目次

  1. 顧客には芸大や国立博物館も
  2. 億単位の借金を抱えて社長に
  3. 祖父が築いた信用の重み
  4. 製作所に示す「大店の了見」
  5. 桐箱が東南アジアで高評価
  6. スマホ専用スピーカーも開発
  7. 承継にも思いを巡らせて

 箱義桐箱店の本社エントランスには立派な桐の木が鎮座しています。その木はいまからおよそ半世紀前に御所から賜りました。

 「台風で中庭の桐が倒れて、当社に白羽の矢が立ちました。授かったのは3本。一本を残し、菊の御紋や仏像を彫りました」

御所から贈られた桐の木がエントランスに立っています
御所から贈られた桐の木がエントランスに立っています

 箱義桐箱店は野澤伊三郎さんが明治元年、下谷西町(現東上野)で開業した桐箱業がそのルーツです。伊三郎さんが腕を磨いたのは埼玉県越谷市。桐たんすで有名な地域です。

 箱義桐箱店の名で法人化したのは、4代目の戸張常義さん。常義さんは丁稚の一人で、その仕事ぶりが買われて3代目の長女と結婚します。4代目候補の長男が戦死し、後を継ぐことになりました。

 「孫の自分がいうのもなんですが、その手並みは確かだったようです。宮内庁からも声がかかるくらいですからね。使いに出された親父は美智子さま(現・上皇后さま)の還啓に出くわしたことがあったとか。職員の列に加わって敬礼したそうです」

技巧を凝らした桐箱の数々(箱義桐箱店提供)

 顧客リストには宮内庁のほか、徳川ミュージアム、東京藝術大学、東京国立博物館、町田市立博物館、日本橋高島屋、上野松坂屋が名を連ねます。着物や刀、宝飾品を納める特注品をつくってきました。

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