私が、父の営む「石坂産業」(埼玉県三芳町)に入ったのは30年近く前になります。娘ですが、会社のことを全く知りませんでした。当時は「まあ、ネイルサロンでもできたらいいな」という感じでした。

 初めて工場の中を見たとき、感動したことを良く覚えています。一日300台くらいの廃棄物がダンプで運ばれてくる過酷な現場の中で、従業員が一生懸命ゴミを選別している姿に感動しました。

 事務の手伝いをしていたので、たくさんの電話を受けました。「とにかく料金を安くして欲しい」と。みなさんにとって不要な、廃棄物を片づける会社ですから、できるだけ安くして欲しいという要望です。しかし、それでは働く人たちへの負担につながってしまいます。企業として新しい投資もできない。投資できなければ技術開発も出来ない。いわゆる「価格だけで選ばれる」会社であることに違和感を覚えていました。

創業のビジョンに感動「私を社長に」

 会社を取り巻く状況が大きく変わったのは1999年でした。地元周辺の農作物がダイオキシンで汚染されていると報道され、産廃業者である私たちに「出て行け」とバッシングが起きました。毎日のようにプラカードを持った人たちがたくさん来て、戦争のような日々でした。「反対運動を起こされるような会社とは取引をしたくない」と契約を廃棄されたり、某大手のゼネコンさんには「あなたのところに廃棄物は持って行けない」と言われたり。

石坂産業のリサイクル現場

 でも、反対運動を起こされても廃棄物はなくなりません。私たちに反対しても、廃棄物はよそで処理されるだけ。この場所でだけ処理されなければいいという問題ではありません。だからその社会がおかしいと思ったんです。

 そんな時、父から事業を始めたときのビジョンを初めて聞きました。社長室で初めて2人っきりで、話したんですよ。父はこう語ってくれました。

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