ゲイト

 本社は東京都墨田区。1999年、貸しビルの資産管理会社として創業し、現在は都内で「かざくら」「くろきん」などの居酒屋や、ボディケアサロンなどを運営する。2016年から三重県を拠点に水産業に参入し、定置網漁や水産加工場を手がけている。

再建もつかの間、過労で寝たきり

――子どもの頃は、父親とどんな関係だったのでしょうか。

 父は1972年ごろから東京都墨田区で、五月女商店というプラスチックの再生加工業をしていました。下町のおやじなので怖かったけど、ずっと一生懸命働いているのは知っていました。

 ただ、僕が中学2年生の頃、近所に100円ショップができ、プラスチックのバケツが100円で売っていました。それは、父が扱っていたプラスチック原料の樹脂よりも安かったのです。父は「勝負にならない」と工場を閉め、信用金庫にお金を借りて、同じ場所に賃貸ビルを建てました。

 学生の頃から学習塾など色々な商売をしていましたが、父の経営にはノータッチでした。しかし、24歳の時に久しぶりに家に帰ると、父も母も青い顔をしていました。ビル経営がうまくいかず、年間売り上げが1千万円しかないのに、金融機関への支払利息だけで1千万円ありました。

 秋葉原に行ってパソコンを買い、ソフトでシミュレーションして、「5年後に事業が消滅する」と説明しました。私が実質的に仕事を継いで、1999年に作った資産管理会社がゲイトです。不動産賃貸業でお客さんを獲得したり、銀行と金利の交渉をしたりして、お金が回るようになりました。

ーーそこからどのような道を歩みましたか。

(続きは会員登録で読めます)

ツギノジダイに会員登録をすると、記事全文をお読みいただけます。
おすすめ記事をまとめたメールマガジンも受信できます。