苦渋の決断から生まれた個性派ギョーザ 4代目は地域の強みを全国に
宮城県塩釜市の「蜂屋食品」は、県産野菜を使った「仙台あおば餃子」を作り、全国で評判を呼んでいます。4代目の蜂屋和彦さん(46)は、地元の高校生と共同企画を行ったり、パート従業員の意見を積極的に採用したりして、地域密着型のビジネスを育てようとしています。
宮城県塩釜市の「蜂屋食品」は、県産野菜を使った「仙台あおば餃子」を作り、全国で評判を呼んでいます。4代目の蜂屋和彦さん(46)は、地元の高校生と共同企画を行ったり、パート従業員の意見を積極的に採用したりして、地域密着型のビジネスを育てようとしています。
蜂屋食品は1924年に創業。当時は、かまぼこ製造が主力でした。2代目の祖父が戦前に満州で食べたギョーザの味を忘れられず、1961年に自ら作り始めました。長男だった蜂屋さんの実家は、かまぼこ工場とギョーザ工場の間にありました。「工場の中で遊んだり、できたての餃子やかまぼこをつまみ食いしたり。家業は身近な存在でした」
大学卒業後、東洋水産に就職し、食材の仕入れデリバリー担当として物流のプロセスを学びました。しかし、その矢先、2代目の祖父が亡くなり、先代の父も心臓を患い入院。当時は、大手食品メーカーのチルドギョーザの台頭で、家業の業績は下降していたといいます。「父は戻らなくていいと言いましたが、きっと心労が重なって倒れたのだろうなと」。2001年、26歳で家業に戻り、ギョーザの具を作る生産ラインで修業を積み、営業や販売も担当しました。
少しずつ経営に携わりだした蜂屋さんは、厳しさを痛感しました。「チルドギョーザは価格競争が激しく、利益が出ません。賞味期限が1週間程度で作りだめができず、製造計画が立てにくい問題もありました」
当時はかまぼこやワンタンなど製造する商品数も多く、生産効率を上げるために、蜂屋さんは家業に戻って程なく、商品をギョーザに絞りました。「元々かまぼこからスタートした会社で、思い入れがあった父は決断できませんでした。私にとっても苦渋の決断でしたが、ここでやめないと状況が変わらないと踏み切りました」
共同で原材料を購入していた同業者から、冷凍用生ギョーザの作り方を教わりました。「チルドは1回蒸してから出荷するのでどうしても味が落ちますが、蒸さずに冷凍することでうまみを保てます」
味を高めるため、冷凍ギョーザには野菜をたっぷり入れることにしました。価格は上がりますが、冷凍食品の需要も高まっており、採算が取れると考えたのです。2001年、蜂屋さん親子は、冷凍用の生ギョーザの生産を始めました。中華の卸問屋に通い詰め、冷凍ギョーザはラーメン屋や居酒屋などに販路を広げました。
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2005年に専務取締役に就いた蜂屋さんは、消費者に直接商品を届けたいと考えていました。生産農家を訪れる機会が増え、2007年に野菜ソムリエの資格を取りました。翌2008年、中国産冷凍ギョーザに農薬が混入した事件で食の安心に注目が高まりました。蜂屋さんは、東北の野菜や肉の生産者の元へ足を運び、小売り用ギョーザの開発を始めました。
「それまでは一部中国産の材料も使っていましたが、原材料を見直し、業務用を小売り向けにリニューアルしました。私が子どもの頃に食べていた、野菜が多い具だくさんのギョーザです」
2008年から「野菜を味わうギョーザ」をコンセプトにした「はちやの餃子」の販売を始めました。「生産者の顔が見えると、自信を持って提供できるし、お客さんも安心できます」
原材料は、冬場に収穫した宮城県産のキャベツや、青森県産ニンニクなどを使用。キャベツのカットは人の手で調整し、食感にもこだわりました。肉は宮城県の「くりこま高原カテキン豚」を使い、野菜のうまみを引き出すため、薄皮に仕上げました。直売での評判が広がり、東京などの催事に呼ばれるようになりました。
蜂屋さんは、地元食材を生かしたギョーザを次々と開発します。2010年、宮城県が生産量全国1位のホヤを使った「三陸ホヤ餃子」をイベントで販売。お客さんが喜んでくれて、「ギョーザを通して宮城の食の魅力を伝えられるのが、楽しくなりました」
2012年発売の「仙台あおば餃子」は、具材だけでなく皮にも仙台市産の雪菜を練り込み、鮮やかな緑色が特徴です。「ヘルシーさを追求し、肉は宮城のブランド鶏・森林どりを使いました」。通販で人気を博し最大で1カ月で1千パック売れたほか、コロナ禍に見舞われた2020年4月以降は、お取り寄せグルメの需要が高まったことからテレビなどで取り上げられ、全国から注文が相次ぎました。
「味だけでなく、地域の魅力も盛り込んで、プラスアルファの価値をつけることが大事だと感じました」。現在は、松島湾産のカキのエキスを濃縮したオイスターソースを使った小籠包の開発にも取り組んでいます。
蜂屋さんは社会貢献活動として、仙台大学付属明成高校と、伝統品種の白菜の復活にも挑みました。同校はNBAで活躍する八村塁選手の母校として有名で、食文化を勉強する学科もあります。2011年夏、蜂屋さんは生徒と松島湾に浮かぶ塩釜市の浦戸諸島に渡りました。
宮城県は昭和の始め頃、白菜の一大産地で、浦戸諸島でも1924年にできた「松島純2号」という品種の種の採取が行われていました。しかし生産者の減少に伴い、2011年で採取をやめることを知ったのです。
「松島純2号は蜂屋食品と同じ年の誕生です。甘さとみずみずしさが特徴の白菜を知ってもらい、東日本大震災で被災した宮城を元気づけるため、松島純2号を使ったギョーザを作ることにしました」
生徒たちと食文化を学ぶ授業の一環として「白菜プロジェクト」を開始。生徒が学校で苗を育て、被災地の農家が畑に植えて収穫した白菜を使い、蜂屋食品が2011年冬、「松島白菜餃子」として商品化しました。
プロジェクトは今も続いています。2021年、同校の生徒たちがアイデアを出し、新しい味の「松島白菜餃子」を開発。浦戸諸島のカキのエキスを抽出したオイスターソース、仙台みそを入れた具を使い、1カ月限定で販売しました。
「地域の魅力に気付けば、地元に若い人が残ってくれます。活動を通して地元の食文化を学ぶと同時に、生徒にも夢を持ってもらえればいいですね」
蜂屋さんは2018年8月から代表取締役に就任。13人の従業員とのコミュニケーションを大切にしています。「少数精鋭だからこそ、一人ひとりの意見が大事です。経営者だけでは気付かないことも積極的に指摘してくれます」
例えば、原材料発注などで経営者の判断が必要な時、蜂屋さんが他の仕事にかかりきりですぐに動けないことがありました。パート従業員から「困る」と指摘されたことで、蜂屋さんは工場内にマイク付きのカメラを設置。携帯のアプリと連携させ、自分が会社にいなくても、作業中の従業員と、いつでも顔を見ながら会話できるようにしました。
「地域の人にどんな風にギョーザを作っているかを見てもらいたい」という従業員の意見を採用し、直売所に製造工程の写真を貼っています。年1回開催している工場祭り(2020年はコロナの影響で中止)でも、従業員が地域の人と交流を図る企画を考えています。
パート従業員に裁量を任せている仕事も少なくありません。「意見を出しながら事業を進めることで、従業員はより納得して仕事に打ち込めるのではないでしょうか。直売所や工場祭りでお客さんと直接やりとりすることで、モチベーションも上がっていると思います」
2020年4月はコロナ禍で全体の売り上げが従来の3割ほど減りました。よりお得感を持ってもらえるように、箱詰めで8個入り880円だった「仙台あおば餃子」を、袋詰めで10個入り972円に変更しました。
2020年6月からは、毎週土曜日に直売所で焼きたてギョーザのテイクアウト販売も始めました。「ビジネスとして成立するまでは至っていませんが、食事作りが大変な主婦や工事現場で働く人がまとめ買いしてくれて、車の中で食べるお客さんもいます」
テイクアウト販売は、将来を見据えた取り組みでもありました。「その場で焼いたギョーザを食べてもらえるような店舗を作りたい。今取り組んている小籠包の開発も、店舗での提供を考えています」
目指すのは「商品を通して多くの人との交流を生み出せる会社」です。「目先の売り上げだけでなく、地域の課題解決も大切です。良い商品を作って宮城県に興味を持ってもらい、塩釜にも来てもらいたいです」。地元のにぎわい創出を目指し、4代目は飽くなき探求心で新商品を送り続けます。
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