丸八製茶場

江戸時代末期の1863年(文久3年)、石川県加賀市で創業。加賀藩前田家が奨励した製茶の歴史とともに、日本茶専門店として歩んできました。1983年に製造した「献上加賀棒茶」がヒットし、卸から直販の会社になりました。今では金沢駅や富山駅の構内など5店舗を運営し、オンラインショップも充実させています。

祖父と父が開いた老舗の新境地

 江戸時代から続く丸八製茶場の新境地を開いたのは、誠慶さんの祖父で4代目の誠長さんでした。1983年の全国植樹祭のために来県する昭和天皇の宿泊先だった地元ホテルから「最高級のほうじ茶を」という依頼がありました。誠長さんが、5代目の誠一郎さんと作り上げたのが「献上加賀棒茶」 です。

 当時の日本茶は、冬越えの後の新芽(一番茶)を緑茶として販売し、ほうじ茶は二番茶、三番茶でつくられるものでした。「献上加賀棒茶」はもっとも価値の高い一番茶の茎の部分を素材に、独自の遠赤外線バーナーで浅煎りにする技術を加え、独特の風味をかもす一級品の「ほうじ茶」として誕生しました。陛下への献上後、廉価品の10倍もする100グラム1000円で販売。それまでの丸八製茶場は海外産の原料も使い、安さを追求する卸会社でしたが、献上加賀棒茶を機に、高品質・高価格の商品作りへと大きく舵を切りました。

 誠一郎さんの長男だった6代目の丸谷さんは、その当時まだ幼く、両親から跡継ぎとしての期待やプレッシャーをかけられることもありませんでした。「唯一、父方の祖母には『みどり(お茶) を飲みなさい』とよくお茶を入れてもらい、ことあるごとに『頼むね』と言われたことは心に残っています」。地元の高校を卒業後、進学した大阪大学では基礎工学を専攻し、大学院にも進んだという根っからの理系で、卒業後はカーナビゲーションのメーカーにシステムエンジニアとして就職し、神戸市で働きました。

丸八製茶場が富山駅構内に開いている店舗(同社提供)

 「父は大学卒業後、すぐ家業に入りました。自分とは違う経験をさせたかったのか、30歳までは好きなことをしたらいいといわれたので、別の会社に就職しました」。それでも、心の中には家業への思いがありました。丸八製茶場の創業150年の節目が2013年に迫っていたこともあり、30歳になる年に、4年間の会社員生活にピリオドを打ち、加賀の地に戻りました。

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