90年前の1932年5月14日、数々のコメディ映画を製作し、「喜劇王」と称されたチャールズ・チャップリンが初めて来日しました。

初来日時のチャップリン(中央)=朝日新聞社

来日から一夜明けた1932年5月15日の朝日新聞の朝刊では、東京駅のホームに降り立ったチャップリンの姿とともに、スターの来日に熱狂する日本国民の姿が描かれています。

朝日新聞東京本社発行の1932年5月15日付朝刊

「熱狂の渦巻きの中を もみくちやになつてホテルへ」

「遂にドアまで破る騒ぎ その夜の帝国ホテル」

見出しからも当時の興奮がうかがえます。

 

チャップリンは来日期間中に犬養毅首相(当時)と会う予定だったそうですが、延期となり相撲見物に行ったといいます。

まさにその日、首相官邸に将校たちが押し入り、犬養首相は凶弾に倒れました。

日本史の教科書に載っている「五・一五事件」です。

 

チャップリンは後に、自分も狙われていたことを知ったそうです。

大野裕之著『チャップリン暗殺』によると、後に将校が「アメリカの宝であり、資本家のお気に入りであるチャプリンを殺して、日米開戦にもち込もうとした」と証言したといいます。

初来日時のチャップリン(中央)=朝日新聞社

もしチャップリンが初めての来日時に犬養首相に面会していたら、「モダン・タイムス」や「独裁者」といった現代でも語り継がれる名作は生まれていなかったかもしれません。

 

(朝日新聞社の経済メディア「bizble」で2021年5月14日に公開した記事を転載しました)