「猛烈に働く」役人から家業へ

 平川さんは、まず佐嘉平川屋の豆腐について紹介しました。佐嘉平川屋は、平川さんの祖父が1950(昭和25)年創業しました。佐賀の大豆を使って、地域性にこだわった商品を製造しています。嬉野温泉の温泉の水を使っており、湯豆腐にするとトロトロになるやさしい食感の商品。ほかにも佐賀県の大豆を使った寄せ豆腐やデザート豆腐なども展開しています。

佐嘉平川屋の温泉湯豆腐

 幼少期は、「豆腐屋なんかやりたくない」と思いながら育ち、大学では土木を専攻。旧運輸省に入り、港湾局で毎日夜中の2時、3時まで「猛烈に働いていた」といいます。航空局に異動になり、少し時間に余裕ができたとき、これからの人生を見直したといいます。

 起業しようと決心し、その3か月後には旧運輸省を退職。母親からは猛反対され、泣きながら「帰ってくるな」と言われましたが、28歳の時、腰掛のつもりで ”とりあえず” 家業の豆腐屋に入りました。

価格競争に巻き込まれないための「温泉湯豆腐」

 祖父が豆腐屋を始めた時代は、戦後、職がない時に「日銭が稼げる」とすぐにはじめられる仕事でした。今のコンビニ並みほど、国内に5万軒はあったといいます。父が家業を継ぎ、小規模店舗でよく売れ、特売をすればよく売れたものの、その後どの豆腐屋も大規模化していき、価格競争が激しくなります。一時は1丁10円程度まで下がりました。それに巻き込まれないために高付加価値の商品をつくろうと発売を始めたのが、温泉湯豆腐用の豆腐でした。

月末に母親はぐったり

 平川さんが営業部長として入社したのは2000年。決算書など経理書類を見せてもらうと、債務超過の状態でした。

 ほぼ売り上げと見合うくらいの債務があり、金利も大きな負担になっていました。帳簿と現金が合っていないこともあり、ほんとうに支払いができるのか毎月月末が乗り切れるかわからないような状態でした。そのため、月末になるといつも母親がぐったりしていたといいます。

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