあるけれど、大切な気持ちも手に入れた気がします。
「誰かのために動くことが、自分の原動力」と言い切る菅原さん。震災直後に「困っている人のために動けた自信」と「必要にされた喜び」で、これからも人生という道のりを走り続けていくことでしょう。
(続きは会員登録で読めます)
ツギノジダイに会員登録をすると、記事全文をお読みいただけます。
おすすめ記事をまとめたメールマガジンも受信できます。
おすすめのニュース、取材余話、イベントの優先案内など「ツギノジダイ」を一層お楽しみいただける情報を定期的に配信しています。メルマガを購読したい方は、会員登録をお願いいたします。
朝日インタラクティブが運営する「ツギノジダイ」は、中小企業の経営者や後継者、後を継ごうか迷っている人たちに寄り添うメディアです。さまざまな事業承継の選択肢や必要な基礎知識を紹介します。
さらに会社を継いだ経営者のインタビューや売り上げアップ、経営改革に役立つ事例など、次の時代を勝ち抜くヒントをお届けします。企業が今ある理由は、顧客に選ばれて続けてきたからです。刻々と変化する経営環境に柔軟に対応し、それぞれの強みを生かせば、さらに成長できます。
ツギノジダイは後継者不足という社会課題の解決に向けて、みなさまと一緒に考えていきます。