BtoC事業にも手を広げる
植田板金店は1976年、父・誠貴男(せきお)さんが創業しました。住宅メーカーから外装工事を請け負うだけでなく、個人向けの外装リフォームや小屋の製造・販売などのBtoC事業にも手を広げています。
施工件数は中四国エリアでも有数の規模を誇ります。その裏には、高い技術を持つ自社や提携先のベテラン職人の存在が欠かせません。
植田板金店がリフォーム施工した住宅(植田板金店提供)
2024年度の売り上げ見込みは約16億円。うちBtoC事業は約5億円です。正社員数は62人(職人は15人)、取引先の数は150を超えます。
そこに至るまでには、苦悩と挑戦の積み重ねがありました。
職人の腕に支えられています(植田板金店提供)
借入金3千万円を個人保証
次男の植田さんは「兄が会社を継ぐもの」と思って育ち、「かっこいい仕事とも継ぎたいとも思ったことがない」といいます。
建築系の専門学校を半年で中退。母から「やりたいことがないなら手伝ったらどう?」と誘われ、19歳のとき現場職人として植田板金店に入社しました。
植田板金店は県内でも信頼が厚く、当初は独立を考えていた植田さんは職人から技を盗もうとのめり込みました。
「屋根の納まりは、ハサミで切って、折って、雨漏りしないように丁寧に。誰よりも速くきれいに仕上げることを意識し、必死に技を身につけました」
しかし数年後、先に入社していた兄が一時家業を離れ、自分が後を継ぐかもしれないという状況になりました。さらに父が新たに立ち上げたリフォーム会社が3年で衰退し、債務超過と多額の累積赤字を抱えたのです。
頼みの綱は、当時25歳だった2代目の植田さんでした。平社員でありながら3千万円の借り入れを個人保証することに。「経営知識はありませんでしたが、自分でハンコを押したことで否応なく当事者意識が芽生えました」
大量離職で売り上げ3分の2に
しかし、2001年、事態がより悪化します。経営手法に「もうついていけない」と役員3人が辞職を表明。植田さんが説得し、1人は残りますが、正社員、職人、取引先の3分の1が離れ、7億円ほどあった売り上げも3分の2となります。
まさに風前の灯。父と話し合いを重ねるも折り合えず、最後は「好きにしろ、責任はすべてお前がとれ」と言われたそうです。
28歳で事実上経営を任された植田さんは、ひたすら営業を重ねました。目をつけたのは、当時あまり浸透していなかった屋根のリフォームです。大手住宅メーカーから受注が入り売り上げを回復させますが、その後は横ばいが続きます。
植田さんは1人で奔走し、誰にも相談できませんでした。そんな姿を見た社員の心は自然と離れていった、と振り返ります。
植田さんは家業の立て直しに奔走します
すべてを任せて伸びた売り上げ
2011年3月の東日本大震災で、全国に材料供給停止の情報が流れました。植田さんはこの状態が数カ月続けば、経営が立ちいかなくなると危惧します。
当面の仕事を確保するため、3月末に被災地を訪問。現地の業者と組み、5月には栃木県に事務所を構え、主に宮城、福島、栃木各県の仕事を請け負いました。
材料供給にはメドが立ちますが、植田さんは「復興に貢献したい」という思いからしばらく被災地にとどまることに。経営陣が担っていた管理業務などは、岡山に残る社員にすべて任せることになりました。
「トップが不在だと、従業員は自分で考えて行動しないといけません。一人ひとりが能動的に行動したり改善したりすることで、業務への姿勢に変化が生まれました。すべてを任せた結果、売り上げが伸びたのです。これに気づけたのは大きな収穫でした」
目の前の数字を追うのに必死だった植田さんの心に、ようやく余裕ができました。
植田さん(右端)は社員に任せることの大切さに気付きました
トイレ掃除で見せた姿勢
植田さんはこの年、2代目社長に就任。改革をさらに加速させます。
まずは5S(整理、整頓、清掃、清潔、躾)の徹底です。事務机といすを統一し、業務に使うもの以外を机に置かないといったルールを決めます。植田さん自身、トイレ掃除を2年間1人でやり続け、姿勢を見せました。
はじめは反発もありましたが、5Sがロスを減らし、生産性アップにつながることを時間をかけて浸透させました。
その結果、2015年には目標だった売り上げ10億円を達成。次なる施策として経営企画課を新設し、クラウド上で社員全員が共有できるシステムも構築し、業務効率化を図っています。
小屋の開発で評価を得たが…
成長に伴い、正社員の職人を増やしましたが、課題となったのが雨天時の対応です。板金は屋外作業が主になるため、雨天時は人件費だけがかさみます。そこで思いついたのが、小屋の制作でした。サイズが小さく、室内で作業できるからです。
2016年は、男性向けホビー雑誌で「小屋特集」が組まれるほどのブームで、工務店出身の社員がいたので「狭小住宅」のノウハウもありました。まずは原価を回収できればと、職人の練習も兼ねて小屋の試作販売を始めます。
2017年6月、小屋を20棟以上そろえた専門展示場「小屋の森」をオープンし、工場も新設して月8棟規模の生産体制を整えました。企業の現場事務所や休憩スペース、ネイルサロンなどでの活用が主流でした。
小屋などを製造している工場(植田板金店提供)
植田板金店の小屋事業は2017年、地方銀行などが主催する第1回岡山イノベーションコンテストで大賞に輝きました。新市場発掘、職人育成、閑散期の業務創出という観点が評価されたのです。
しかし、売り上げは想定の半分ほどでした。「小屋はリフォームで新たに1部屋作るよりも安く、必ず売れると思い込んでいました。しかし、車やバイクと同じで、主に男性の趣味のスペースに家庭のお金をつぎこめません。『あこがれ』と購入との間には大きな差がありました」
社員発のメールで実現したコラボ
「隈研吾さんにメールします」。当時営業係長だった社員が突拍子もないことを提案したのは、そんなときでした。隈さんは当時、アウトドア用品大手・スノーピークとトレーラーハウスを手がけており、小さな建物への知見を得たかったのです。
植田さんは「メールを送るだけなら」と了承し、あとは任せます。その社員はあきらめず20通ほどのメールを送り続け、2017年5月に「小屋の森」オープンの情報を送ると、6月1日に隈さんから「面白いものができましたね。楽しみです」という趣旨の返信があったといいます。
これをきっかけに、隈さんとのコラボ商品開発が動き出します。「工務店ではなく板金店が小屋を手がけていることに、隈さんは関心を寄せてくれたと思います。隈さんは職人をリスペクトしており、地方の板金店を応援する意味もあったのではないでしょうか」
植田板金店の技術力を信頼しているからこそ、隈さんの要求レベルは高かったといいます。「うちの職人も奮起して技術で応えました」
隈研吾さんと共同開発した「小屋のワ」(植田板金店提供)
そして2018年6月に発表したのが、第1弾のコラボ商品「小屋のワ」でした。
ガルバリウム鋼板の壁には職人が手作業で独特の模様を施し、内装には岡山県産ヒノキを使用。大きな庇(ひさし)と床面積と同じ広さのウッドデッキで空間の広がりを生み、小屋を複数連結させると、公共の軒下スペースが創出される設計でした。
隈さんの世界観と板金職人の技を融合させた「小屋のワ」は多くのメディアに取り上げられます。実際の用途としては、店舗としての活用が多いそうです。
この小屋の取り組みが評価され、植田板金店は2021年、中小企業庁の「はばたく中小企業・小規模事業者300社」に選ばれました。
「小屋のワ」は独特の模様が特徴的です(植田板金店提供)
売り上げは就任時の3倍に
2022年、隈さんとのコラボ商品第2弾として「木庵」(もくあん)という小屋も発表します。
杉やヒノキなどのひき板を繊維方向が直行するように重ねた直交集成板(CLT)を小屋に活用。通常は大規模空間で使われるCLTを、屋根に板金の技術を施すことで、雨漏りの心配のない小屋が実現し、2022年のグッドデザイン賞に輝きました。
グッドデザイン賞に輝いた「木庵」(植田板金店提供)
隈さんとのコラボは社員の自信となり、2022年度の売り上げは2代目就任時の約3倍の17億4千万円を記録。小屋事業の売り上げ構成比は6.7%(2024年実績)です。
「こんな奇跡のような展開は、社員の突拍子もない発想と行動力があってこそ。私一人では著名な方にメールを送ろうなんて思いつきもしませんでした。社員に任せたからこそ、開けた道です」
「日本最大級の展示場」を新設
植田さんは2024年1月、岡山市内に新たな体験型展示場「ひとやね」をオープンしました。面積は約666平方メートル。隈さんがデザインを手がけ、「日本最大級の屋根と小屋の展示場」とうたっています。
「ひとやね」は交通量の多い国道2号線沿いにあります
外観には39種類の屋根と壁がパッチワークのように貼られ、見る人を驚かせます。中では約20種類の屋根材と樋(とい)があり、建物周辺には商品の小屋を置いて自由に見学できます。
リフォームでは不必要な工事で高額請求するといった事例が後を絶たず、社会問題化しています。「実際の屋根材や壁材に触れて正しい知識を得てほしい」という植田さんの思いを、隈さんが形にしました。「私の願いがインパクトのある形になり、その発想には驚くばかりです」
「ひとやね」はコワーキングスペースとしても活用されています
「ひとやね」はコワーキングスペースとして、若手経営者の交流やマルシェにも活用されています。スモールビジネスを営む人々が集い、講演会などの企画が次々と生まれました。
マルシェにはモデルの小屋を利用するなど、社員の柔軟な発想で、ひとやねの「場」としての可能性が広がっています。植田さんは「若い世代に板金技術を知ってもらう拠点にしたいとも考えています」と話します。
若い世代の入社が相次ぐ
植田さんは、建設業の「3K」(きつい、汚い、危険)というイメージの払拭にも努めてきました。
社内勉強会も盛んです(植田板金店提供)
タイムカードの打刻後に業務を始める勤怠管理や、時間外労働を月45時間以内に抑制することを徹底。2024年から人事評価制度も導入し、対話を重ねて社員の希望を報酬に盛り込んでいます。
こうした取り組みで社員数は倍増し、特に20〜30代の若い世代の入社が相次いでいます。
植田さんは建設業の「3K」払拭にも取り組んでいます
BtoCの仕事を広げるため、植田さんは営業人材をスカウトしています。20年にわたって声をかけ続けたケースもあるそうです。
「企業規模の違いから『絶対に転職しないだろう』と思われる人にも声をかけてきました。単に高い給与を提示するのではなく、共に働く意義を伝えています」
「働きやすさは売り上げの基盤があってこそ実現します。ニーズに沿った提案を売り上げにつなげ、自分たちをまず幸せにしたうえで社会に一層貢献したいです」
高度な技術と社員の行動力で、植田板金店は板金業の未来を切り開こうとしています。