中国の画家が描いた「自然の風景画」 その風景が実在しない理由
「自分なりの視点」で世界を見つめ、「自分なりの答え」を生み出す“アート思考”がビジネスの世界で必要な力になりつつあります。美術教師の末永幸歩さんがアート思考を身につけるためのレッスンを展開します。今回は中国の「山水画」から、「みつめること」について考えます。
「自分なりの視点」で世界を見つめ、「自分なりの答え」を生み出す“アート思考”がビジネスの世界で必要な力になりつつあります。美術教師の末永幸歩さんがアート思考を身につけるためのレッスンを展開します。今回は中国の「山水画」から、「みつめること」について考えます。
こんにちは。美術教師の末永幸歩です。
物事を新たな角度で見つめ直す「アート思考のレッスン」へようこそ。
今回は、1000年ほど前の中国で描かれた1枚の絵をみながら、「みつめること」について考えていきましょう。
ご覧いただくのは、山、川、樹木など自然の風景を題材とした「山水画」と呼ばれるジャンルの「早春図」という作品です。
独自の画論をまとめ、中国山水画を発展させた北宋の画家「郭煕(かくき)」の代表作であり、台湾・台北にある世界最大規模の故宮博物院に収蔵されている「早春図」という作品です。
息を呑むような壮大な自然が、見事に描かれた大作です。作品をみると、作者の郭煕が実際にある自然の風景を描いたのだろう、と感じられると思います。
しかし実は、中国のどこを探したとしても、この絵に描かれている自然と同じ景色は実存しなかったそうです。
これは一体どういうことでしょうか?
ここには、山水画の礎を築いた画家たちがどのように世界を「みつめていた」のかが関わっています。
郭煕と同時代に文人・画家として活躍した蘇軾(そしょく)の言葉に、「画を論ずるに形似をもってするは、見児童と隣る (画を論じて形にこだわるのは、子どもの見方と大差ない)」というものがあります。
この言葉からは、中国の絵画が、そもそも「見えた通りに自然の形を再現すること」を目指していなかったことが伺えます。
また、郭煕は「みつめる」ということについて、次のように述べています
「自然を理解する最良の方法は、自らこの山に遊んで観察することである。そうすれば山水の姿がありありと胸中に展開する」
郭煕は、「早春図」を描くにあたり、実際に山々に足を運びました。しかし、見えたままの自然をスケッチして描き写すようなことは決してありませんでした。
その代わり、「水とはどのようなものなのか?」や「木とは、岩とは……?」と、自然の摂理について、自己の胸の中で思いを巡らせることによって、その真理を追究しようとしたのです。
そうしてつかんだ自然の真髄(しんずい)を、1枚の絵の中に再構成しました。
つまり、「早春図」に描かれている山々や樹木は、「特定の場所に実存したもの」ではありません。
郭煕が胸の中でつくりあげた「観念」を通して自然をみつめ、その摂理を表現した絵だったのです。
郭煕をはじめとする大家たちのように、自然の中に身を置いたり、思いを巡らせたりすることによって、独自の観念をつくりあげることは、誰にでもできるわけではありません。
後世の画学生たちはどのようにして山水画を学んだのでしょうか。
美術史家のE.H.ゴンブリッチの著作「芸術と幻影」に、興味深いエピソードが記されています。
中国の画学生たちが山中を散策していたとき、美しい自然の風景を目前にして、「今ここに『手本』があれば、目の前のこの風景を描けるのに」と言ったというのです。
後世の画学生たちは郭煕の「早春図」をはじめとする巨匠の作品を「手本」として、それを観察したり、模写したりすることで、巨匠たちがしていたように「水とはどのようなものなのか?」「木とは、岩とは……?」と思い巡らせ、その真理に迫ろうとしたのです。
彼らにとっての絵画の基礎は、「見えたままの自然をスケッチすること」ではありませんでした。
「手本」をもとにして自然の摂理を体得することができてからはじめて各地を旅し、つくり上げた「観念」を通して、実際の自然をみつめたのです。
今回は「みつめること」について、中国の山水画を見ながら考えていきました。
「みつめること」とはすなわち、「客観的な目で自然を観察すること」のように思われがちです。
しかし、中国の画家たちがしていたように「主観的に胸のなかで思いを巡らせて、観念をつくりあげること」もまた、1つの「みつめ方」でもあります。
「みつめること」とはどのようなことなのか?
答えが1つではない問いについて考えを巡らせることで、あなたも「アート思考」を育んでみてくださいね。
(朝日新聞社の経済メディア「bizble」で2021年10月24日に公開した記事を転載しました)
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