目次

  1. きっかけはアメリカのトイレへのあこがれ
  2. 市場を切り開いた「ブルーレットマン」の情熱
  3. 「おくだけ」が大ヒット 成果もたらした「突破する社風」
  4. タンクレスの壁も開発力で乗り越えた
  5. 日本発「世界のトイレをきれいに」

 世代を超え、ずっと日本のトイレをきれいにしてきた小林製薬の「ブルーレット」。50年以上続くロングセラーが生まれるきっかけになったのは、創業家出身の青年が感じた「豊かできれいなアメリカ」へのあこがれだった。

 初代ブルーレットの発売は1969年。ただし、その歴史は4年前、1965年までさかのぼる。

 当時、小林製薬の創業家3代目、現会長の小林一雅さんはアメリカに留学していた。「これからは経済も生活も文化も、海外に目を向ける時代になる」という考えからだった。

コロンビア大学留学当時の小林一雅氏=小林製薬提供

 小林さんは、現地のスーパーや友人の家を訪問し、「豊かなアメリカ」を徹底的に観察した。

 中でも、特に小林さんの印象に強く残ったのがトイレだった。明るくて清潔。青い水が流れ、いい香りがすることに驚いた。

 

 当時、日本のトイレはまだ汲み取り式が主流だった。臭くて汚く、暗い空間、というのがふつうの感覚だった。

 日本とはあまりにも対照的なアメリカのトイレを知り、小林さんには日本のトイレを変えていくことがビジネスチャンスになると映った。

 そして、「日本のトイレをアメリカのようにきれいにしたい」という決意を固くした。

アメリカ留学中にドラッグストアを視察する小林一雅氏(右)=小林製薬提供

 日本に帰国した小林さんは、さっそく商品開発に取り組み始めた。

 ただ、当時の小林製薬は大衆薬の卸売りが中核事業で、畑違いの事業に取り組むことへの社内からの反発は大きかった。

 「生活用品の開発実績がない」「トイレの製品なんてイメージが悪い」という反対意見も上がった。

 「社員たちには創業家の3代目である小林に対する複雑な心境もあったようです」

 小林製薬でブルーレットのマーケティング担当を務める藤江昌広さんは、当時の社内の状況について、こう振り返る。

 

 それでも小林さんの決心は揺るがず、社内の反発を振り切って開発を続けたという。

 当時の水洗トイレは、タンクの位置や水流の強さは家庭によってさまざまだったため、どんな環境でも対応できるよう便器を100器買って研究を進めた。

 

 のべ4年間の期間を経て、日本初のトイレ用芳香洗浄剤を発売できたのは1969年6月。小林さんは商品名にもこだわった。「青い(ブルー)水が流れるアメリカのきれいなトイレット」から「ブルーレット」と名付けた。

 発売にこぎつけたものの、険しい道のりは続いた。

1969年発売の初代ブルーレット=商品写真はいずれも小林製薬提供

 小林製薬によると、1969年当時、水洗トイレの国内普及率はまだ20.7%。8割の世帯がブルーレットのターゲットにはならず、「水洗トイレ自体の使い方がわからない」と導入に足踏みする人も多かった。このため、発売当初のブルーレットは売れなかったという。

 

 頭を抱えた当時の小林製薬の営業担当者は、「まずは自分たちの目でトイレの使われ方を確かめてみよう」と考えた。

 お試しでブルーレットを無料配布し、取り付けて回ることを新聞広告で予告。名刺に「ブルーレットマン」と銘打った営業マンたちが各家庭を1軒ずつ訪ね歩いた。

 

 地道な努力が実を結び、売り上げは右肩上がりに。団地の水洗化が進み、「夢のマイホーム」が徐々に増えてきたことも後押しとなり、トイレにブルーレットを置く家庭は増えた。1980年代後半には、トイレの水洗化率は70%まで高まった。

 1986年、「ブルーレットおくだけ」を発売した。これが一気に知名度を上げる転機となった。

1986年発売の「ブルーレットおくだけ」

 初代ブルーレットはトイレのタンクを開いて中に設置する必要があり、手が汚れてしまったり、取り付けが面倒だったりする難点があった。

 だが、「おくだけ」は、水が流れる手洗い台に載せるだけで設置でき、使い勝手が一気に改善した。そして「ブルーレットおくだけ」は大ヒットとなった。

 

 水洗トイレが普及するようになると、トイレ用の芳香洗浄剤に参入する競合企業も相次いだ。

 だが、ブルーレットのシェアを切り崩すことはできなかった。ブルーレットは現在、約8割の市場シェアを占め、ずっとトップを維持しているという。

 

 トップの座が安泰でも、使い手のニーズを汲んで「進化」を目指す姿勢は変わらない。

 1990年になると、「便から自分の健康状態を確認したい」というニーズを汲み、ブルーではない無色の「ブルーレットおくだけ」も発売。

 トイレをおしゃれにしたいニーズにも対応し、1997年には陶器を模した「ブルーレット陶器のおくだけ」も発売した。

1990年発売の「無色のブルーレットおくだけ」

 2000年代になると、アロマや柔軟剤の影響で「香り」に対するニーズが高まるように。

 小林製薬は、洗浄力を高めつつ、多様な香りも楽しめる商品をつくろうと薬剤の液体化に挑戦し、2001年に「液体ブルーレット」が実現した。

 この液体タイプも大ヒット。2002年には全シリーズで年間の売上高が100億円を超えるヒットブランドに成長した。

 トイレの側の進化も進んだ。2010年代には、トイレ空間を有効活用できるタンクレス型のトイレが人気になった。

タンクレストイレ=朝日新聞社

 タンクの水を活用してきたブルーレットにとって最大のピンチが訪れた。

 小林製薬は、ブルーレットの設置場所をタンクから切り離す「発想の転換」を進めた。その成果として、便器にシールのように貼り付ける「デコラル」(2014年)と「スタンピー」(2015年)を発売。便器に貼るだけの手軽さや香り、見た目のかわいさなどから、若年層にもファンを増やしたという。

2015年発売のスタンプタイプのスタンピー

 小林製薬の藤江さんは、「いつの時代も、ブルーレットは使い手のニーズに応えようと開発を繰り返してきた」と振り返る。

 ブルーレットは2014年、ひとつの快挙を成し遂げた。

 「水洗トイレのタンクに設置するトイレケアのブランド」としてギネス世界記録に認定されたのだ。

 

 ブルーレットは現在、中国と香港、台湾、シンガポールでも販売されている。シールタイプの「デコラル」は訪日旅行客のお土産としても人気商品に。海外で普及しているトイレ用の芳香洗浄剤にはないデザインや香りのよさが好評なのだという。

 

 2021年3月期のブルーレットの売上高は約180億円。小林製薬の連結売上高の12%を占め、文字どおり会社の屋台骨を支える商品になった。

 

 まだ日本で高度経済成長が続いていた1960年代。先進国のアメリカを体感して「日本のトイレを清潔にしたい」と感じた青年の思いは見事に実った。

 いまでは逆に、日本発の「ブルーレット」が海を渡って世界のトイレをきれいにしていく時代に。

 「これからもブルーレットを販売する国や地域を広げていきたいと考えている」と小林製薬の藤江さんは話している。

 

(朝日新聞社の経済メディア「bizble」で2021年10月25日に公開した記事を転載しました)