目次

  1. 家業を継ぐと思っていなかった
  2. 大企業に入社したが・・・
  3. 不満をぶつけて社内で孤立
  4. 母に退社するよう説得
  5. 「信頼せよ」と言われて失神
  6. 経営理念を作って組織も改革
  7. 意見を言い合える雰囲気に
  8. 薄利多売からの脱却を目指す
  9. 「町の時計店」の未来を開く

 「後藤」は1948年、後藤さんの祖父が、時計修理の下請け会社として立ち上げました。2代目の父が時計部品の卸売りを始め、次第に現在の主力である時計の卸売りも担うようになりました。

 現在は、カシオ計算機の製品を中心に取り扱い、宮城県や隣県の時計専門店約300~400店のほか、ホームセンター、ECサイトにも商品を卸しています。年商は7億円にのぼります。

 後藤さんが子どものころは、自宅1階に事務所がありました。「会社と家は一緒のものだと思っていて、社員に面倒を見てもらっていました」

かつては「後藤時計材料店」という屋号でした(後藤提供)

 しかし、後藤さんは自分が家業を継ぐとは思っていませんでした。カシオの時計「G-SHOCK」のブームが終わった90年代後半に、業績が悪化したのです。「売り上げが約半分に落ち込み、父からも継がないでほしいと言われていました」

 大学卒業後の2009年春、後藤さんは大手住宅会社に入社し、営業所に配属されました。当時は夢もやりたいこともなく、大企業だからという理由で就職したといいます。

 「でも、飛び込み営業で3千件回るように言われたり、靴のすり減り自慢が始まったりする中で、何のために働いているのか、わからなくなってしまいました」

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