「こんな会社、知らない」身にしみた学歴社会

 中里は、家業を継ごうとは思っていなかった。東京のとある私立大学に通っていたとき、証券マンとして風を切っている姿を思い描いていた。

 兜町がオレを呼んでるぜ!

 だが、証券会社は、入社試験さえ受けさせてくれなかった。あなたの大学は枠外です、と。名もない商社に入った。営業担当として、いろいろな会社に飛び込むのだが、アポがないのでダメ。「こんな会社、知らない」と名刺を破られ、水をかけられ。
 学歴社会、名刺にある社名がものをいう。そんな世の中の現実が身にしみた。

毎晩「飲みに行ってくる」。行き先は真夜中の工場

 父親から会社が危ないと聞き、24歳で家業に入る。こんな言葉がある。

 「ダメでも専務、だれでも常務」

 つまり、同族企業の場合、一族出身の人間は、どんなヤツでも肩書をもらえるということである。
 中里は、そんなエラい肩書はもらわなかった。けれど、工場の人たちの視線は厳しい。認めさせるには、自分が努力をして、工場の人たちを認めさせなくてはならない。
 中里は下戸。つまり、酒が飲めない。でも、毎晩、親に、「飲みに行ってくる」と家を出た。行き先は、工場。真夜中、ひとりでバネづくりを練習した。

「日本一楽しい会社」の経営判断

 そして、ある日。工場の人たちの前で、バネをつくって見せた。みんな、中里の存在を認めた。31歳で会社を継ぎ、中里は宣言した。

 日本一楽しい会社にする

 その柱は、すべての経営判断を、好きか嫌いで決めることである。
 嫌いな取引先とは、こっちから縁を切っている。
 「大きな取引をしているんだから、コストダウンしろ」
 「うちがあるから、おまえんとこは助かってんだろ?」

 そんなこと言ってくる取引先と仕事をするのは、イヤだ。そう思った社員は、理由を添えて中里に申請する。裏付けをとって妥当であるなら、取引をやめる。たとえ、それが、どんなに大きな取引だろうと、取引先が上場会社だろうと。

会社の売り上げより守るべきもの

 事実、50社ほどと縁を切ってきた。守るべきは、会社の売り上げなのか。いや、違う。守るべきは、社員の笑顔を誇りである。

 でも、取引先を切るということは、みずから売り上げを減らすことである。簡単なことではない、いや、みずから道なき道、「獣道(けものみち)」を進むことなのだ。

 中里の思いに共感した人たちが、全国にいる。話を聞きたいと、中里に講演に来てもらう。その講演先で、中里は、飛び込み営業をする。こうして、取引先を増やしてきた。

 飛び込み先に何を言われようと、へっちゃら。慣れているから、中里は。

47都道府県に取引先

 では、社員たちは何をしているのか。社員たちは、思う。

 〈会社は、自分たちの言うことを聞いてくれる。社長が営業をがんばってくれている。わたしたちがすべきことは、バネづくりを磨くことだ〉

 どんなに短納期の仕事でも、引き受ける。たとえ一品注文であっても、引き受ける。難しいバネづくりでも、既存の機械設備を改良して行う……。
 大企業や中堅企業にとっては採算がとれないからしない仕事、そもそも技術がないからできない仕事。それをすれば、中小企業は生きていける。
 群馬の片田舎にあるバネ工場である。でも、中里は社員たちと語り合った。

 「47都道府県に取引先をつくるぞ」

 すでに、達成。いまの目標は、800あまりある全市区の制覇。461市区まで達成した。

インタビューに応じる中里

「大きいことはいいことでしたか?」

 菅首相は、こう唱えている。

 「我が国企業の最大の課題は生産性向上だ」

 政権の周辺や、ブレーンたちからは、こんな主張が聞こえてくる。
 「中小企業は大きくなって中堅企業にならなければならない」「再編、統合を進めなくてはならない」「中小企業が、多すぎる」……。

 中里は言う。
 「会社とは生産性を高めて事業拡大していくもの。そう考えている人が多いと思います。それは、間違いです。かつて、日本は大艦巨砲主義で戦争をし、負けました。大きいことはいいことでしたか?」

 中小零細の町工場で生産性に走ると何が起こってしまうのか?

 中里の考えでは、会社の歯車が狂ってくる。まず、生産性とは統計学や会計学の世界の話、である。アタマのいい人たちからの上からの発想である。

中里の考えるものづくりの現場とは

 「ものづくりの現場は、強いて言えば心理学の世界です」

 これまで書いてきたように、中里スプリングの社員たちは、会社の心意気に共鳴している。だから、取引先を増やしてこれたのだ。社員の気持ちの勝利である。

 生産性の低さを指摘する「アタマのいい人たち」は、ものづくりの現場を、次のように思っていないだろうか。
 最新の機械があって、ボタンを押せば、データ通りの部品が大量生産できる。だれがやっても同じさ。

 「ものづくりの現場を知らないんですね。原材料などを何度も何度もさわり、微妙な違和感が感じ取れる。そんな指の腹をもたない社員に任せられないのです。不安ですから」

 機械では表現できないことがある。それが、ものづくりの現場なのだ。

最新設備を導入することは「スゴイ」か

 だが、世の中には、中小の町工場が最新の設備を入れたということを、スゴイ、とする風潮が強い。とくに中小を下請けにつかう大企業は、そうもてはやす。

 けれど、それは、コストダウンの余地ができたから素晴らしい、と言っているだけだ。

 中小の町工場が、機械設備による生産性の向上をし始めたら、たいへんなことになる。最新の機械を買って生産し、古くなったら機械を最新のものに買い替え、古くなる、また買い替える……。

 「借金地獄に陥るのが関の山です」と中里。

 事実、大企業は、約束をやぶることがある。大きな仕事を任せるから機械を入れてくれ、と言っていたくせに、町工場が機械を買うと、「そんな約束したっけ?」。多くの町工場が、泣いてきた。

生産性は社員の幸せにつながるか

 中小の町工場が業績拡大、統合再編などで大きくなったら、どんなことが起こるか。

 中里は、こう考える。
 「下手に大きくなると、生き残るための生産性アップがカギになってしまいます」

 これは、「アタマのいい人」たちの思い通りになってしまうことだ。それが、社員たちの幸せにつながるのならいいのだけれど……。

 「職人として輝いていた人が、マネジメントという不慣れなことをさせられ、輝きを失います。やがて、人間がコストになります。いらなくなるのは、アナタ。そして、会社も大企業から切り捨てられるかもしれません。いくらでも取り換えはききますから」

 地域の人たちを幸せにする、それが中小企業なのである。上から目線の「生産性」は、そぐわない。
 中里の工場は、群馬にある。群馬といえば、国定忠治である。

 『赤城の山も今宵を限り(中略)、可愛い子分の手めえ達とも、別れ別れになる首途(かどで)だ』

 けれど、中里が好きなのは、清水の次郎長だ。
 大政、小政、森の石松。
 次郎長の愛する子分は28人だった。だから、中里は、社員は最大28人と決めている。現在21人。
 「わたしが幸せにしたい21人です」

社長の中里良一(中央)と、自慢のバネをもつ従業員のみなさん(2016年撮影)

次世代の後継ぎに託すもの

 そんな中里スプリングに、中里の息子が入っている。信用金庫などで経験を積んできた男である。
 中里は、息子に言っている。

 「30年後に創業100年になる。それまでに、取引先の全市区制覇、これをぜひ実現してくれ。101年目からは、どうするか、そのとき、みんなで決めてくれ。もちろん、廃業してもかまわない」

 次の時代に、何を託すか。中里スプリング製作所の場合は、夢であり、思いである。