「斜陽産業の日本茶が生き残るため」6代目が狙いを定めたターゲット
石川県加賀市の老舗日本茶専門店・丸八製茶場は、新茶と比べて2級品とみられていた「ほうじ茶」を看板商品にしたことで知られます。6代目社長の丸谷誠慶さん(42)はマーケティングに力を入れて、若者向けのティーバッグを開発するなど、改革を加速させています。
石川県加賀市の老舗日本茶専門店・丸八製茶場は、新茶と比べて2級品とみられていた「ほうじ茶」を看板商品にしたことで知られます。6代目社長の丸谷誠慶さん(42)はマーケティングに力を入れて、若者向けのティーバッグを開発するなど、改革を加速させています。
江戸時代末期の1863年(文久3年)、石川県加賀市で創業。加賀藩前田家が奨励した製茶の歴史とともに、日本茶専門店として歩んできました。1983年に製造した「献上加賀棒茶」がヒットし、卸から直販の会社になりました。今では金沢駅や富山駅の構内など5店舗を運営し、オンラインショップも充実させています。
江戸時代から続く丸八製茶場の新境地を開いたのは、誠慶さんの祖父で4代目の誠長さんでした。1983年の全国植樹祭のために来県する昭和天皇の宿泊先だった地元ホテルから「最高級のほうじ茶を」という依頼がありました。誠長さんが、5代目の誠一郎さんと作り上げたのが「献上加賀棒茶」 です。
当時の日本茶は、冬越えの後の新芽(一番茶)を緑茶として販売し、ほうじ茶は二番茶、三番茶でつくられるものでした。「献上加賀棒茶」はもっとも価値の高い一番茶の茎の部分を素材に、独自の遠赤外線バーナーで浅煎りにする技術を加え、独特の風味をかもす一級品の「ほうじ茶」として誕生しました。陛下への献上後、廉価品の10倍もする100グラム1000円で販売。それまでの丸八製茶場は海外産の原料も使い、安さを追求する卸会社でしたが、献上加賀棒茶を機に、高品質・高価格の商品作りへと大きく舵を切りました。
誠一郎さんの長男だった6代目の丸谷さんは、その当時まだ幼く、両親から跡継ぎとしての期待やプレッシャーをかけられることもありませんでした。「唯一、父方の祖母には『みどり(お茶) を飲みなさい』とよくお茶を入れてもらい、ことあるごとに『頼むね』と言われたことは心に残っています」。地元の高校を卒業後、進学した大阪大学では基礎工学を専攻し、大学院にも進んだという根っからの理系で、卒業後はカーナビゲーションのメーカーにシステムエンジニアとして就職し、神戸市で働きました。
「父は大学卒業後、すぐ家業に入りました。自分とは違う経験をさせたかったのか、30歳までは好きなことをしたらいいといわれたので、別の会社に就職しました」。それでも、心の中には家業への思いがありました。丸八製茶場の創業150年の節目が2013年に迫っていたこともあり、30歳になる年に、4年間の会社員生活にピリオドを打ち、加賀の地に戻りました。
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丸八製茶場に入社後は製造現場を経て、父・誠一郎さんのもとで経営者としてのノウハウを学びました。「祖父の功績が献上加賀棒茶だとすれば、父は卸業から直販へと商売の業態を変えるのに尽力しました。ネット販売にも力をいれていて、個人の固定客や直営店での販売も含めて6~7割が直販になっていました。直販だからこそ安売りしないで高品質を保つことができたと思います」。経営改革に挑んだ祖父や父に続いて、何ができるだろうか。後継ぎとして自問自答しました。
専務だった丸谷さんが出した答えが、新たなマーケティングでした。「斜陽産業の日本茶が生き残るために、現代のライフスタイルやユーザーにあわせた商品が必要だと考え続けました」。いわば、「仏事から慶事」「高齢者層から若者」へのターゲットの切り替えです。「『お茶を濁す』というネガティブな言葉があったり、香典返しがお茶だったり・・・。お茶のイメージを変えるには、ターゲットを明確にすることが必要でした」
父は強力なリーダーシップを発揮し、時には社員とぶつかることも辞さなかったといいます。しかし、丸谷さんは「父のような社長にはなれない。だから僕は社員が力を発揮しやすい場をつくることで、会社を伸ばそうとしました」。初めて、部署をまたいだ商品開発チームを結成し、自分たちならどんな商品がほしいかを徹底的に話し合いました。
「働く女性」「ワンコイン」「手軽」などのキーワードをもとに、外注していた既存のティーバッグ商品を一から見直して誕生したのが「加賀いろはテトラシリーズ」です。特徴的なテトラ(四面体)に茶葉を包み込み、味や香りを十分に引き出す工夫を凝らしました。1箱の個数を6個に抑えることで、高品質でありながら、値段はワンコイン以下になりました。
特徴であるポップなパッケージデザインは、石川県の伝統工芸品・九谷焼の若手作家・上出惠悟さんによるものです。当時、上出さんはクタニシールという、転写シールを貼って九谷焼を親しみやすくする新商品で新風を巻き起こしていました。伝統世界の中で新しいものにチャレンジする精神に共感し、デザインを依頼すると快諾してもらいました。梅や松などの植物と動物をあしらった明るい模様は、女性から歓迎され、普段使いのほか土産物としてのニーズも高く、丸八製茶場の売り上げは右肩上がりを続けています。テトラシリーズは献上加賀棒茶とともに看板商品になりました。
丸谷さんは35歳で社長に就任しました。茶葉を出発点にするのではなく、テトラシリーズのように、まず消費者のニーズを掘り下げて、商品を開発するという姿勢はゆるぎのないものになりました。その象徴が、父の代から続いていた新茶の予約販売をやめたことでした。その年最初の新芽を摘み取って作る「新茶」は、日本茶を扱う店としては欠かせないもので、丸八製茶場でも鹿児島や静岡の契約農家から仕入れた新茶を販売してきました。
やめるきっかけになったのは、若いスタッフの「ほうじ茶の店なのだから、ほうじ茶に特化するべきでは」という一言でした。丸谷さんははっとしました。「新茶の予約数は毎年減っていました。スタッフにとっても新茶を仕入れて発送するだけの商品になっていて、思い入れが生まれないことに気が付きました」
代わりに始めたのが、新茶の茶葉を仕入れて自社で焙じて作る「初夏焙茶」(しょかほうじちゃ) の予約販売です。これまでのほうじ茶づくりは、良質な茶葉を仕入れてその風味をいかして焙煎するという流れでした。しかし、丸谷さんは顧客が飲むシーンから思い描くことを出発点に、それに合う茶葉を探すという逆転の発想で始めました。
例えば、今年の初夏焙茶は「さわやか」をテーマに、ラフに、お酒でいえばカクテルのようにお茶を楽しんでもらうというイメージを固め、それにあった「フルーティーな茶葉」を探したといいます。この発想は、今まで取引のなかった農家の開拓につながりました。初夏焙茶は、固定客を飽きさせず、従業員が自社の商品に誇りをもって働くという効果ももたらしているといいます。
丸谷さんが社長に就任して2年後の2015年に、北陸新幹線が金沢駅までつながりました。最大の追い風が吹く中、思い切った決断をします。丸八製茶場の直営店のひとつで、観光地の金沢市東山にある直営店「一笑」(いっしょう)を、半年間休業してリニューアルしました。
それまでは大勢の客が訪れると、喫茶スペースでお茶を飲んでいる人のすぐそばで、お土産を買う人が長い行列を作るのが当たり前になっていました。わざわざお茶を飲みに来た人が、くつろげずに慌てて飲んで店を出る姿は、店が目指した「お茶をゆっくりと味わってもらう空間」とはかけ離れていました。「一笑は直営店の先駆けです。手を入れるのはとてもつらく、休業すれば売り上げにも響くのは明らかでした。ただ、私たちの目指す店ではないことは明らかでした。立ち直るには早いほうがいいと思い切りました」
築140年という町屋の外観はほぼ維持しながらも、物販コーナーと喫茶スペースの入り口を完全に分け、ゆったりとお茶を楽しめる空間へと生まれ変わりました。さらに、2019年には、2階を「一笑+(いっしょうぷらす)」と名付けたコワーキングスペースにしました。ここではフリードリンクのコーナーを設け、丸八製茶場のお茶が好きなだけ飲めます。「自分できゅうすを使ってお茶を入れる体験をしてもらい、家庭でお茶を飲むという習慣を取り戻したいのです。お茶を入れる、入れてもらうという体験を通じて、人と人のつながりやコミュニケーションの機会を提供したいと思います」
丸谷さんが社長に就任して6年が経過しました。「父から学ぶことはまだまだたくさんありますが、時代も違いますし、これからやるべきこと、作っていくことは自分で考えなくてはいけません」。いま刺激を受けているのが、2014年に全国の老舗企業6社の後継ぎで結成した「HANDRED」というプロジェクトです。メンバーは丸八製茶場のほか、無添加蒲鉾の「鈴廣蒲鉾本店」(神奈川県小田原市)、名酒「真澄」で知られる宮坂醸造(長野県諏訪市)など、名だたる老舗企業ばかりです。100年(HUNDRED)、手作り(HAND)、失われつつあるという意味で用いたレッドデータブック(RED)の3つを組み合わせたのが、名前の由来です。
会社同士は元々つながりがありましたが、2015年、和食がテーマのひとつだった「ミラノ国際博覧会」へ参加 しようと、後継ぎ世代がつながり始めました。月1回のミーティングや飲み会を重ねるうちに、結束が固まりました。
その結果「博覧会よりもおもしろいことをしよう」と、博覧会に参加する代わりに、2016年、東京・新宿の伊勢丹百貨店で、メンバーがプロデュースした食の催事を1週間開き、志を同じくする全国の店を紹介しました。岩手県の豚肉と、HANDREDのメンバーの製品である調味料を組み合わせたシュウマイなど、この場限りのコラボ商品が好評を博し、昨年は他の百貨店でも催事を開きました。
メンバーたちは、効率化の名のもと、伝統的なものづくり企業が消えてゆく現状に心を痛めていました。丸谷さんは「自分たちがメディアになることで、自社だけでなく、全国各地で長年培われてきた手仕事や伝統産業を紹介するという情報発信が、役割だと思っています」。それぞれが積極的にメディアに登場するほか、HANDREDのFacebookでトークライブも開いて活動を広げています。
切磋琢磨する後継ぎ仲間を得た丸谷さん。歴史と伝統が息づく街で、日本茶の魅力を次世代に伝える挑戦を続けていきます。若い世代の後継ぎには、力強いメッセージを送りました。「社長就任時のことを振り返ると、怖いくらい何もわかっていなかったと思います。だからこそ、学びつづけるしかないし、どこにでも足を運び、人に会うことが重要だと思います」。100年先、そしてもっと先の未来を見据えて、改革の手を緩めることはありません。
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