製造ミスが酒蔵経営の転換点に 6代目が社員に共有したフィロソフィー
山形県酒田市の楯の川酒造6代目社長・佐藤淳平さん(42)は、日本酒の販路を海外に広げ、同業の酒蔵を傘下に収め、ワインやウイスキーの製造にも手を広げています。日本酒を軸にしつつ、大胆な多角化を進める背景には、失敗を元に作り上げ、従業員に浸透させたフィロソフィー(哲学)がありました。
山形県酒田市の楯の川酒造6代目社長・佐藤淳平さん(42)は、日本酒の販路を海外に広げ、同業の酒蔵を傘下に収め、ワインやウイスキーの製造にも手を広げています。日本酒を軸にしつつ、大胆な多角化を進める背景には、失敗を元に作り上げ、従業員に浸透させたフィロソフィー(哲学)がありました。
ーー10年ほど前、リキュールの製造工程で社員が犯したミスをきっかけに、製造メンバー8人のうち5人が退職する事態となりました。そこからどのように、組織変革に取り組んだのでしょうか。
僕はそれまで、仕事ができる人間、優秀な人間だけがいれば良いと思っていました。でも、人間性の部分から見つめなおして、組織を一から作り直さなければいけないと考えたのです。
そこで、明確にしたのが、会社の理念やミッション、ビジョンです。会社をどうやって経営していくか、何を重視して仕事をすべきか。従業員も含めてルールブックを決めていきました。経営理念は、次のような言葉でまとめました。
付加価値の高いお酒を世界中の人々へ提供することで、人間的に成長し、人類と社会の発展に貢献します。
このようなフィロソフィーは、トラブルが起こったときに立ち返る判断基準としても必要です。朝礼でクレド(行動指針)を書いたカードを読み合わせて、社員の潜在意識にすり込むようにしています。
クレドカードには、目指すゴールとして「入社半年の若手スタッフでも楯の川酒造フィロソフィーについて社長と対等に話が出来る」、「スタッフ同士仕事ぶりを見て、楯の川酒造フィロソフィーに基づいてお互いに注意しあえる状態になる」などと定めています。
リキュールの事故で周囲からは「楯の川酒造は終わった」とも言われました。しかし、僕はここが会社としても大きな転換点、出発点だと思っています。「TATENOKAWA100年ビジョン」(前編参照)は、そうした我が社の思いを、対外的に表したものです。
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ーービジョンを明確にしたことで、社内はどう変化しましたか。
これまで、蔵の中は職人気質でクローズドな業種だったので、「見て盗め」という感じでした。今までは情報の共有がありませんでした。ブラックボックスを壊し、社員のノウハウやスキルをオープンにすることで、会社に蓄積されるようになりました。
社風も以前は曇った感じでしたが、今はだいぶ風通しが良くなったと思っています。継いだときは数人だった従業員数も、今では60人になりました。
ーーコロナ禍以前から、積極的にリモートワークを取り入れていると聞きました。
リモートワーク導入は、07年ごろからです。もともと、地元以上に、首都圏や海外向けの営業人材が必要だったことが、きっかけです。広報担当の社員もいますが、本社に来るのは年1度の蔵開きイベントの時だけです。2020年からは、チャットツールの「Chatwork」を活用しています。オンラインでコミュニケーションを取ることの不具合は、特に感じていません。
ーー海外市場を強く意識しているのは、なぜでしょうか。
海外へのアプローチは、07年ごろからです。香港などからスタートし、今は25カ国に展開。売り上げ全体の20%弱を占めています。国内の酒蔵としては、海外比率が高いのではないでしょうか。
国内市場は確実に減りますし、今までのメインユーザーが年齢を重ねるので、1人当たりの酒量も減ります。国内だけでは厳しい戦いになることは目に見えていました。1億人のマーケットから50億人、60億人、さらにその先へと広がる海外マーケットには、伸びしろしかないと思っています。
ーー全量純米大吟醸を貫くことは、海外でも強みになるのでしょうか。
海外で販売される日本酒は、日本の小売価格の3〜5倍ほどになります。ある程度余裕のある人が対象です。
日本酒のカテゴリーは、純米と純米吟醸、特別純米など細かくてわかりにくい。日本人である蔵元の息子でさえそう思うくらいだから、海外の人は余計わかりませんよね。色々なカテゴリーの中で、もっとも質の高い純米大吟醸で勝負する。戦略としては至ってシンプルです。
ーー12年には、山形県鶴岡市で「奥羽自慢」を製造している蔵元を、傘下に収めました。
同社の前経営者が病気で倒れ、酒造りが出来なくなってしまっていました。その話を聞いて、酒造り再開のお手伝いと事業の引き継ぎを行いました。酒蔵が無くなっていくのは忍びないし、基本的に酒造免許を新しく取ることは難しい現実もあります。楯の川酒造を再建してきた自負もあったので、同業に横展開できればとも考えました。
以前は、普通酒ばかりの蔵でしたが、純米と純米吟醸、純米大吟醸にシフトしています。主力製品は、特別純米酒の「吾有事(わがうじ)」で、海外でも売り出し中です。20年6月に黒字化し、今期の売り上げは前年比5~6割増の予定です。小さな酒蔵なので、売り上げは3億円ぐらいが上限と思っています。
ーー奥羽自慢では、ワインの「HOCCA」も手がけています。なぜワイン醸造に乗り出したのでしょうか。
発酵管理に関しては、日本酒が持つ難しくて繊細な技術を生かせると考えました。ワインは素材が8割を占めますので、ぶどうの品質と生産量をいかに向上させていくかが課題です。栽培は楯の川酒造と県内の農家で行い、醸造は奥羽自慢が行います。
天候との勝負にもなるので、難しいところもありますが、ワインは昨年5千本、今年は7〜8千本と少しずつ増やしており、年間3万本ぐらいには持っていきたいです。
ーー新型コロナウイルスの影響はありましたか。
前期はコロナの影響で売り上げが12%ほど落ち込みましたが、家飲み用の720ミリリットルや高級酒に注力し、輸出も元に戻ったことで、コロナ前の水準まで回復しています。
ーー将来の事業展開について教えて下さい。
できれば山形県外で、酒蔵をもう一つ経営したいと思っています。なぜ県外かというと、海外展開する際のポートフォリオにおいて、バリエーションが広がった方が望ましいのです。
23年3月ごろにはウイスキーの醸造所が完成する予定です。場所は鳥海山のふもとで、秋田との県境の辺りです。ウイスキーは最低でも3年熟成させる必要があるので、出荷は早くて26年になります。3年間で満足できるフレーバー(香味)が出るかは、やってみないとわかりませんが。
初期投資はかかるし、(ウイスキーを寝かせている)3年間はキャッシュアウトしかありませんが、その期間をうまく乗り越えさえすれば、何とか軌道に乗ると考えています。日本酒で開拓した国内外の販路を活用できますし、日本酒と違ってウイスキーは10年経っても20年経っても商品価値が変わりません。日本酒に特化しつつ、商品の引き出しを広げていきたいと思っています。
ーーリキュール、ワイン、ウイスキー。なぜここまで大胆に手を広げられるのでしょうか。
時代によって人の嗜好も変わるからです。日本酒という主軸は必要ですが、日本産の酒類にこだわって世界展開していきたいと考えております。
8年後には50歳になります。経営者として30年になるので、社長は優秀な方へバトンタッチするつもりでいます。
ーー後継者は決めているのでしょうか。
誰が継ぐかはまだ決めていません。娘が2人いるのですが、まだ小さいですし。
創業家の意思をそのまま反映できるのは、ファミリービジネスのメリットです。何百億、何千億の企業になればそうはいきませんが、小さい企業を長く続けるならファミリービジネスがいいと思います。
ただ、今はそこからの脱却も考えています。8年後までには、新規株式公開(IPO)できる体制に持っていきたい。成長フェーズに入るために、外部から社長を迎え入れることも考えの一つだと思っています。
※本文1行目「社員がミスを侵した」は「ミスを犯した」の間違いでした。編集部が入力作業を誤りました。お詫びして訂正します(2021年6月26日更新)
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