18年前の2004年8月12日、三菱東京フィナンシャル・グループ(FG、当時)とUFJホールディングス(HD、当時)が経営の全面統合で基本合意したと発表しました。

みずほ、三井住友と合わせ、日本の金融界は3大金融グループの時代に突入します。

UFJHDと三菱東京FGの経営統合方針を報じる2004年7月14日付朝日新聞夕刊(東京本社版)

経営統合の話が表面化したのは7月中旬。

UFJHDが7月14日の臨時取締役会で、三菱東京FGと経営統合に向けた交渉に入る方針を決めました。

この日の朝日新聞夕刊(東京本社版)は「3期連続赤字のUFJは、不良債権削減や収益力強化など経営立て直しへ多くの課題を抱えており、単独での生き残りは難しいと判断した」と伝えています。

 

しかし、UFJHDは傘下のUFJ信託銀行を住友信託銀行に売却するという基本合意書を、事前に住信側と交わしていました。

三菱東京FGとの経営統合で、この売却計画が白紙撤回されることに住信が反発。

7月16日、住信は交渉差し止めの仮処分を東京地裁に申請します。

さらに三井住友フィナンシャルグループも8月6日、UFJへの統合申し入れを決定。

UFJ争奪戦が激化しました。

2004年8月13日付朝日新聞朝刊(東京本社版)の記事

結局、交渉差し止めの仮処分申請について、東京地裁は住信側の言い分を認めましたが、東京高裁が8月11日、逆の判断を下します。

三菱東京FGとUFJHDは翌12日に経営の全面統合で基本合意しました。

8月13日付の朝日新聞朝刊(東京本社版)によると、UFJHDの玉越良介社長(当時)は「三井住友の提案と比較検討したが、業務の補完性や資本増強の確かさで三菱東京との統合の方が株主利益に資すると判断した」と述べたそうです。

 

三菱東京FGは規模拡大の機会を狙っていたようです。

2004年7月16日付朝日新聞朝刊(東京本社版)によると、本業のもうけを示す業務純益は三井住友に水をあけられ、支店数はみずほの約半分。

「UFJ銀行まで三井住友銀行に持っていかれたら、『三井住友連合』にいつまでたっても追いつけない」という幹部の焦りが紹介されています。

実際には経営統合により、国内のライバルを一気に追い抜き、資産規模世界一のメガバンクが誕生しました。

新しいロゴを手に握手する畔柳信雄・三菱東京フィナンシャル・グループ社長(左)と玉越良介・UFJホールディングス社長=2005年、朝日新聞社

東京三菱銀行とUFJ銀行の合併予定日は当初、2005年10月でしたが、システム統合の準備などのため3カ月遅れ、2006年1月1日、三菱東京UFJ銀行が発足しました。

基幹システムを12月31日夜から4日朝まで止め、多くの従業員が正月休み返上で、窓口の端末やATMの点検などにあたったようです。

 

2018年4月には、「三菱東京UFJ銀行」の行名が「三菱UFJ銀行」に変わりました。

「東京」の名は、かつて唯一の外国為替銀行だった旧東京銀行に由来しました。

しかし、2018年4月2日朝日新聞朝刊(東京本社版)によると、顧客から「行名が長すぎる」といった指摘があったそうです。

 

その三菱UFJ銀行は2020年12月、半沢淳一常務(当時)が頭取に就く人事を発表しました。

半沢常務は、人気小説「半沢直樹」シリーズの作者・池井戸潤さんと、三菱銀行の入行同期といいます。

ただ、2020年12月25日付朝日新聞(東京本社版)によると、池井戸さんは「同期入行ではあるものの、ほとんど面識のない方です。半沢直樹のモデルではありません」とコメント。

一方で「同じ半沢同士、日本の金融界に新風を吹き込んでいただきたい」とエールを送りました。

 

(朝日新聞社の経済メディア「bizble」で2021年8月12日に公開した記事を転載しました)