個人プレーだった営業を組織化 かりんとうの山脇製菓が実現した若返り

東京都豊島区の山脇製菓は、かりんとうの製造・販売に特化したメーカーです。4代目社長の山脇鉄也さん(44)は政府系金融機関から家業に転身。個人プレーに偏っていた営業体制の組織化や、年50回にも及ぶ会社説明会の開催、販売現場の多能工化、部署をまたいだ新商品プロジェクトなどを進めました。家業に入った当初は「将来がない」と言われながらも、従業員の平均年齢は15歳ほど若返り、経営は成長曲線を描いています。
東京都豊島区の山脇製菓は、かりんとうの製造・販売に特化したメーカーです。4代目社長の山脇鉄也さん(44)は政府系金融機関から家業に転身。個人プレーに偏っていた営業体制の組織化や、年50回にも及ぶ会社説明会の開催、販売現場の多能工化、部署をまたいだ新商品プロジェクトなどを進めました。家業に入った当初は「将来がない」と言われながらも、従業員の平均年齢は15歳ほど若返り、経営は成長曲線を描いています。
目次
山脇製菓は山脇さんの祖父が1957年に創業し、かりんとう専門店として成長してきました。自社オリジナル商品の種類は20弱。かりんとうは保存料・酸化防止剤を使用せず、その味は定番の黒糖やピーナッツのほか、レーズン、瀬戸内レモンなどに広がっています。商品はスーパーをはじめ小売店で買い求めることができます。
かりんとうは水源豊かな琵琶湖のほとりの滋賀工場(滋賀県東近江市)で作られています。そのこだわりは生地作りです。商品ごとに小麦粉の配合を変更。製粉メーカー任せではなく、自分たちで配合しています。
約20年前、本社1階に直営店もオープンしました。現在の従業員数は70人、年商は16億円になります。
長男の山脇さんは高校生ぐらいまで、祖父母のところに遊びに行ったとき、トラックの荷降ろしを手伝うことがあったといいます。ただ、父で先代社長の正隆さんからは「好きなことをやっていい」と言われ、家業を継ぐつもりはありませんでした。
「父はよく『使えない息子はいらん』と言っていました。息子に無理やり継がせて経営が揺らごうものなら従業員が不幸になるだけです。なので、会社を継がなくてもいいと言っていたと推察しています」
山脇さんは大学卒業後、政府系金融機関に就職し、大阪の支店で中小企業への融資を担当しました。銀行マンを全うするつもりでしたが、2009年11月に転機が訪れます。
東京出張の際、両親との食事の席で、父から突然「戻ってこないか」と切り出されたのです。
その年の7月から山脇さんの弟が家業に入り、滋賀工場で生産と営業を担当していました。負担を軽減するため、山脇さんに声をかけてきたそうです。
父からは「数カ月以内に戻るか一生戻らないか決めろ」と決断を迫られました。
大阪に戻り、悩むこと約2週間。山脇さんは家業に入ることを決め、2010年4月に入社しました。「銀行には私の代わりがいます。しかし、社長である父の息子の代わりは他人には難しいと思いました」
弟が工場で汗をかく様子も聞き、「自分も頑張って支えないと……」という意識も芽生えました。
入社したころの従業員数は今とほぼ同じでしたが、年商は現在より2割ほど少なかったといいます。大阪在住の山脇さんは工場での実習後、西日本の営業を担当します。
当時、関西には山脇さん以外に5人の営業担当者がいました。5人全員が60代以上で、定年退職後に請負契約を結んでおり、山脇さんは「銀行員が何しに来たんだ」という目で見られていたといいます。
山脇さんが奔走したのは、関西営業所の立ち上げです。当時の西日本の営業は、滋賀工場常駐の1人を除き、全員が自宅と取引先の間を直行直帰していました。各自が自由に営業していたために連携が取れておらず、担当者が病気や交通事故で休むと、誰もカバーできない状況だったのです。
危機感を募らせた山脇さんは、兵庫県尼崎市に関西営業所を開設しました。しかし、他の古参の営業担当者は出社を受け入れません。ときには大げんかになり、「行かねえよ」と言われたそうです。
そこで山脇さんは手を打ちます。取引先からの郵便物などを営業所に送ってもらうように社長から要請してもらい、営業所に出社せざるを得ないようにしたのです。
次に取り組んだのが、見積書を電子メールで送ることです。それまでは手書きの見積書をファクスで送っていましたが、取引先から「やめてほしい」と言われたのがきっかけになりました。
ところが、関西営業所の担当者はパソコンがほとんど使えなかったといいます。電子メールが送れない担当者の分は、山脇さんが代わりに見積書を作り取引先に送りました。
「見積書の内容が書かれた紙を直接渡されたり、自宅からファクスで送られたりしたものを元に、作成から送付まで私が代行しました」
そうした代行作業は、請負契約の営業担当者がいなくなるまで10年ほど続きました。
また、山脇さんは営業のやり方を学ぶため、請求書などの書類を解読することにしました。
値引きが当たり前という商習慣のなか、過去の値引き状況がわからないと商談ができません。直接商談する問屋だけでなく、卸先の小売店の値引き情報もチェックしました。
「前職の経験から数字は分析できたので、営業の仕事をある程度把握できました。取引先からも教わり徐々に業界の知識を身につけました」
請求書の分析には、価格が適正か、赤字になっていないかを精査する意味もありました。商品が並ぶ小売店は膨大で、赤字が紛れている可能性があります。
それまでは価格のチェック体制ができておらず、必要以上の値引きを惰性で続けていた可能性もありました。請求書の分析をもとに、問屋に足繁く通いながら、徐々に適正価格での取引の実現を図りました。
ただ、古参の営業担当の顔をつぶすわけにはいきません。彼らが退職した後、山脇さんがいったん引き継ぎ、後任が決まるまでの間に適正価格での取引条件をまとめました。
山脇さんは大卒社員の採用活動にも本腰を入れます。2017年からは大卒の新入社員が入るようになりました。
それまで、滋賀工場で高卒社員を毎年採用していた以外は、欠員が出た時にハローワークを活用したり知り合いから紹介を受けたりする程度でした。
従業員の年齢が特定の層に偏らないようにするとともに、これからの会社を担うプロパー社員を育成したいという山脇さんの思いがありました。
山脇さんは前職時代にリクルーターのような役割を務め、弟の前職も人材関連会社だったため、2人が若いうちなら若手人材を採用できるのではとも考えました。
大企業と同じでは学生も集まりません。工夫したのが会社説明会です。
大企業なら1回で300人近く集めるところ、山脇製菓は1回あたり定員5〜7人程度の説明会を、東京や大阪で年間50回以上開きました。山脇さんも営業活動と並行して1日複数コマを担当することもありました。
「中小企業の採用活動では、何をしている会社なのかがよく分からないまま学生が応募してくることも少なくありません。少人数での会社説明会を繰り返すことで、興味を持ってくれた学生全員の話をしっかり聞くようにしました」
エントリーシートは使わず、説明会で会社に興味を持ち、入社を希望した学生全員を面接しました。学生の疑問に丁寧に答えるなどしたことで、説明会出席者の7~8割が面接を希望し、多い年で年間300人以上の学生と面接しました。
2019年からは、かりんとう作りを次代につなぐ「未来プロジェクト」を社内に立ち上げました。従業員の声を生かし、新しいかりんとうの開発や既存商品の見直しで、スキルアップを図ろうとしたのです。
山脇製菓には商品開発の専門組織がなく、役員の指示や滋賀工場での試作提案、取引先からの要望などを元に新商品を作ってきました。
プロジェクトのメンバーは8人ほどで、営業や包装を担当する従業員など様々な部署から集めました。
1回目のプロジェクトからは「栗かりんとう」という新商品が生まれました。季節が感じられる商品を提案したいという理由から、メンバーでの話し合いを経て誕生しました。
発売されたのはコロナ禍真っ只中の2021年頃。当初は通年販売でしたが、現在は季節限定で販売しています。
バラバラな意見をまとめて一つのものをつくるのは大変で、提案が採用されないこともあります。それでも「未来プロジェクト」のメンバーは、役職関係なく対等な関係で、各自が未来のかりんとうを作るという想いで活動しています。
2023年6月に社長に就任した山脇さんは、従業員の「多能工化」にも取り組みました。以前から行ってきたジョブローテーションのほか、本社で事務経理を担当する従業員が店舗を手伝うなどするようにしたのです。
総務や経理といった事務職場は今後ジョブローテーションしやすくなるよう、担当者が少しずつマニュアルの整備を進めています。
「コロナ禍の時、店舗の担当者が感染して店を閉めたことがあります。この時の経験から、担当以外の従業員でもレジの使い方を覚えてもらい、店の運営ができるようにしているところです」
特定の人にしかできない仕事を減らすことで、従業員が休みやすい環境作りにもつなげているといいます。
女性の働きやすさも高まり、山脇さんが家業に入ったころは男性従業員が7割でしたが、現在は女性従業員が約6割を占めます。
残業時間も時期によって変動はありますが、月平均10時間以内を目標にしています。2024年はややオーバーしましたが、それでも家業に入ったころと比べ、残業時間は半分近く減ったといいます。
離職が極めて少ないのも特長です。2023年、24年の退職者は女性従業員が1人ずつ。それも夫の転勤や介護という理由でした。
山脇さんは賃上げや従業員の平均年齢が若くなったことが、離職が少ない要因と感じています。
「家業に入ったとき、従業員の平均年齢は50歳超でしたが、今は35歳前後です。滋賀工場だけなら半分近くが20代、30代です。同世代が多く居心地が良いと感じているのかもしれません」
山脇さんが2010年に家業に入ったとき、周囲から口々に「将来がない」と言われました。かりんとうは高齢者が食べるイメージがあり、需要が減ると考えられたからです。
しかし実際には入社以来、山脇製菓は着実に年商を伸ばしてきました。質の高いかりんとう作りや丁寧な営業はもちろん、営業体制の整備、新卒採用、働きやすい職場作りなどで、社内の雰囲気が明るくなったのが大きいとみています。
「銀行時代からの実感ですが、雰囲気がいい会社は必ず売り上げを伸ばしています。銀行でも支店の業績が良かったときは、みんなと仲が良く雰囲気もよかったです」
ため息ばかりついている職場にいたら仕事のやる気が湧いてこないように、雰囲気は周囲に伝わるものだと、山脇さんは捉えています。
雰囲気のいい職場は、上司に相談しやすかったり従業員同士で話し合う時間が増えたりして、活気にあふれます。すると、従業員が物事をポジティブに捉えモチベーションが上がるため、売り上げ増にもつながるのです。
山脇さんは経営目標について「従業員がこの会社で働いて良かったと思える会社を作ること」と話します。
「経営は想定外のことが多く起こります。戦略に基づいて経営するというより、いかなる変化にも対応できる力を身につけた方が、会社は中長期的に安定し永続すると思っています」
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