目次

  1. 鋳造からナノレベルの精密研磨へ
  2. 「すぐ転職しよう」と家業へ
  3. IT化を進めて世界に情報発信
  4. 海外の展示会にも出展
  5. 震災の復旧状況を発信し続ける
  6. 高い技術力が評判を呼ぶ
  7. 高卒社員が技術を支える
  8. 父に学んだ「人を大切にする経営」
  9. コロナ禍で発信を強化
  10. スキルアップで社員を豊かに

 ティ・ディ・シーは1953年、赤羽さんの祖父が創業しました。当初は鋳造業者でフロッピーディスクや産業用機械部品などを大量生産していましたが、海外との価格競争が激しくなり、先代の父が約20年前に方針転換を図りました。

 取引先から評価が高かった鏡面加工の技術を生かし、ナノレベルの精密研磨に力を入れたのです。

 現在は主に半導体製造装置の部品の生産に関わり、パソコンやスマートフォンの部品のほか、自動車や医療など研究用製品に関する開発依頼も数多く届いています。

ティ・ディ・シーの研磨技術が採用された「はやぶさ2」のカプセル容器のサンプル

 2020年12月に地球に帰還した宇宙航空研究開発機構(JAXA)の小惑星探査機「はやぶさ2」にも貢献。小惑星「リュウグウ」で採取した物質が破損しないよう、カプセル容器の内側を極限まで滑らかにする研磨作業を担いました。

 顧客は累積で4千社にのぼり、月500社、18カ国から仕事を受注しています。

 3姉妹の次女だった赤羽さんは子どものころ、家業が何の会社なのかすらよく分かっていませんでした。「父は家で仕事の話をせず、会社に行った記憶もほぼありません」

 文系の大学を卒業後、憧れの広告会社に就職。仙台支店に配属され、大手量販店向けの営業を担当しました。しかし、平日は顧客のもとへ足を運び、土日はイベントの仕事をこなす忙しさで、休みがほとんどありませんでした。

 入社から2年後、赤羽さんは体調を崩したことを機に広告会社を退職。当時は転職活動をする気力もありませんでした。

 「ひとまず父の会社で働いて、すぐ転職しよう」。2000年、25歳で家業に入り、工場で加工や検査の仕事を手伝ったり事務を担ったりしていました。

 赤羽さんは当時、家業のIT化が遅れていると感じていました。

 「前職では情報や制作物をイントラネット上で管理するのが当たり前でしたが、うちは当時パソコンが数台しかなく見積書も手書き。生産管理は口頭や社員の記憶が頼りで納期遅れもざらにありました。生産量が安定していなかったんです」

 赤羽さんはパソコンと市販のソフトを購入し、生産管理システムを構築することにしました。「休日出勤して自分でオフィス内に有線LANを張りました。当時はあてにされていなかった分、自由に動けたんです」

 また、自社ホームページの日本語版と英語版を同時に作り、海外展開を見据えた行動も始めました。前職の知見を生かして専門誌に広告を出すなど、半導体製造装置、医療機器、航空宇宙分野などへの展開を意識したマーケティングにも取り組みました。

 「広告会社にいたからこそ、見る人がほしい情報を適所に出すことが大事だと考えました」

 すると、ホームページを通じて新しい注文が入るようになり、米国のアイオワ大学やハワイ大学など海外からも相談が寄せられました。

 IT化のおかげで仕事が増えても計画的に生産できるようになり、「社員も以前まではお客様に怒られ、社内でも怒られ、決して雰囲気は良くありませんでした。でもIT化を進めたことで、会社の雰囲気も良くなりました」。

ティ・ディ・シーの社屋と工場(同社提供)

 他社に先駆けて家業をIT化し、自分で何かを成し遂げる経験を積んだ赤羽さんは、やるべきことや課題が明確に見え、仕事が面白くなったと振り返ります。

 知識を身につけるために高校の教科書を買い直し、技術書を読んだり東北大学主催の技術系のセミナーに行ったりして猛勉強しました。

 同社は展示会への出展機会を増やすため、05年に東京、翌06年には大阪に営業所を作り、赤羽さんも東京営業所で勤務するようになりました。ホームページを通じて相談や提案を受けても、拠点が宮城県だけだと話がスムーズに進まないケースが出てきていたのです。

 「父も自由にやらせてくれ、これまで出ていなかった分野の展示会にも出展しました」

 08年にはドイツで、世界最大と言われる工作機械の展示会に出ました。その場でクレジットカードを出して交渉を始める人もいて、赤羽さんは世界でも通用する手応えを感じました。

 「海外の顧客も日本と同じ課題を抱えていることがわかりました。精密研磨の技術力を評価していただき、今も続いている仕事があります」

 社員たちも当初は戸惑っていましたが、結果が出たことで、次第に理解してくれるようになりました。

 「私はお客さんからの要望にすぐ『大丈夫です。できます!』と答えるので、他の社員からよく怒られました。でも結局、社員が一致団結して要望を実現しようと試行錯誤するんです」。こうして、断らない営業姿勢が築かれました。

ティ・ディ・シーの工場内(同社提供)

 11年3月11日、東日本大震災が同社を襲いました。赤羽さんの家族や従業員は全員無事でしたが工場は半壊。設備のほとんどが使えなくなりました。

 地震の3日後、宮城で復旧作業が始まり、東京にいた赤羽さんは事業が継続できることを取引先に電話で伝え続けました。ブログやメールマガジンも活用し、会社の復旧状況を発信し続けました。

 「もし取引先から、あの会社はダメだと思われたらどうなるか。会社が復旧しなければ、生活基盤がなくなってしまう。何かをせずにはいられなかったんです」

 3月下旬には宮城の工場を復旧させ、翌夏には隣の空き地を借りて新しい工場を建設しました。11年は売り上げが2割減りましたが、工場建設後には生産量が震災前と同じ水準まで回復しました。

 15年、赤羽さんは宮城に戻り社長に就任しました。「父とは数年前から社長就任について話をしていましたが、リーマン・ショックや震災で延期していました。40歳になったタイミングで継ぎました」

ティ・ディ・シーの精密研磨加工品(同社提供)

 赤羽さんは社長になった後も外部と連携しながら、様々な技術開発に挑戦し続けました。その一つが「最も硬い物質」と言われるダイヤモンドの精密研磨です。

 18年、国立研究開発法人科学技術振興機構(JST)の支援を受け、大阪大学や産業技術総合研究所と共同研究を始め、40ミリ角という大口径基板の研磨技術を獲得しました。

 ダイヤモンドの熱伝導率は銅の約5倍を誇り、半導体の材料として優れた性質を持っています。ダイヤモンド半導体が実用化されれば、電気自動車や電車を動かすパワーデバイスの電力損失を劇的に低減でき、ヒートシンクや放熱用基板の冷却システムも不要で、省スペース化と軽量化にも期待ができます。

 「特に半導体用基板として、エネルギーの効率活用や高集積化において有望な材料と考えています。ダイヤモンド半導体は放熱性に優れ、熱を逃がすための余計なエネルギーを使わなくても済むため、SDGsの観点からも実用化が期待されています」

 高い技術力が評判を呼び、ホームページからの新規相談が毎日のように入るようになりました。「はやぶさ2」のカプセル容器の研磨も、JAXAの担当者がホームページにたどり着いたことから、依頼につながりました。突然の連絡で驚いたそうです。

 同社では複雑な形状のカプセルを究極に滑らかにするため、研磨器具を自社で開発して対応しました。1年くらいのプロジェクトで、試作品を作って納めては修正依頼の相談がきて作り直す作業を何度も繰り返したといいます。

 高い技術力を誇るティ・ディ・シーの技術者の多くは、地元の普通科高校を卒業した社員です。「やったことのない技術開発に挑戦する会社なので、やる気さえあれば誰でもできると思っています」と赤羽さんは言います。

 新入社員一人ひとりの成長スピードに合わせた教育を行い、時には新人1人に先輩社員を2人つけて、丁寧に技術を教えます。

 「新入社員も入社から2カ月後には売れる物を作れるようになり、2年目は新人に教えられるようになる。成長スピードが早まり即戦力になるんです。25歳ぐらいには1人前になっています」

 こうした採用を心がげるのは、従来型の技術伝承に疑問を持っていたからです。「技術は教わるより見て盗めと言われることもありますが、私は丁寧に教えることが大切だと思っています。突出した熟練者が1人いるよりも、5人、10人と技術を覚える人が増え、組織全体で技術向上する方が価値があると思ったのです」

 先代の父の姿勢も、赤羽さんの経営方針に大きな影響を与えました。震災直後、内定を取り消された若者が大勢いることを知り、約2カ月後に追加で2人を入社させたのです。

ティ・ディ・シーは若い社員がいきいきと働いています(同社提供)

 先代は中小企業の存在意義を「地域の雇用を支えるため」と考えていました。父の姿を見て、赤羽さんも「人を大切にする経営」が確固たるものになりました。

 赤羽さんは部長、課長などの役職を廃止し、社員を小さな集団に分けて運営する「自律分散型組織」を導入。有給休暇を取りやすくするなど、各自で働きやすい形を考えてもらいました。

 「1人では会社を経営できません。徹底的に社員が働きやすい会社を目指しました」

 新型コロナウイルスの影響で、ティ・ディ・シーも展示会への出展ができず、対面営業の機会が減少しました。

 そこで赤羽さんは自社ホームページで発信している技術情報の拡充を始めました。社員がプロのライターの指導を受けて技術情報の発信をしています。

 営業担当の社員が精密研磨の現場を撮影した動画もユーチューブに投稿。海外の顧客も意識し、ナレーションは英語、字幕は日本語を付けました。この動画が取引先との交流のきっかけにもなっています。

 現在の売り上げは社長就任前と比べて1割増になりました。赤羽さんは急成長すると丁寧な仕事ができなくなると考え、微増を目指し続けています。

 JAXAの火星衛星探査計画「MMX」で使用するカプセル容器の開発への参画も決まるなど、技術力への評価がさらに高まっています。

 文系出身だった赤羽さんは現在、大学院に通い、精密工学の研究をしています。

赤羽さんは自らもスキルアップを続けています

 「苦手だと思っていたこともコツコツと続けたら、得意に変わりました。みんながスキルアップすれば社員も豊かになる。その循環があるべき姿だと思います。社内外で多くの人に助けてもらっているので、少しでもお返ししたいと思い懸命に働いています」

 世界に認められた技術力と磨き上げたマーケティングや組織の力で、3代目は真摯に顧客と向き合い続けます。