目次

  1. 「世襲経営」の意識は無かった
  2. 「理想の家族像」にとらわれない
  3. 「光」をモチーフにしたデザインに
  4. グローバル視点で「味噌󠄀」を残す
  5. 動的イメージをデザインに
  6. 消費者をエスコートするデザイン
  7. 熟成庫にも名前を付けた理由
  8. ブランドの源泉は「やりぬく力」

西澤明洋さん

エイトブランディングデザイン代表

1976年、滋賀県生まれ。大手電機メーカーのインハウスデザイナーから独立。「ブランディングデザインで日本を元気にする」というコンセプトのもと、企業のブランド、商品、店舗開発など幅広いデザインを手がけている。「フォーカスRPCD®」という独自手法でリサーチからプランニング、コンセプト開発まで一貫性のあるブランディングデザインを強みとする。主な仕事にクラフトビール「COEDO」、抹茶カフェ「nana’s green tea」、スキンケア「ユースキン」、ヤマサ醤油「まる生ぽん酢」、ブランド買取「なんぼや」、手織りじゅうたん「山形緞通」など。著書に「ブランディングデザインの教科書」(パイ インターナショナル)などがあり、特集雑誌「デザインノート『西澤明洋の成功するブランディングデザイン』」(誠文堂新光社)も発刊した。

 ひかり味噌󠄀は、1936年に創業しました。大手流通のプライベートブランド(PB)製品をいち早く手がけたことで成長。自社製品では有機みそや無添加みその製造にも注力し、「円熟こうじみそ」、「マル有 有機味噌󠄀」などの商品を送り出しています。業界シェアは3位で、23年9月期決算の売上高は前期比7%増の190億円。2022年には新しいみそ熟成庫「未来蔵 MIRAIZO」も建設するなど、設備投資も積極的です。

 林さんは大学卒業後、セイコーエプソンに勤め、退職する前の5年間は英国に駐在しました。当時社長だった父親からの要請で、1994年にひかり味噌󠄀に入社。2000年に社長に就任します。

 「入社時の年商は70億円ほど。父が後に『つぶれそうだった』と振り返るほど危なかった時期もあり、私も世襲経営という意識はなく、転職して会社を変えるという気持ちでした。父が築いた大豆の仕入れ先も全部変え、役員会から親族も外しました。周囲から『みそ業界は1千年続いているからなくならない』とも言われましたが、私はみそも(前職で手がけた)プリンターも無くなるときは無くなるという危機感を持って経営しました」

ひかり味噌󠄀の製造現場(ひかり味噌󠄀提供)

 PB商品が中心のラインアップに課題を感じた林さんは2009年に、自社商品の有機みそを新しく開発しようと決心し、パッケージデザインを西澤さんに依頼しました。その約1年前、西澤さんがリブランディングを手がけたコエドブルワリー(埼玉県)のクラフトビール「COEDO」のパッケージデザインが紹介されていた雑誌の記事を読んだのが、きっかけでした。

 「ブランドを一新したプロセスを解説した記事で、西澤さんの存在を知りました。COEDOビールのデザインが素晴らしく、記事の切り抜きを机の中にしまっていました。有機みそにもっと力を入れようと考えたときに思い出したんです」

 西澤さんは林さんから依頼を受けた時のことを、こう振り返ります。

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