小杉湯で新企画が生まれる理由 3代目「やりたいことをやっちゃいなよ」
87年の歴史がある東京・高円寺の銭湯「小杉湯」。2016年に家業へ戻った3代目の平松佑介さんは、1日に1000人を超えるお客さんが訪れる銭湯へと成長させました。「銭湯は『ケの日のハレ』。人の集まってくる小杉湯という〝環境〟を大事にしている」と言います。(聞き手・広部憲太郎、構成・水野梓)
87年の歴史がある東京・高円寺の銭湯「小杉湯」。2016年に家業へ戻った3代目の平松佑介さんは、1日に1000人を超えるお客さんが訪れる銭湯へと成長させました。「銭湯は『ケの日のハレ』。人の集まってくる小杉湯という〝環境〟を大事にしている」と言います。(聞き手・広部憲太郎、構成・水野梓)
――幼い頃から銭湯が遊び場だったと聞きました。学生時代までは家業にどんな思いを抱いていましたか。
3人きょうだいの長男で、振り返ると「歌舞伎」みたいな感じでした。地域のおじいちゃんおばあちゃんが遊び相手で、悪気なく「3代目」「次はお前が頑張れよ」と言ってきます。
小さな頃から「やらなきゃいけない」という思いが植え付けられました。
――大学を出てからは、住宅メーカーで営業を経験されましたね。
継ぐことには「社会が狭くなってしまうんじゃないか」という恐れがありました。
「売る側」を経験したいと思い、スウェーデンハウスに入社して営業を担当しました。入社4年目で全国1位をとって、やりがいもありました。
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30歳ぐらいになったら継ごうかなと思っていましたが、20代って本当にあっという間に終わります。やり足りない思いもあって、一緒にやりたい仲間と出会ったので、会社を辞めて株式会社ウィルフォワードを創業しました。
――平松さんはどんな事業を担当していたのですか?
僕がやっていたのは人事・採用のコンサルです。採用が難しい企業とか、同じような家族経営の企業のお手伝いもしていました。
――その後、30代半ばで家業に戻る決断をしたのはどうしてだったのですか。
むしろ、36歳でようやく決断ができたと言った方がいいと思います。将来が決められている中で反発したことや挫折も経験しましたが、将来の道筋があるからチャレンジできたこともありました。
「家業を継ぐ」ことが軸となって僕の36年がありました。今かな?今じゃないかな?という判断を繰り返していたんです。
最終的には、自分の子どもの影響が大きかったです。休みの日に一緒に遊んでいたら「お父さん仕事に行かないでね」と言われてしまいました。僕は家業で育っているので、帰れば父母は家にいる存在でした。
自分の描く父親像とギャップがある。自分の子に「ただいま」じゃなくて「お帰り」と言ってあげたい。そんな思いから、長女の誕生日で銭湯の日でもある10月10日に小杉湯に戻り、2019年5月1日に3代目経営者となりました。
――利用者減少で、全国的に銭湯の数が減っています。業界が厳しい状況の中、小杉湯の経営はどんな未来を描きましたか。
生まれた時から銭湯業界は厳しく、よかったときを知りません。小さな頃から「実家が銭湯」という話をすると「大変だね。でも壊してマンションにすれば一生遊んで暮らせるよね」と悪気なく言われていました。
それでも、両親がとても楽しそうに働いていて、小杉湯が愛されている実感がありました。だから業界が厳しいことは、ネガティブにもポジティブにもとらえていなかったです。
――ただ銭湯を継ぐだけではなく、プロジェクト「銭湯ぐらし」を始めました。アイデアの源はどんなところにありますか?
もともと「銭湯ぐらし」は小杉湯に来てくれていたお客さんに声をかけています。小杉湯で出会って集まって、つながった人たちが、たまたま建築家・イラストレーターで、「風呂なしアパートを銭湯暮らしにしよう」とアイデアを出してくれています。
これこそ「ジャニー喜多川理論」ですよ。「みんながやりたいことをやっちゃいなよ」といかに言えるどうか。僕は、小杉湯という環境を管理している家守です。
プロジェクトや採用に関しては、小杉湯が「人が集まってくる環境」であることがすごく大きいと思っています。昭和8年から続く87年の積み重ねがあります。
事業承継を通して、歴史があって、世代を超えて続く商いというのは大きいものだと実感しています。
当たり前のように87年間続いていたので、みんなにとって50年後も100年後も在り続けるもの、なくなったら困るものになっています。
――「銭湯ぐらし」は人との交流の場をつくるコンセプトで始まったのですか?
そこまで大きな理由はありませんでした。たまたま1年間、空き家になってもったいないので、家賃はゼロで、銭湯とそれぞれみんなの好きなことをかけ算して、新しい価値を生み出しちゃおうよ!という感じでした。
――銭湯は値段で差をつけられません。差別化はどんなところではかっているのでしょうか。
30~40年先を見据えた経営をして、子どもに安心して継承できるかを考えると、まず銭湯に来る人を増やさなければいけません。新しいかけ算をして、新しい価値をつくっていくことは大事だと思っていました。その結果として、新しいプロジェクトがあります。
創業も経験した上で感じるのは、「家業って駅伝みたいなものだな」ということです。ベンチャーは、自分が選んだ種目でいかに速く走れるかを競います。
一方で家業は、タスキをいかにつないでいけるかです。小杉湯は、初代・2代目と良いタイムで走ってきた事業になります。3走目の自分がベストを出せないのはよくない、と思っていました。
事業の最大の目的は続けることです。だから、家を継ぐときは、第2走者から受けとったものを自分の子に受け継いでいけるかどうかを考えました。
――若い人にとっての銭湯の魅力はどんなところにあると思いますか。
銭湯には、体を整える、心を整える、レジャー感覚、地域のつながりを感じられる――という四つの魅力があると思っています。
それぞれがいろんな理由で銭湯に来て下さいます。日常の延長線上で、ホッとできる、幸せを感じられる場が求められていると思います。大事にしているのは「ケの日のハレ」です。
住んでいる街に知っている顔やつながりがない、孤独を感じている人は多いのではないでしょうか。コロナの影響でそれがさらに加速している印象です。
お風呂が目的で訪れたけれど、「地域の人とつながれた感じがする」ことにホッとする。みんな都市のサードプレイスを求めているのだと思います。
――小杉湯ではさまざまなイベントも開かれていますね。
音楽ライブや演劇、落語、ダンス、アートとの組み合わせなど、いろいろなイベントが開かれています。
銭湯に来る人を増やしていく意味もあります。銭湯に来たことがない、入ったことがない人もいます。非日常の体験として来てもらって、「近くの銭湯にいってみたいな」という人が増えてほしい。
ですが、イベントは僕の企画よりも「こういうことやれないですか」という持ち込みの企画が多いですね。クリエイターとかアーティスト、僕では分からない価値とか意義を教えてもらえます。
――今年3月にオープンした交流スペース「小杉湯となり」はどんな経緯でスタートしたのでしょうか?
「銭湯ぐらし」のプロジェクトをやって、みんなで実感したのが、銭湯のある暮らし、余白のある暮らしの大切さでした。それを伝える場所にしたいと考えました。
「不動産活用」といえば、アパートを建てるのが一般的です。でもアパートを建てても効果は限定的です。銭湯のある「暮らし」自体を体験できる場としてコンセプトをつくっていきました。
――銭湯に並列する、新たな収益の柱に育てていく計画なのでしょうか?
「小杉湯となり」も僕がつけた名前ではなくて、一番大事にしたのは「新たな挑戦をしたい」という仲間たちが、納得感をもって進められることでした。
みんなが理想とする暮らしをつくっていくんだ、というのを重要視して、2年間で200回ぐらいミーティングを重ねました。
――銭湯と「小杉湯となり」との相乗効果をどんな風に考えていますか。
家業に戻ったときから、銭湯「小杉湯」という「点」だけで考えるのは難しいというのは感じていました。点から線へ、さらに面にして、街へ広げていくことをやっていかなければいけない。
銭湯の前後の暮らし、ライフスタイルを考えながらやっていく。時間ができたときにふらっと寄れる場所にしたいと思いました。銭湯という場は、サードプレイス戦略を掲げているスターバックスに近いと思っています。
前後の暮らしも考えていくことで、銭湯としての生き残りはもちろん、顔の見える地域の人ともつながりあって生きていくことが大事だなと思います。
――3月16日にオープンした「小杉湯となり」。すぐに緊急事態宣言が出た厳しいタイミングでしたが、コロナの影響はどうでしたか。
小杉湯の経営も、小杉湯となりも大変でした。
銭湯は客足が6割まで減りました。でも、小杉湯には常連が6割もいた、ということでもあります。常連のお客さまは小杉湯が生活の基盤になっています。
小杉湯で働きたいと声をかけてくれたスタッフはみんな高円寺に住んでいて、緊急事態宣言中も働けます。「小杉湯となり」のメンバーも、もともとアパートに集まってきたメンバーなので高円寺周辺にいます。
周辺の飲食店のテイクアウトを利用すれば、小杉湯のメンバーが買ってくれます。モノや人がぐるぐる循環するかたちをつくることができました。
「小杉湯」という環境にみんなが集まるので、小さな共同体の中で、人と物とお金がぐるぐる循環して生き延びられる「つながり」づくりがすごく大事なことだと思いました。
銭湯のお客さんは、今は8割ほどが戻ってきています。
「小杉湯となり」は、月額2万円で自由に使える会員制のセカンドハウスとして運営形態を変えることにしました。現在は第一期の45人の定員が埋まっています。
トータルで思ったのは、「気持ちが折れなければ大丈夫だな」ということです。
僕だけじゃなく、集まってきてくれた仲間たちの気持ちが折れないように気をつけました。そのためには対話を重ねることがすごく大事です。
withコロナ、アフターコロナの時代には、内側の強さをじわじわと外側へ広げていって、小さな共同体をつくっていくことが大事だと思います。
――小杉湯に集まってきている人たちと世界観の目線合わせはしていますか。
大前提として、集まってくる仲間も、人ではなく小杉湯という環境に集っています。僕ではなく場所に対してひもづいています。銭湯の可能性や力を信じているので、小杉湯を基準に世界観のすりあわせをしました。
人の考え方やビジョンを基準に対話をしてしまうと、人が人を評価してしまうので難しいです。
場所は人を評価しません。銭湯や、小杉湯となりから生まれる暮らしには、それぞれの価値観や捉え方があっていいと思います。
小杉湯を続けていくことを目的にする中で、大事なのは、愛があってお互いに与え合う仲間と、いかに挑戦をし続けられるかだと思います。
――今後の新事業など、見据えていることはありますか?
30~50年先も小杉湯を続けていくことです。高円寺の点のつながりをつくって、まちづくりを自分たちの手でやっていくことだと思います。
――仲間たちと事業を運営していく中で、心がけていることはありますか?
自分で立ち上げた事業でもないし、僕があんまり小杉湯を「所有物」としてとらえていないところがあります。
ただ、「銭湯を開いている」というのは意識しています。あくまでこの環境を生かして、関わってくれた人の願望がかなっているかどうかが大事です。関わる人のひとりひとりが、自分の物語を生きるために、環境をどう活かせるかを考えています。
――最後に、後継ぎ仲間へメッセージをいただけますか。
挑戦中の身なので、えらそうなことはいえないんですが、家業を背負う後継ぎ同士が話すときに共通した価値観や考え方ってあると思います。
僕は、家業を継ぐことの後ろめたさとして、「社会が狭くなる・孤独になる・世界が狭くなる」という捉え方をしていました。覚悟を持つのに36年かかったんです。
結果的には、今まで以上に多くの仲間が集まってきてつながれて、チャレンジができています。事業承継を応援するメディアが出てきたり、SNSを通して後継ぎ同士のつながりが生まれたり。後継ぎとして悩んでいる人が、共通して抱えているネガティブなことは、時代が解消してくれていると思います。
ひとりじゃないし、孤独じゃない。僕も含めて仲間だと思うので、後継ぎ世代へのメッセージは「一緒にやりましょう!」ですね。
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