福岡銘菓「筑紫もち」を継いだ三男 和菓子はコロナを乗り越えられるか
福岡のお土産で有名な「筑紫もち」が看板商品の如水庵。老舗お菓子屋を継いだのは、電通九州から家業に戻った三男の森正俊さん(44)です。この4月に社長に就任したばかり。「世界の平和に貢献する」という壮大な経営理念をどう「自分事」にしていったのか、事業承継のきっかけやインバウンドにも大きな影響を与えた新型コロナウイルスへの対応についても語ってもらいました。(聞き手・杉本崇)
福岡のお土産で有名な「筑紫もち」が看板商品の如水庵。老舗お菓子屋を継いだのは、電通九州から家業に戻った三男の森正俊さん(44)です。この4月に社長に就任したばかり。「世界の平和に貢献する」という壮大な経営理念をどう「自分事」にしていったのか、事業承継のきっかけやインバウンドにも大きな影響を与えた新型コロナウイルスへの対応についても語ってもらいました。(聞き手・杉本崇)
「筑紫もち」や果物の大福で知られる和洋菓子製造販売業。福岡県古賀市に本社、福岡市博多区に本店。創業は1570年ごろともされるが、詳しくは不明。売上高は約24億円(2018年度実績)、従業員は約330名(パート・アルバイト含む)。
――4月に社長に就任されたばかりとうかがいました。子どもの頃は「後継ぎだ」と意識していたのでしょうか?
うちは男4人兄弟で、僕は三男なんです。家業継ぐつもりは全然ありませんでした。
小さい頃からラグビーをやっていて、早稲田大学でもラグビーをやりました。卒業後は、電通九州に入社して、16年間、いい経験させてもらって。このまま一生、電通九州で働くだろうと思っていました。
――子どもの頃、「如水庵」はどんな存在だったんですか?
生まれた時から「和菓子屋のせがれ」でした。ですが「家業とは?」はあまり考えていませんでしたね。
父はほとんど家にいなかったので、「社長って大変なんだな」「仕事というのは必死でやるものなんだろうな」と肌で感じていました。
小学校の卒業文集を見返すと「ケーキ屋さんになります」と書いているんですよ。きっと、長男、次男が継いで、同じお菓子でも僕は洋菓子をやるんだと思っていたんじゃないでしょうか。
父は「好きな仕事をしていいぞ」というスタンスだったので、卒業後に電通九州に入社しました。
――16年勤めた電通九州を辞めるきっかけはあったのでしょうか。
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長男は高校生の時にファゴットという楽器と出会い、チェロを弾く妻とニューヨークへわたりました。オーケストラに入って、今も音楽活動しているんです。
一方で、自分と同じく早稲田大学のラグビー部だった次男にあたる兄は、卒業後にすぐ如水庵に入社しました。だから、2番目の兄が継ぐと思っていたんです。
兄とはよく一緒に飲んでいました。現場からのたたき上げで、不採算店舗を立て直して、孤軍奮闘で休みなく頑張っていたんです。
ただ、体を壊してしまって。「会社の歴史、規模、従業員の家族のことを考えると、ひとりではきつい。手伝ってくれ」と言われたのがきっかけでした。
「この兄を支えるために入ろう」と、電通九州を辞め、2016年に如水庵に入社しました。最終的には「お前がやれ」と親父に言われ、覚悟を決めて4月に社長に就任しました。
――お父さんとの関係はどうでしたか。意見の対立などなかったのでしょうか。
父は72歳になりますが、今でも少年のようなまっすぐな人なんです。私が入社して、これがやりたいと伝えたときに否定されたことはありません。「あいつに相談したほうがいいよ」「この本を読んだ方がいい」とアドバイスをくれることはありますが。すごく恵まれています。
――家業を継ぐ大変さをお父さんが知っているからでしょうか。
祖父が52歳で亡くなり、父は九州大の4年生のときに社長になったんです。祖母は会長にいましたが、ほかに相談する人がいませんでした。たくさん苦労しながらやってきたので、厳しい中にも優しさがあるのだと思います。
――長い歴史のある家業ですよね。
創業の時期が詳しくは分からないので、今は「不明」と言っていますが、1570-80年と言い伝えられています。50年社長をやった親父は、小さい頃から「お前が16代目だ」と言われて育ったそうです。ずっと長いあいだ、博多の地で商売をさせていただいています。
――長い歴史がありつつも、新しいアイデアの商品がたくさん発売されています。
看板商品は「筑紫もち」ですが、季節の果物が入った大福シリーズも売れ筋です。イチゴ大福が今ほど有名ではなく、東京に1社くらいしかなかった頃、祖母がイチゴ大福を「白あん」で包んで売り出しました。その頃は、フルーツが入った和菓子なんてなかったんですよね。
――疫病を退散させる伝説のある妖怪「アマビエ」のお菓子も話題になっていますね。
このアマビエの「疫病退散 上生菓子」はわたしが発案しました。新型コロナウイルスの影響が続くなかで、何か貢献したい、みんなが元気になる商品を作りたい、と考えました。
アマビエは熊本出身ですし、福岡と近い。アマビエをいかにきれいに美しくお菓子に仕立てるかが課題でしたが、職人が仕上げてくれました。
医療機関で働く人たちや、そのお子さんがつらい思いをされていると聞いていたので、医療・介護施設や学童保育にお菓子を届けました。学童には医療の現場で働く親の子どもたちが多いんです。
子どもの元気がきっと親を元気づけてくれると思って届けたところ、感謝のメッセージを頂いて……こちらが元気づけられてしまいました。
――新型コロナウイルスは事業にも影響していますか。
空港や駅といった人の動くところが、我々のビジネスの場所になっているので、大打撃を受けています。
2月ごろから、日本に来られるインバウンドや、出張の方の数が減って、3月は小中高と一斉休校になって……業績的にはさらに悪化しました。4月の緊急事態宣言後は前年比8割減です。
いろんな出来事のなかで父は「オイルショックがきつかった」といっていますが、それを超えるぐらいのショックで、危機的状況です。
――インバウンドにはどのように取り組んでいたのでしょうか。
私が如水庵に入社してすぐ、韓国向けのインフルエンサーマーケに取り組みました。
めいの彼氏が韓国人で、「筑紫もちを食べさせたら、『今まで食べたインジョルミで一番おいしい』と言ってたよ」と教えてもらったんです。
韓国の伝統お菓子にインジョルミというきなこ餅があるんですね。それが一番おいしかった、という言葉が刺さりまして。それから、韓国のブロガーさんに記事を書いてもらいました。広告ではなくそのままの感想を伝えてもらうと、それが拡散しました。
韓国の人は旅行前に、SNS・ブログで、日本で行くところ・買うものを決めてくるんです。うちの店舗に来て、スマホを見せて「インジョルミ」と言って買っていってくれました。
次に施策を進めるとしたら、毎年、研修生や大学生をインターンで受け入れている台湾かなと考えていますが……。
――どのように新型コロナの影響に対応しようと考えているのでしょうか。
これを乗り切ったら、私自身も、会社も成長できる、と考えています。「困難ほど燃える」ではないですけど、地域の人を元気づけるお菓子屋さんとしての役割を果たそうと、ある意味楽しんでやっています。
ラグビーをやっていたおかげなのか、グラウンドには監督がいませんし、想定外のことが起こります。それに対応するのが体にすり込まれています。それに人生は一度きり、楽しまなければ損です。仕事は人生の一部だと思っていますので、その仕事をやっぱり楽しむ。それが基本ベースにあります。
家業を継ぐときも、腹に落として納得して、「よしやろう」と自分の中で気持ちを持っていきました。「好きなことを仕事にする」ではなく、「仕事を自分の中で好きにさせる」という感じでした。
――会社の雰囲気についても聞かせて下さい。女性の従業員が多いんですね。
パート・アルバイト含め330人のうち、男性3割、女性7割です。ただ、管理職はまだ女性が2割ぐらいですね。
もともとは幹部が男性ばかりでしたが、前職時代から女性のリーダーシップを見てきたので、如水庵でも女性の管理職を育てたい思いがありました。入社してから、女性管理職を増やしていきました。
現場にも女性が多いので、女性の管理職が伝えた方がより伝わります。社内結婚も非常に多くて、3回ぐらい産休をとる人もいます。
――事業継続、成長のために考えていることは?
安定しているという意味で「老舗ですばらしい」と言ってもらうことがありますが、祖父やひいじいちゃん、ひいひいじいちゃんの話を聞いていると、その時代、時代で必死にやって変化に対応してきた結果、今があるということでしかありません。感動レベルのサービスを提供し続けて、その結果が今になります。
その一方で、枝葉を伸ばすというよりも、根を張って幹を強くしていきたいなと考えています。
社長に就任するにあたって、会社の歴史・経営理念、さまざまなことを自分の腹に落とそうと考えました。
経営理念に「お菓子は平和の文化、家庭の平和と世界の平和に貢献する」とあるんです。
祖父は、太平洋戦争でインパール作戦の生き残りでした。父は九州大学時代に学生運動が激しくて、友人が自ら命を絶ったこともあって、世界平和のために自分を捧げたいと思っていたそうです。だから人間主義の黒田官兵衛(号は如水)を尊敬し、屋号に「如水」を使わせてもらっています。
ですが、自分にとっては「世界平和」というのが遠く感じました。「庵」はなんなんだ、とも。
ひもといて調べると、「庵」は建物の最小単位なんです。
なぜ一番小さな単位を屋号につけたのかと突き詰めると、「目の前のお客様を大切にする」「ご満足頂く」のが「庵の心」なんだと思いました。
「目の前の人を大切にする」のが、世界平和への第一歩なんだ、というのが腹に落ちてきたんです。
しっかり根を張っていくために、先祖代々やってきたことを、自分の中に落とし込んでいく。これから変化していく上でも大事なことじゃないかなと考えています。
――今後、和菓子が生き残っていくために考えていることはありますか?
データを見て驚きましたが、お菓子のジャンル別の市場規模でいうと、和菓子は3番目なんです。スーパーにもお団子やおはぎが置いてあり、非常に親しまれています。
大豆、きなこ、小豆……和菓子は健康にいい素材を使っていることも伝えたいですね。今後、健康志向がさらに進むにあたって、ポテンシャルがあると考えています。
和食や日本酒が海外でブームになっているように、和菓子も好まれています。茶道や端午の節句、正月や冠婚葬祭など、和菓子は文化とセットになっています。これを世界に向けて発信していきたいと考えています。
――如水庵として取り組みたいことは?
どのビジネスも、今まで「規模が大きい」のがよしとされてきました。自分も広告代理店に勤めていて、規模を拡大してドライブかけていこうという考えた方でしたが、世の中の価値観が変わり、大量消費・大量生産ではなくなり、人口も増えるわけではありません。価値を高めていくことが大事だと思っています。
AIやIoTなど、便利になればなるほど、真逆の人のぬくもり・おもてなしが求められると思います。「庵の心」を長所として伸ばしていきたいですね。
――全国の後継ぎたちにメッセージをお願いします。
サラリーマンでも経営者でも一緒かもしれませんが、こういう時代だからこそ、困難を楽しみましょう。そこには自分が成長できるというチャンスがあるからです。
どんどん事業を拡大するのではなく、一番大切なのは「長く続けていく」ことです。
ぶれないように理念をもって、それをしっかりと社員に伝えて、じっくりじわじわと成長することを目指した方がいいんじゃないかと私は思っています。
――社長になる前、後と見える景色は変わりましたか?
言葉で表現するのは難しいのですが…明らかに違います。電通九州時代も刺激的な毎日でしたが、今は背負うものがさらに大きくなりました。そしてそれを幸せだと思えます。
つらいプレッシャーはありませんが、自分の判断ひとつで会社が大きく変わります。舵を切り間違えたら大事。一個一個の判断がしびれる。
44歳で社長になりましたが、いまが一番「生きているな」という感じです。
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