そこで、元々ムービングディスプレイ用に作ったモーターの動きを観察したところ「手が招いているように見える」との意見から、招き猫のソーラートイを開発。展示会でソーラー招き猫は宝くじ業界の関係者の目に留まり、あっという間に全国の宝くじ売り場に設置・販売されたのです。
ソーラー招き猫に内蔵されているモーターは、1999年に「室内光を動きに変えて起動する、世界初ソーラー振子」として、世界特許を取得しました。特許取得中にも関わらず、中国産のコピー品などが販売されていた事実はありますが、2012年に主軸モーターの特許が切れてからは、あっという間にコピー品にシェアを奪われたそうです。
なぜなら、開発企業として「飽きずにずっと継続していくことが大切」と思っていたからです。
その後、コピー品の勢いが落ち着いてくると、どんどん他社が事業から撤退をしていき、結果的に本家である国際ディスプレイ工業に再度注文が舞い込むという現象が起きています。
コロナ禍で売上が半分以下のタイミングで社長就任
新型コロナが感染拡大の真っ最中、5代目後継ぎとして代表取締役社長に就任した、渡邊直子さん。
ソーラートイは海外からの観光客を中心に売れていたため、インバウンドがゼロになったコロナ禍で売り上げは半分以下になってしまい、従業員を休業させ、雇用調整助成金で乗り切る日々を送りました。
それと同時に毎日会社に出勤し、頼りにしていた会長である父に大腸がんが発覚、手術をすることになりました。
渡邊さんは、手術後の父の看病と実母の介護、認知症の義理の母のトリプル介護をしながら、社長業にも取り組みます。
「今思えばコロナ禍で仕事も少なかったから、色んなことが何とかなった。大変なのはこれから!」と渡邊さんは笑顔で話します。
父から学んだものづくりの姿勢を守っていく
渡邊さんは、東京藝術大学の彫刻学科を卒業後、ろう人形制作などのアルバイトを経て、27才の時にCGアニメーション制作の会社に就職。あまりの忙しさに心身共に限界を迎えていた時に、伯父2人と共に創業者の1人である父から家業への誘いを受け、国際ディスプレイ工業へ入社しました。
「ただの社員。言われたことをしていればいい」となんとなく働き始めてから17年後、社長になった渡邊さんは、初めて自分の中で経営者としての自覚が芽生えていることに気が付きます。大きなきっかけがあったわけではなく、じわじわと。
「創業者のパワーは偉大。会社にいて当たり前だった父が、闘病中で来られなくなった。自分の手でどうやって行くべきかを考えるしかないの」と話す笑顔の先に、大きな決意がありました。
父は昔から、根っからのアイディアマン。そして、社員の新しいアイディアも大切にして、いい商品を作るためにはしっかりと向き合い、研究する時間が必要だと考える人です。
渡邊さんにも、父から学んだものづくりの姿勢はしっかりと受け継がれ「アイディアがあるのなら、どんどん取り組んで欲しい」という社風が定着しています。
今までのヒットは偶然?社内にも焦りの色
社員が業務時間中に「ものづくり研究」の時間をとることは、国際ディスプレイ工業にとっては当たり前の風景です。
でも、社長になる前の渡邊さんが部長を務めていた、開発部の社員たちには、ソーラー招き猫の大ヒット後に「焦り」が見えていました。
「ソーラー招き猫は、たまたまヒットしただけ。次に新製品を開発しても、同じくヒットさせることはできるのか?」という不安です。
ある時、企画開発部の社員が東京都中小企業振興公社主催の「売れる製品開発道場」という外部講師を招いての講義があると聞きつけ、チャレンジしてみたいと申し出ました。
渡邊さんは当時、企画開発部の部長として承諾しましたが、受講していた社員は「忙しいのに仕事以外のことをしている」という風当たりを強く感じていたようです。
そんな中、以前からひっそり実験を続けていた「オーニソプター(羽ばたき飛行機)」を、創業60周年の記念品として採用したところ、取引先から思わぬ良い反響がありました。
中心の軸にやじろべえのように飛行物体が乗っていて、ソーラーパネルからの電力を羽のはばたきに伝え、自らが風を起こし前に進んで旋回するという、金属でできたオブジェです。
社内では「講義を受講した結果、生まれたもの」としか認識されていませんでしたが、開発者とその上司であった渡邊さんは大きな可能性を感じていました。きっとこれが、新しいブランド確立の「一歩」になると信じていたのです。
社内のゴタゴタ 信念とちょっとの強引さで突き通す
新しいことをする時は、社内のゴタゴタは付きものです。
「営業部と企画開発部って、相反するものじゃない?うまくいくわけないのよ」と笑いながら話す、渡邊さん。
今となっては笑いながら話せるものの、新ブランド立ち上げ時には、社内が不穏な雰囲気になることも少なくなかったそうです。
けれども、絶対に曲げなかったのは「納得がいくものをつくること」です。
ものづくりは個人の意見や主観に捉われず、自分の信念を貫いてこそ、いいものを作り上げることができるという強い気持ちです。
開発者がどうしようか迷っているものを販売するのは、顧客に対して失礼なことであり、売るためにものを作るのではない。
いいものを作れば、結果は裏切らないという気持ちを、開発者が忘れずに持ち続けることが大切だということです。
当時、企画開発部部長だった渡邊さん自身も、営業部の人達が製品そのものを悪く思っていないことは、感じていました。
「私の根回しが、ちょっとうまくいかなかっただけ」と話します。
少量生産、made in japanの『KOKUSAI DSP.』
「おもちゃでも、インテリアでもない。これは、新しい」と思った渡邊さんは、試作開発した30才の若手社員を主軸に、さらなるステップアップとして東京都中小企業振興公社の「事業化チャレンジ道場」にも参加。
改良を重ねて、取引先に配るなどして反応を見るなど、新ブランド立ち上げのために動き出します。
そして2012年、少数生産・made in japanの新ブランド 『KOKUSAI DSP.』 がリリースされました。
『KOKUSAI DSP.』のコンセプトは、「動き」をキーワードに、生活に小さな変化をあたえ、人の心を豊かにするものづくり。
共感してくれる人の手元に、心をこめて直接届たいという思いから、少数生産ですべてが日本製というこだわりです。
でも、せっかく立ち上げたブランドは、なかなか浸透しません。こだわりが強いので、1つの商品を作り上げるまでに約2年かかってしまい、なかなかシリーズ化できないという事情がありました。
やっと、3シリーズがそろったのは、ブランド立ち上げから10年目。
「今がKOKUSAI DSP.を発信していくタイミングだと思った」と渡邊さんは社長として、ソーラートイ事業とムービングディスプレイ事業と並ぶ、新しい事業の柱にしていくことに決めました。
しかし、介護と経営の両立をするのは容易なことではなく、社員数も限られたなかで、積極的な営業はあまりしてきませんでした。唯一、積極的に参加しているのは、展示会やコンテストへの出展です。
受け身から自ら動く海外進出へ
「1人でも多くの人に、私たちの製品を目で見てもらうに尽きる」という言葉の通り、『KOKUSAI DSP.』の最大の魅力は、文章では表現しきれない絶妙な動きです。
規律性のある動きの中に、どこかゆったりとした空間が生まれ、見ている人の心の余裕までも作り出してしまう、不思議なオブジェは、実際に目で感じ取るのが一番です。
展示会に出展すると、瞬く間に海外のバイヤーたちの目に留まり「これを仕入れたい」「とても素敵だ」という声がダイレクトに入ってくるようになりました。
積極的に売り込まなくても、スイス・ドバイ・香港と驚きのスピードで海外に販路が広がっていったのです。もちろん、日本国内でも広がりはあり、蔦屋書店やロフト、東急ハンズなどで展示・販売されています。
渡邊さんは海外での販売に、確かな手ごたえを感じています。
「海外は数社しか取引がないのに、売上がしっかりある。受け身の海外進出から、自ら動く海外進出に変えていこう」と決意をしました。ブランドの立ち上げから10年という月日を経て、『KOKUSAI DSP.』は少しずつ羽ばたき始めています。
他社の声で再確認 自社の当たり前が最大の魅力
介護と社長業の両立をしながら、渡邊さんは、社長自らJETRO主催の「海外ビジネス人材育成塾」に参加することにしました。
充実した日数のカリキュラムが無料で受けられることに感動して、即応募を決めたわけですが…20年ぶりの完全徹夜に限界を感じた日もあったそうです。
けれども、自社の製品ブランドの市場価値や問題点を、とにかく時間をかけて考え抜く「時間」、「向き合う時間」を、無理やりにでも作ることができたことは、最高の財産になったと言います。
海外ビジネス人材育成塾では、他社の参加者とのディスカッションの時間も多く「自社の強みは何か」を、他社が教えてくれることも。
その中で「ソーラーパネルはエコロジーとSDGsの両方に当てはまる。絶対に海外で人気が出る」という海外進出への後押しを、他社からの声で再確認できたのも、大きな自信につながっています。
国際ディスプレイ工業は、世界初のソーラー振り子を開発した企業です。
ソーラーパネルは当たり前の存在であり、改めて「強み」と認識できていないことにも気づかされました。
自社の当たり前が、最大の魅力であると気づくことができたのです。
3年以内に目指せ売上10倍 狙うはアメリカ
『KOKUSAI DSP.』での売上を、現在の10倍にすることができれば、ソーラートイ事業とムービングディスプレイ事業に並ぶ3本柱が出来上がり、外的な要因に振り舞わされない経営ができると考えています。
2023年8月にニューヨークで開催予定の雑貨のトレードショー『NY NOW』への出展も決まっています。やはり1人でも多くの人に、直接目で見て欲しいという思いが強いからです。
「そんな簡単にいくわけない。でも、飛び込んでみなくちゃ」と新たな決意に胸を膨らませると同時に、後を継ぐ意義についてこう話しました。
「後を継ぐってことは、親がこうやって自分を育ててくれたんだとわかること。自分のルーツも学べるの」
彼女の目の奥には、きっとものづくりの楽しさを教え育ててくれた、先代の父の背中が見えているのかもしれません。
羽ばたき、越えていく、国境と父の背中を。