目次

  1. インフラの健康状態を見る非破壊検査
  2. 「富山を出たい」とアメリカへ
  3. 「本気なのか?」微妙な社内
  4. 若手ほど辞めていく会社に危機感
  5. 「現場を知らないくせに」父とのバトル
  6. 思いは同じ やり方が違うだけ
  7. 朝会が「情報を取りに行く場」に
  8. 「学びあう環境」づくりで資格取得を後押し
  9. 社会インフラに不可欠な「予防保全」とプラスワン営業
  10. 皆で幸せな会社と社会をつくる

 アイペックの前身である富山検査株式会社は、東出さんの父が一人で1976年に創業しました。当時、富山で大型の水力発電所の建設が進み、発電所に水を送る鉄管が山中の現場で溶接されていました。父は、鉄管の検査を手がける企業が地元富山になく、関西から大量の技術者が派遣されているのを知って商機を見いだします。すぐに独学で必要な資格を取得して、非破壊検査の会社を起業。事業を拡大していきました。

水力発電所の鉄管(アイペック提供)

 会社は、2024年2月時点で社員数70人、年商9.4億円の規模に成長しました。非破壊検査は、超音波や磁力を使って建物や橋梁などの内部に劣化がないかを調べるもので、必要があれば補強・補修などのアドバイスもします。一連の検査は、インフラの安全性を保つために健康状態を見る「人間ドック」のようなものだと言います。

超音波を使った検査の様子(アイペック提供)

 富山で生まれ育った東出さんは、高校でバンド活動に熱中。地元の外国語専門学校に進学後、1年休学してブリティッシュ・ロックの本場であるロンドンへ留学しました。

 「帰国後に英語が生かせる就職を望んだものの、当時の富山では1年休学した女性には、会社の門戸が開かれていませんでした。そこで富山を出たくなり、ボストン大学へ編入しました」

 東出さんは卒業後、ニューヨークの会計事務所に就職して米国公認会計士の資格を取得しました。30歳で帰国し、東京の金融機関へ転職。その後は外国人富裕層向けの観光業を起業しようと、経験を積むためにクルーズ船の通訳に応募します。

 通訳をしながら世界各地を訪問し、寄港地で地域に根ざした活動を行う非営利団体と交流するなかで、「生まれ故郷の富山の役に立ちたい」と人生観が大きく変化。2010年に、40歳で家業に入社しました。

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