若手が定着しなかった「職人集団」 アイペック3代目が崩した社内の壁
富山市のアイペックは、建物や橋梁などを壊さずに内部に欠陥がないかを調べる「非破壊検査」を手がける会社です。3代目社長の東出悦子さん(54)は、米国公認会計士のキャリアを経て家業に入りました。そこには、昔ながらの職人気質で技術が効率的に伝承されず、若手の離職率が高い会社の姿があったといいます。トップダウン型の父と対立しながらも組織づくりや社員の資格取得の促進に着手。社員の定着率を高め、過去最高の売り上げを記録しました。
富山市のアイペックは、建物や橋梁などを壊さずに内部に欠陥がないかを調べる「非破壊検査」を手がける会社です。3代目社長の東出悦子さん(54)は、米国公認会計士のキャリアを経て家業に入りました。そこには、昔ながらの職人気質で技術が効率的に伝承されず、若手の離職率が高い会社の姿があったといいます。トップダウン型の父と対立しながらも組織づくりや社員の資格取得の促進に着手。社員の定着率を高め、過去最高の売り上げを記録しました。
目次
アイペックの前身である富山検査株式会社は、東出さんの父が一人で1976年に創業しました。当時、富山で大型の水力発電所の建設が進み、発電所に水を送る鉄管が山中の現場で溶接されていました。父は、鉄管の検査を手がける企業が地元富山になく、関西から大量の技術者が派遣されているのを知って商機を見いだします。すぐに独学で必要な資格を取得して、非破壊検査の会社を起業。事業を拡大していきました。
会社は、2024年2月時点で社員数70人、年商9.4億円の規模に成長しました。非破壊検査は、超音波や磁力を使って建物や橋梁などの内部に劣化がないかを調べるもので、必要があれば補強・補修などのアドバイスもします。一連の検査は、インフラの安全性を保つために健康状態を見る「人間ドック」のようなものだと言います。
富山で生まれ育った東出さんは、高校でバンド活動に熱中。地元の外国語専門学校に進学後、1年休学してブリティッシュ・ロックの本場であるロンドンへ留学しました。
「帰国後に英語が生かせる就職を望んだものの、当時の富山では1年休学した女性には、会社の門戸が開かれていませんでした。そこで富山を出たくなり、ボストン大学へ編入しました」
東出さんは卒業後、ニューヨークの会計事務所に就職して米国公認会計士の資格を取得しました。30歳で帰国し、東京の金融機関へ転職。その後は外国人富裕層向けの観光業を起業しようと、経験を積むためにクルーズ船の通訳に応募します。
通訳をしながら世界各地を訪問し、寄港地で地域に根ざした活動を行う非営利団体と交流するなかで、「生まれ故郷の富山の役に立ちたい」と人生観が大きく変化。2010年に、40歳で家業に入社しました。
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それまで家業を継ぐことを、全く期待されていなかったという東出さん。入社時は、きわめて微妙な雰囲気で迎えられたといいます。
「父からは『どこまで本気なのか?』と思われていました。これまでの職の振れ幅が大きい私に対して、社員たちも後継ぎが入社したというよりは『いつまで続くのだろう』と様子見でしたね」
東出さんの入社当時、創業者の父は会長になっており、父よりも少し若いベテラン技術者が2代目社長をつとめていました。
「私は経営企画室の室長に就任しました。当時の経営はリーマン・ショックからも回復しており、社員を増やせば売り上げも上がるという状態でした」
しかし入社直後、社内の会議に参加したり現場へ足を運んだりするなかで、東出さんは社員と父との関係や、組織風土に疑問を感じ始めます。
「良くない意味での職人集団でした。検査業務に関する一人ひとりの技術力は高いのですが、検査技術の継承や情報共有がないまま仕事が進められ、誰が何をやっているのかが見えにくかったのです」と、東出さんは当時を振り返ります。
検査の仕事は、現場が会社から遠かったり、プロジェクトが長期にわたったりすることも珍しくありません。そのためオフィスでなかなか顔を見ない社員もいたといいます。
「技術者たちは、求められた仕事はきっちりやり、お客様からの信頼はとても厚いのですが、組織として情報共有をしながら目標達成する仕組みがほぼありませんでした。経験豊富なベテランになるほど居心地がいい会社で、父もそれでよしとしていたのです。安全第一の現場では、時に厳しい言葉が飛ぶこともあります。経験が浅い社員に技術が承継される仕組みや組織体制もなく、若手ほど離職が多い会社でした」
それまでの職場では当たり前だった、情報共有やフォロー体制が家業にないと感じた東出さん。早速父に「もっと人を大切にする会社にしたい」と組織づくりを提案しました。
東出さんからの意見に、父は猛反発したといいます。
「『現場を知らないくせに』、『技術畑でもないお前に何がわかる』と反発されました。創業者でありトップダウン型の経営を進める父に、社内でも異を唱える人がいなかったのです。私に現場経験がないのはその通りだったので、検査に必要な資格を取得したり、現場の仕組みを学んだりしていきました」
当時、東出さんは実家で父と母との3人暮らし。仕事の進め方をめぐって、会社では社員たちの前で父と口論し、家では1カ月あまり口をきかない状態も続いたといいます。そんななかで、バトルの突破口が二つありました。
一つは、2代目社長が、社内のコミュニケーション不足について、東出さんと同じ課題感を持ってくれていたことです。
「2代目社長は、すでに社内のコミュニケーション改善のための勉強会を開いていました。定着させるにはどうしたらいいかを、一緒に考えて進めていきました」
学びは得意な東出さんです。自身でいくつもの外部研修を受講し、「この人」と目を付けた講師をアイペックに呼んで、ファシリテーション(会議などを円滑に進める技術)や、コミュニケーションの研修を開いてもらいました。
「会議の進め方やコミュニケーションの取り方、コーチングやリーダーシップといった、組織で仕事を進める上でのスキルを身に付けるための研修です。多くの講師と接するなかで、自社に合う講師を見つけることが、研修の効果に直結すると実感しました。例えば講師自身に現場での仕事経験があるとか、座学だけではなく双方向のやりとりができて実践ワークが多いといったものですね。うちの社員には、参加型の研修が合っていたように思います」
もう一つの突破口は、父がつくった経営理念「百年の大計 人と公」でした。
「父はよく『理念の実現のために、社員には能力を最大限に生かしてほしい』と話していました。私が目指している姿と同じだと、ある日腑に落ちたのです。ただ、やり方が大きく違いました。父のような、『仕事は自分がやるべきことをきっちりやればいい。それが合わない人は、残念ではあるが退職すればいい』という発想は、人手が潤沢な時代や、既に能力がある人に対しては有効かもしれません。ところが人手不足が続く時代において会社の成長を願うなら、若手や経験の浅い社員も含めて、一人ひとりが元気に働ける環境が必要なのです。それに気が付いてからは、お互いの言い分に耳を傾けるようになりました」
2015年に社長に就任した東出さん。コミュニケーションと組織づくりというアプローチで、経営理念の体現を目指します。研修の他に効果が高かったのは、「オフィスのワンフロア化」と「朝会」でした。
「2019年に、新社屋に移転しオフィスエリアをワンフロアにしました。うちには三つの技術部と営業部、総務部の合計五つの部署があり、旧社屋は道路を隔てた二つの建物に分かれていました。雨や雪の日には行き来がなくなります。そもそも直接のコミュニケーションが取りにくい環境にありました」
新社屋は全ての部署をワンフロアに集めただけでなく、フリーアドレス制を導入。様々な情報共有がスムーズに進むようになりました。
コミュニケーションが活発になると、毎朝行われる「朝会」の内容や位置づけも進化したと東出さんは振り返ります。
「朝会は、部署単位で毎朝10分ほど行われます。各メンバーがその日の予定や業務時間の空き状況を共有し、忙しそうなメンバーのフォローに入ったり、プロジェクトの進捗を確認したりしています。最近は、別の部署の朝会に参加して、業務に必要な情報を自主的に取りに行く動きが増えています」
情報やノウハウの共有がスムーズに行われることで、業務の重複や、社内書類の差し戻しが劇的に減り、会社全体で残業時間の削減にもつながりました。
例えばアイペックでは、技術者が検査を行った後、顧客向けに提出する検査報告書を作成します。これは、建物やインフラの「健康診断の結果表」ともいえるもので、多い時は大型ファイル五冊分もの分量になります。以前は、報告書の作成担当者と技術者の間でなんども書類の差し戻しがありましたが、お互いの情報共有が進んだことで、無駄な往復をなくすことができました。
何よりも周囲に気を配り、お互いをフォローする組織風土が育ったことが大きいと東出さんは話します。「若手社員の定着率が高まり、ベテランにもいい刺激になっています」
検査や調査業務には、「X線作業主任者」や「配筋探査技術者」といった資格が必要とされる場面も多いため、社員の保有資格が会社全体の仕事の幅に直結します。以前から資格取得は推奨されてきたものの、なかなか進まないのが2代目社長時代からの悩みでした。
東出さんがトライしたのが、勉強したくなる環境づくりでした。とある女性役員から、「うちの子どもは友達とカフェで勉強している。定期的に、仲間と勉強する場を提供してみてはどうか」と提案があったのです。
そこで毎週水曜日のノー残業デーに会社の多目的室を開放し、資格取得のための自習をする社員に、1時間以上の自習に対して1回あたり2千円の自習手当を支給すると発表しました。すると参加者が続々と増え、資格試験の受験者数と合格率も向上したのです。導入前には年間23人だった資格試験の受験者が2022年度には106人に、39.1%だった合格率は50.9%までアップしました。
「資格取得の勉強は時に孤独です。必要なのは、誰かと学びあう環境だということがわかったのは大きな収穫でした。給与面でも資格手当をプラスしたことで、社員たちの学びに対するモチベーションが明らかに高まり、会社で手がける仕事の幅も広がりました」
日本各地では、昭和の高度経済成長期に建造された橋梁や道路といった社会インフラの老朽化が進んでいますが、全てをリニューアルするのは時間的にもコスト面でも困難です。そのため、適切な検査やモニタリングによって、大規模補修が必要になる前に細かなメンテナンスを施し、少しでも長く使えるようにする「予防保全」が不可欠。アイペックではIoT技術を駆使した社会インフラの経年劣化モニタリングシステムなどの技術開発や、メンテナンスの提案にも積極的です。
「お客様から依頼された検査を行うだけでなく、検査結果に基づいたメンテナンス方法などを提案する、コンサルティング事業にも注力しています。社会インフラの仕事の多くは、自治体から発注されます。アイペックでは、発注者やエンドユーザーの立場で考えて、お客様のニーズに沿った提案をすることで、受注した内容からさらに追加点検や補修などの仕事をいただくという、“プラスワン営業”が活発に行われています」
このプラスワン営業も、社内の改革あってこそでした。資格取得によってスキルが上がった社員たちから提案型の営業が増えたり、部署間の話し合いから新しいアイデアが生まれたりしたといいます。2022年度はプラスワン営業の効果で、売り上げがおよそ1億円増え、アイペック全体でも過去最高の売り上げとなりました。
そんなアイペックでも、社員の採用は大きな課題です。
「人口減少という富山の地域課題が、アイペックの課題でもあります。社員の採用に関しては、地元の採用イベントに登壇したり、広告を出したりすることで認知向上やタッチポイントの増加につとめています。また、将来への投資要素も含まれる新卒採用に加えて、目の前の人材不足に対しては副業人材にも助けられています」
さらに、どんな人が入社しても技術やノウハウを身に付けてもらえるような制度や組織をつくってきたという東出さん。「うちに関心を持ってくれる人たちに不安を感じさせることなく、どんどん門戸を広げていきたいですね」と前向きです。
2024年春には、文系の女性が技術職として入社予定だというアイペック。技術と人を大切にする会社として、さまざまな課題をクリアして社会を支えます。
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