小田急線本厚木駅から徒歩10分。和のテイストをモダンな形で表現した望月商店の個性的なたたずまいは、町の酒屋には見えません。藍染めののれんをくぐると、店内には様々な酒が勢ぞろい。年間のべ5千銘柄の酒を扱っています。特に先代の父・喜代志さん(現会長)が全国の蔵元を回ってそろえた、数々の地酒が自慢です。オンライン販売はせず、対面販売にこだわり、全国からお客さんが訪れます。
望月さんは職住一体の環境で育ちました。子どものころは友達を連れて帰ると、先代の父がおやつやジュースを振る舞ってくれたといいます。「だから家業のことは子どものころから好きでした」
小学生から大学まで、野球漬けだった望月さん。ポジションはずっと捕手でした。グラウンドを俯瞰的に見ていた経験が、経営にも役立っているといいます。大学卒業後は、一度スーツを着るような仕事をしたいと、紙を扱う商社に就職しました。
商社で任されたのは新規営業です。電話帳で企業を調べながら、営業の経験を積みました。大学などの新規顧客も開拓するなど自信が付き始めた入社2年目、母親から電話で「ちょっとお父さんが…」と切り出されます。喜代志さんが体調を崩して入院したのです。
5~10年は働いて会社に恩返ししてから家業に戻ろうと考えていた望月さんの心は揺れました。入社してからずっと面倒を見てくれた上司に、家業の話を相談すると「戻って頑張れ」と背中を押され、決断しました。
02年に家業に入った望月さん。商社時代は飛び込み営業で断られることも多かったため、酒を求めて訪れる客への対応はスムーズにできました。それでも、喜代志さんに比べて、圧倒的にお酒の知識と経験が足りないことが課題でした。
全国の地酒を取りそろえ、来店客とじっくり話して好みにあった銘柄を勧める。それが望月商店の強みです。先代は1985年、一般的な酒屋から地酒専門店にシフトすると、全国の酒蔵を回って知識や経験を重ねました。「昔なじみのお客さんは、先代が店にいないと帰ってしまうなんてこともありました」
そこで望月さんは若手の酒屋経営者や後継ぎが集まる勉強会や、特約店会などに積極的に参加。各地の蔵元や専門店とつながり、様々な銘柄を味わいました。お酒はあまり強くないそうですが、少しずつ学びました。
望月さんは初めてお店に来た客ほど、丁寧に対応して関係を築くようにしているといいます。「それが望月商店の第一印象になるからこそ、より丁寧な接客を心がけています。うちは常連さんには『待たせますよ』と言っています(笑)」
元同僚を雇い事業拡大
望月さんが30歳を迎えるころ、転機が訪れます。商社時代の同僚の廣田純一さんを雇ったのです。前職を円満退社後も同僚とは良好な関係が続いていました。「(当時は)家族4人でお店を切り盛りしていて結構大変」という話をしたところ、廣田さんから望月商店への入社を熱望されました。
「彼も30歳でまだ結婚していないタイミングだったので、『行くなら今しかない』と言ってくれました。『雇うと友だちじゃなくなるけどいいのか』と話し、了承してもらったので、父に話して1人目の社員として雇いました」
その1年後、今度は知り合いの蔵元から「優秀な人がいるから雇ってくれないか」と相談がありました。これ以上人を増やす予定はありませんでしたが、何かの縁と思い、雇ったところ大正解でした。
望月さんは「その方は僕より年上で酒屋の勤務経験も長く、お酒に詳しい。僕も元同僚も未経験だったので、いい刺激になりました。切磋琢磨する間に、お客さんがどんどん増えて忙しくなり、1人、2人と社員、アルバイトを増やしていきました」。
従業員が増えることで、家族経営だった会社の仕組みも変えていきました。社会保険や休日規程などを整備し、今ではアルバイトにもボーナスを出しています。望月さんは先代である父親と議論を重ね、ときには言い合いになりながらも意見の相違を埋め、少しずつ働く環境を整えました。
落語と日本酒のイベントを企画
社員を雇い始めたタイミングで望月さんは専務に就任。社員が増えたことで店の運営を任せられるようになり、蔵元を回る余裕ができました。
地酒を提供するイベントも積極的に仕掛けます。「若いお客さんが増えたことで、店で定期的に地酒の会を開くようになりました。みんな喜んでくれましたが、参加者が固定化してくるとただの飲み会になるという課題もありました。そこで考えたのが、落語の会です」
望月さんは元々落語好きで、日本酒が出てくる噺も少なくありません。落語を聞きながら日本酒が楽しめる会ができたらと思っていたところ、義姉の結婚式の司会を落語家が務めるという縁がありました。その落語家に直談判し、落語と日本酒の会「厚木もちもち寄席」を07年から定期的に開催するようになりました。
さらに、新橋演舞場で働く知人からも「日本文化を発信する会に協力してほしい」と声がかかります。そこで14年に新橋演舞場の食堂でも、落語と日本酒の会を開催。蔵元にも声をかけ、170人超に日本酒を提供しました。この会はコロナ禍で中止するまで毎月2回開催するほどの人気に。現在は場所を変え、東京・代官山で開いています。
イベント自体は直接の売り上げ増にはつながりませんが、イベントを通して次の展開を生むこともあり、色々な人とつながっていくことに意味があると望月さんは考えているそうです。
モダンなデザインの店舗に改築
18年には、望月さんが主導して店舗もリニューアルしました。日本建築学会作品選集新人賞などを受賞した建築家・石川素樹さんのデザインで、アーチ状のデザインに藍染めののれんと杉玉が地酒の世界へと誘うつくりになっています。
望月さんは、厚木の街道沿いにあるお店をこれまでにない次世代の酒屋にしたいと考え、実績のある石川さんに依頼しました。「自分が考える酒屋のイメージをお伝えしたところ、(石川さんに)このデザインを提案してもらいました。半円アーチなど、コストはかかる設計でしたが、気に入っています」
そして、19年10月、創業100周年のタイミングで社長に就任します。先代の父は会長になり、今も経理や地方の蔵元とのやりとりを続けています。
従業員の発案でインスタライブ
就任翌年の20年春、新型コロナウイルスの感染拡大による緊急事態宣言で、売り上げの過半数を占める飲食店への出荷が止まりました。それまでに経営を安定軌道に乗せており、望月さんは社員に焦って変な売り方をしないように伝えました。
「コロナ前に店舗と倉庫を新しくして、次は人に投資するフェーズでした。コロナ禍で時間に余裕が生まれ、結果的に様々な挑戦ができました」
そうした挑戦の一つが、社員の発案で始めたインスタライブです。スタッフが毎週金曜日にライブで地酒を紹介し、コロナ禍の人気コンテンツになりました。毎回の視聴者数は3千人以上、アカウントのフォロワー数は1万人を超えるまでになりました。インスタライブは今も不定期で開いています。
「最初はインスタライブに軽いイメージを持ち、望月商店が100年企業ということもあって、ちょっとあわないのではないかと考えていました。でもスタッフの熱意を受けて始めると、だんだん評価されることが増えてきました。正直、失礼な言葉遣いになるなど小さな失敗はありますが、今では『うちのお酒も紹介してよ』と言われることもありますね」
コロナ禍では大人数の試飲会ができなかったため、少人数限定で入れ替え制の試飲会「もちもちサンデー試飲会」を開催。お客さんとの関係を深め、講師を務めるスタッフのスキルアップにもつながったといいます。
こうした取り組みの結果、コロナ禍直後はがくんと落ちた売り上げも、ほどなく回復したといいます。インスタライブなどでつかんだお客さんが店に来て口コミで発信する。そんな好循環が生まれました。新規顧客開拓にもつながり、コロナ禍になった20年9月の決算でも黒字だったそうです。
勉強会の講師を頼まれるように
コロナ禍を経て、23年以降は休止していた各種の日本酒イベントも再開しています。24年5月には厚木市で大規模イベントの開催も予定しているそうです。
若いころは学ぶ立場だった望月さんも、今ではインスタライブを見た同業者から、勉強会の講師を依頼されることが増えてきました。「ワインのオンラインセミナーを企画する会社から、インスタを見て日本酒講座の依頼がきました。2時間も話せるかな、と思ったのですが、常にライブをやってきたのでうまくできました」
24年正月の能登半島地震では多くの蔵元が被災しました。望月さんも石川県の酒造組合を通して寄付したり、石川県のお酒を積極的に売ったりして支援しています。「蔵元さんとは連絡を取り合っています。僕らにできるのは、売って応援すること。早く活気が戻るようにしたいです」
発信と行動で得られる信用
望月さんが家業に入って22年が経過しました。この間に従業員は増え、店舗兼倉庫も建て直しました。年間の売上高は入社当時と比べて、3倍以上に伸びたそうです。また、全国の蔵元ともつながり、先代の時代より多くのお酒を取り扱うようになっています。
4代目を担う望月さんは、20代のころに言われた「経営者のやることは与え続けることと、ケツを拭くことの二つ」という言葉を胸に刻んでいます。発言主は覚えていませんが、節々でその言葉が頭をよぎるそうです。
「スタッフの成長なくして店の成長はありません。やりたいと思うことなら、やってみなはれ、と思いますし、望月商店の代表として勉強会に出てもらうこともあります。今の課題は社員教育です。商店は属人性が高いですが、そこに頼っているとうまくいきませんから」
野球の捕手のように、店とスタッフ全体を見て一人ひとりを生かすリードを心がけています。
望月さんがもう一つ大事にしているのが縁です。「言霊のように、やりたいと発信して行動に移すことで何かが変わります。日本酒と落語の会ができたらいいなと言っていたら、そんなタイミングがきたので、すぐに行動に移しました。それを続けると、信用ができて色々なところに呼ばれ、新しい縁にもつながりました」
今のところはオンライン販売を行わず、対面でしっかり説明していくスタイルを貫きたいと望月さんは考えています。