社長としての仕事は「ハブ」になること

 ビューティ・クリエーション片山は、男性が4名、女性が14人という小ぶりな会社です。業務内容は化粧品に関わる「すべて」だと片山謙次さんは言います。

 「一般的には化粧品を作る仕事をしていますとよく言うんですが、正確には作っているだけではなくて、企画・開発・製造、それから教育、研修をおこなっています」

 教育・研修とは、例えば製品を同社がOEMで製造している全国展開のエステティックサロンを訪れ、社員が化粧品の成分や効能についてレクチャーしたり、使い方などを教えたりすることです。製造するだけでなく、その後のサポートまでを継続的におこなうのが強みです。

 片山さんの社長としての仕事は、クライアントの長と繋がること、会社のスタッフと繋がることの2つ。つまり「ハブ」になっているのです。

 「私たちみたいな中小企業は、人の繋がりが消えるとそこで仕事も消えていくので、商品力だけでは戦っていけないところがあります。どうしても、気は心というところがありますよね。僕が会社のトップと繋がって、スタッフが向こうの会社のスタッフと繋がって、両方がリンクしないと仕事にならない。そして経営者同士のアイディアと従業員同士のアイディアを絡めながら仕事をしています」

 今でこそすっかり社長業が身についた片山さんですが、ここに至るまでは様々な苦労がありました。

社長は姉がやるものだと思っていた

 「母が76歳の時に社長を継いだのですが、それまではまったくそのつもりはなかったんです」と片山さん。「姉がこの会社で今も専務をしています。だから事業承継は姉がやるものだと思っていました」

 その理由は、片山さんが既に社内で別の事業を担っていたからです。

 「僕はもともと経理畑なんですよ。母の伝手で会計事務所に入り、23歳から29歳まで会計事務所にいました。母の会社には経理担当として30歳の時に入ったんですけれど、何か別の事業もやらなきゃと思い、飲食事業を始めました」

 波はありながらも、飲食事業は順調に進んでいた。

 「母が75歳くらいの頃に、もうそろそろ社長業は気力的にも体力的にも無理だと言い出しました。じゃあ、誰が社長をやるんだという話になったときに、姉が絶対に私はいやだと。まさかの返事だったんですけれど。母も、社長は男性のほうがいいんじゃないかと言うんです。まあ、昭和11年生まれで古い人間ですからね」

 片山さんも、飲食業はどこかでイグジットしようと思っていたこともあり、社長を引き受けることにしたのだといいます。

 「私は40歳まで青年会議所にいたのですが、それが終わったら交替しようということになりました。専務の立場から社長になるだけでそんなに大きく変わりはないだろうと思って『じゃあいいよ、オレがやろうか』と。事業承継とかそんな言葉さえわかってないし、何も考えずになっちゃったんですよね」

大阪の自社工場にも足繁く通う片山さん(写真左)

ひとりで解決するしか抜け出す道はない

 実際、社長になってみると何もかもが想像とは違っていたと言います。

 「もう、全部が変わりましたね。簡単に社長になんかなるものじゃないです(笑)。例えば、今までは『社長に確認します』と言って逃げられたものが、まったくもって逃げられない。クライアントといると『ここに社長がいるから、今決めてもらえ』と言われる。当たり前ですが、自分が決めなきゃいけないんですよね。売り上げに関しても、専務の時は数字をそこまで気にしたことがなかったのが、すごく気にするようになって」

 前年に比べて売り上げが半分くらいに落ちた時、どうしようかと夜も眠れない日々が毎日続く。それは社長になる前はなかったことだと言います。

 「今まではどこかで、社長がいるから、何かあったら当然、社長が責任を取ると思ってたんですが、自分がやらなきゃいけなくなった。社員も10数人いて、給料も払っていかなければいけない。そういう感覚は、社長にならなければ本当にわからなかったことです」

 始めは何が何だかわけがわからず、どうして自分はこんなことを考えなきゃいけないんだろう、今自分はどうしなきゃいけないんだろうとひたすら考える日々でした。

 「ふと気づいた時に、会社の中で相談できる人が誰もいなくなっていたんです。簡単に言うと、孤独以外のなにものでもないんです。同じ問題とかつらさを共有することができなくなったんですよね」

 現会長である先代社長にもずいぶん相談したそうです。

 「でも不思議なもので、答えが上手に返ってくることがないんですよ。多分、もう社長じゃないからなんです。結局、ひとりで解決するしか抜け出す道はない。たとえば誰かにサポートしてもらったら楽に超えられると思うんですけれど、楽に超えてしまったら、次が来たとき超えられないんですよ」

新しい顧客を開拓していった

 戸惑いながらも片山さんは次第に自分流の仕事を見つけ出し、着実に業績を上げていった。

 「数字で言えば、この7年間で3倍くらいまで上げることができました。スタッフが、新しい社長になったから私たちががんばらなきゃと動いてくれた。それがいい方に向いたのかなと思います」

 片山さんならではの仕事の仕方とはどういったものだったのでしょう。

 「先代はどちらかというと自分のテリトリーの中で仕事をするタイプで、クライアントを増やすということをあまりしなかったんです。私は、新規のクライアントを増やすということをひたすらやって、いくつか仕事がもらえるようになってきました」

 そういった「新しい仕事」が来ることは会社にとっても新しいことでした。

 「新規のお客さんとの仕事にメンバーがとても楽しそうに取り組んでくれる。だんだん、いい雰囲気ができてきました」

 社長にとって重要なのは、方向性をしっかり示すことだと言います。

 「実はそれが合ってるか間違っているかはどうでもよくて、社員全員がその方向を向けるかどうかということが大事なんだと思うんです。それぞれに矢印が違う方向を向いたら、どこにも進まないじゃないですか。私は、毎年1月の初日に『今年はこうやっていくんだ』ということを決めて宣言するんですけれど、社員が、素直に一致団結してくれたことが良かったんだと思っています」

クライアント向けの講演では化粧品はもちろん、美容の話もする

中国ビジネスの失敗から新たなチャレンジへ

 初期の葛藤を除いては順風満帆に聞こえる片山さんの7年間ですが、失敗もあったのでしょうか。

 「けっこうありました。たとえば中国向けのビジネスですね。商品はすごく売れたんですけど、本当の意味での商売にはならなかったんです。もともと化粧品のよさを伝えたいという理念があってやっている仕事なのに、結果的にその化粧品のブランドを毀損してしまった。模倣品を作られてしまったりもしました。もっと相手の国のことをしっかり理解してからやるべきだったんです」

 そこで、一から出直しを図りました。

 「一度失敗したことを反省し、その失敗をなんとかきれいにして、2つのオリジナルブランドを去年の夏、中国の『T-mall』に出店することができたんです。やっと新たなスタートラインに立てた。6年くらいかかりましたね」

 最後に、社長としてのこれからのチャレンジについて聞いてみました。

 「つい先日まで、会社の規模が20人を超えないようにしようと思っていたんですよ。膝をつき合わせて語れないのは僕のやり方に合わないし、どうしても『人』がすごく大切ですから。しかし、今回、スタッフがたった4人でZoomを使っていろんな店舗とカウンセリングをして、すごい成果を出してきました。売り上げを維持するどころか前年比5パーセントほどアップしましたし、東北から沖縄までの出張費はゼロ。それに、社員が安全な状態でウイルス感染を心配せず仕事ができる。Zoom越しですと、お客様がより集中して聞いてくださるという発見もありました。そうなると、フェイス・トゥ・フェイスじゃなくてもそこに糸口ができるのかもしれないなというのは感じました」

 もしかしたら、これまで、スタッフの可能性を広げることを止めていたのかもしれないと感じたという片山さん。

 「チャレンジは何かというと、20人以内でやっていこうという思い込みをぶっ壊すことでしょうね。ぶっ壊して、増やしていった方がいいのか、今のままがいいのかを考えてみたい。最終的な目標は、スタッフがさらに自分の技能を活かせて、それが誰かのためになること、美容という仕事を通じて、世の中に貢献していけることですから」