「アフリカの課題を解決したい」 アパレルブランド起業を選んだ3つの理由
会社員や職員などの「組織」から独立し、20~30代で創業した起業家は、どんな思いで、何をめざして、会社を立ち上げたのか。次代を担う起業家たちのメッセージを伝えます。
会社員や職員などの「組織」から独立し、20~30代で創業した起業家は、どんな思いで、何をめざして、会社を立ち上げたのか。次代を担う起業家たちのメッセージを伝えます。
大手銀行での法人営業、アフリカで活動するNGO職員を経て、2015年にカラフルなアフリカンプリントの商品を扱うライフスタイルブランド「RICCI EVERYDAY(リッチーエブリデイ)」を立ち上げた仲本千津さん。学生時代から国際的な社会貢献を考えていたという仲本さんは、なぜアフリカでの起業を選んだのでしょうか。お話をうかがいました。
――「RICCI EVERYDAY(リッチーエブリデイ)」の設立の経緯とコンセプトを教えてください。
RICCI EVERYDAYを作ったきっかけは、当時NGO職員としてウガンダに駐在していたときに、現地の市場でアフリカンプリントというカラフルな布地を見つけたことです。
とてもかわいくて、私も周囲の友人も一気に心惹かれました。当時の日本のファッション市場ではあまり見かけず、これはビジネスになるんじゃないかと。
このブランドが体現するビジョンは、固定観念や社会通念を乗り越え、世界中の女性がありたい姿を実現できる世界を作りたいというものです。
アフリカンプリントは原色使いがユニークで、柄もはっきりしていて、一見すると奇抜かもしれません。
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でも、自分が好きだから身にまとう、そんなお客様の意思を表すツールの1つでありたいと願い、「自分」にフォーカスして、やりたいことや気持ちを大切に生きる女性にお届けできたらいいなと思います。
一方で、商品を生み出す女性たちも、商品が売れて仕事を得ることで「職人としての成功」「ブランドの世界進出」「自己肯定感の向上」といった、彼女たちのありたい姿を実現させるブランドにしていきたいと考えています。
――学生時代から国際問題や国際貢献に関心があったのでしょうか。
もともとは民族紛争がなぜ起きてしまうのか、そしてどうやって国を再構築していくのか、というところに興味がありました。どうして人の命を奪ってまで、自分の利益を通そうとするのかな、という疑問とか。
そういう興味のうえに、高校生のとき、元国連難民高等弁務官の緒方貞子さんのドキュメンタリーを見て、緒方さんのような女性がいることに衝撃を受けたんです。緒方さんは紛争の最前線で傷ついた人々たちを第一に考え、政策を実行した、本当に素晴らしい人だと感銘を受けて。
かつて彼女は国際関係論の教授だったことを知り、私も国際関係論の民族紛争、ひいては紛争が頻発していたアフリカについて研究していました。
――どういった研究をされていたのでしょうか。
イギリスに行って、研究したり論文を書いたりしていました。ですが実際にアフリカの国々をめぐることはできずに、自分の中では消化不良な感じでした。
今思えば現地に行けばいいのに、自分の弱さというか、アフリカを回ることは自分の中でハードルが高く、色々と言い訳をして行けませんでした。
――その後大学院を修了後、三菱東京UFJ銀行(現・三菱UFJ銀行)に就職されました。当時から将来の起業は視野に入っていたんでしょうか。
そうですね。銀行から内定をもらった後、修士論文を書くまで時間があったので、アフリカの社会課題解決を目的とした、設立間もないNPO法人でインターンをしていました。
そのNPO法人の代表の方との出会いや、本気で社会課題、アフリカの貧困問題、食糧問題を解決しようとする姿勢にとても影響を受けました。その頃から、30歳までにアフリカで起業したいという思いが芽生えてきました。
――就職後の社会人経験は、起業にも生きましたか?
大企業での経験は生きていると思います。1回就職したからこそ、日本企業の仕組みや、ビジネスパーソンの考え方を知ることができました。
そうしたことに加えて、銀行の法人営業だったので、財務の考え方や、中小企業の社長さんにビジネスや従業員との向き合い方を学ばせていただけたのは大きかったです。
ただ、自分の中で葛藤もありました。私が感じたことは、銀行はお金のある人に、さらにお金を貸して金利を稼ぐ、持てる人々の富をさらに増やすという面があるということ。
就職前の自分は、富を持たない人々にどうやって富を供給するか、ということに頭を使っていたので、この真逆の現象に対して自分の中で整理ができず、葛藤がありました。
――30歳までに起業したいという思いがあったということですが、いざ銀行を退職して、NGOに転職しようとなったきっかけのような経験はあったのでしょうか?
私にとっての転機は2011年の東日本大震災です。それまでなかなか銀行を退職することに踏み切れなかったのですが、東日本大震災を経て、人生がいつ終わるかわからないと痛感しました。
やりたいことを先のばしにするのはやめようと。 そこで、なんとかしてアフリカに行く方法を模索して、2011年の10月にNGOに転職しました。転職後にNGOの職員としてウガンダに駐在することになりました。
――社会課題の解決手段として起業を選んだ理由は何でしょうか?
理由は3つですね。
1つ目はNGO職員としてアフリカに駐在していたとき、既存の国際機関が提供する援助活動が現地の人々のニーズとずれているのではという疑問を持ったため。
2つ目はこういった援助機関は暫定的なもので、国の根幹を支えるのは政府や民間産業であり、こうしたところに優秀な人材を集め、育成していくべきではないかと感じたためです。
最後の3つ目は、援助者と被援助者という支配構造の関係ではなく、現地の人々と互いにリスペクトし合える関係性を構築したいと、ずっと考えていて、それを実現するには、援助ではなく、ビジネスとして関係を気づくべきだと感じたためです。
――NGO職員時代、ウガンダではどのように過ごしていたのでしょうか?
ウガンダ駐在時代は、だいたい月曜日は朝8時から夕方5時までオフィスで仕事、火水木の3日間はフィールドに出て、金曜日に首都に戻ってくるスタイルでしたね。
土日は自由に過ごして、ローカルマーケットを回ったり、仲間でご飯に行ったり、現地のソーシャルビジネスに携わっている人たちを訪ねて話を聞いたりもしていました。
――そこで、ローカルマーケットでアフリカンプリントと出会ったんですね。
そうなんです。友達に面白いから、と連れていってもらったのが、天井から床まで壁一面にアフリカンプリントの布地を敷き詰めたお店でした。
布地が見えるのは、たった5センチ幅ぐらい。その5センチで柄のデザインを想像して、お店のおばちゃんに頼んで出してもらって確認するんです。私も友人も時間が過ぎるのも忘れて、代わる代わる色々なアフリカンプリントの布地を広げて眺めたり、自分の体にあててみたりしていました。
まるで宝探しみたいで、そういえば私はこんなことが好きだったな、と再発見した、とても楽しい体験でした。
その体験がきっかけで、アフリカンプリントを早速、製品化しようと試作しました。買った布地をテイラーに持ちこんで、洋服とか、バッグとか、いくつか作ってもらったんです。
それを母や友人に見せて回って感想を聞いたら、かわいいと好評で(笑)。さらにいろいろ話を聞いて、最終的にこれでいこう、という形になりました。
――現在、運営や体制はどのようにされているのでしょうか。
私はウガンダと東京の拠点を行き来しています。ウガンダはコロナ禍で2020年3月末から9月まで国境を封鎖しましたが、それ以降は通常に戻りました。
会社の体制は日本では家族と従業員、パート、インターンなどあわせて15名程度、ウガンダ側は工房の職人や現地店の店員、マネジャー、インスタなどのSNS運用者の20名ほどです。
私は現地にいるときは飛び回ってますが、毎日工房にも行くようにして、SNSのWhatsAppでもコミュニケーションをとっています。日本にいるときも必ず現地のメンバーと週に1回はミーティングをして、それ以外のタイミングではWhatsAppでやりとりして進捗を確認したり、トラブルシューティングをしたりしています。
――NGO職員の時と起業後に代表になったことで、仕事の進め方や考え方は変わりましたか。
基本的には同じで、現地の人の考えを尊重することは変わらないかもしれません。現地の人たちの機嫌を損ねてしまうと、うまくいくものも、うまくいかなくなるので。
現地の人たちとの向き合い方には非常に気をつけています。かなり意識して、考え方も変えました。
――具体的にはどんな点に気をつけているのでしょうか?
例えば人前で怒らない、とかですね。怒りの感情は1日に何百回と湧いてくることはありますが表には出しません(笑)
どうしても何か相手に伝えたいなら、周りに人がいないところで話す。淡々と事実確認することに自分の意識を向けるようにします。また、注意だけでなく改善方法を提案すると、相手もモチベーションを下げることなく、前向きに問題解決に対処してくれます。
――将来のキャリアとして起業を視野にいれている人、または将来のキャリアそのものに悩んでいるという方に仲本さんが伝えたいことはありますか?
まず、「自分がやりたいことは何か」ということを言語化するところから始めるといいかもしれません。
現代社会に生きていると、さまざまな情報や、固定概念、社会通念にさらされてしまって、どうしても流されてしまう部分があると思うんです。
なので、本当に自分がやりたいこと、「自分の意思」や「自分が意識していること」を見極めることが大切ではないかと思います。
私自身も銀行をやめて、NGOに転職する、となったときは周囲にとても心配されましたが、私自身はとても納得していたのでそういう心配の声は全然気になりませんでした。
逆に周囲の人が賛成していても、自分自身が納得してなければ、それは正解とは言えないと思います。
もしかしたら、今やっていることがベストかもしれないし、道を変えて一歩踏み出すことがベストかもしれない。それは周囲の人にはわからないことで、最後は自分がしっかり見極めて、納得できるかどうかじゃないかと思っています。
――自分でやりたいことを見極めること自体がむずかしいと感じる人におすすめの考え方はありますか?
自分がやりたいことの見極め方として私がおすすめしているのは、日々起きる色々なことの決断をまず自分でしていくことですね。
今日は何を食べるとか、何を着るとか、本当に基本的なことからでいいと思います。
例えば今日着ていくものを考えるときとかは、「仕事だし」「あんまり派手な服は着れないな」とまず社会通念や慣例から考えるのではなく、自分が何を着たいかを考えて、決める。
最近でいえば少しずつ始まっている会食とか、誘われて本当は「めんどくさいな」「行きたくないな」と思っているのであれば、行かない! と決めるとか。
自分が主体で、「やりたいこと」をちゃんと自己選択する。これを習慣化すれば、いざ大きな岐路で選択を迫られたとき、あまり悩まずに自分の正解はこれだ、と見えてくると思います。
人によってタイミングは違うので、今動くのがベストなのか、あと10年、何かを修行して動くのがベストなのか。周りに流されずに決断することが大事かと。慣れるまでに少し時間がかかりますが、焦らずに自分主体の選択を続けてみてください。
プロフィール
仲本千津(なかもと・ちづ)。1984年静岡県生まれ。大学院修了後、三菱東京UFJ銀行(現三菱UFJ銀行)で法人営業を経験。その後、国際農業NGOに参画し、ウガンダの首都カンパラに駐在。2015年に「RICCI EVERYDAY」日本法人を設立、2016年にウガンダ法人と直営店舗を設立し、2019年東京初の直営店舗を代官山にオープン。
(朝日新聞社の経済メディア「bizble」で2021年12月6日に公開した記事を転載しました)
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