目次

  1. 勤務先が倒産、厳しい現実知る
  2. 兄が退任、2社の社長を兼務
  3. 成功体験引きずり単一事業に依存
  4. コロナ禍を奇貨として新たな挑戦
  5. ユニークなマスク、「錯視」も事業に
  6. 溶接工育成へ実習生受け入れ
  7. 「先の読めない時代、特化しすぎは危険」

 ショウワテクノは1961(昭和36)年、藤村さんの親戚である北原高太郎さん(故人)が、鋼板やアルミ板などの加工を担う昭和金属工業として創業しました。2代目社長に父・庄市さん(86)が就き、飲食店の厨房設備から自動車、漁船など、BtoBのプレス加工や板金加工が好調で、事業を拡大してきました。2008年にショウワテクノに社名変更。売上高は約4億円(2019年度)、従業員数は約40人です。

 藤村さんは兵庫県で生まれ育ちました。家業は兄が継ぐ予定だったため、自分は一般企業に就職するつもりでした。高校卒業後、業務用食洗機などを製造する東京の洗浄機メーカーに入社します。

 自動車用や食品加工用の洗浄機を売る営業担当者としてキャリアを積みましたが、33歳の時、勤務先が倒産します。取引先が倒産したことで2億円余りの売掛金が回収できなくなり、別の取引先への支払いができなくなったために起きた連鎖倒産でした。勤務先の経営状態は決して悪くありませんでしたが、中小企業は資金繰りの悪化で簡単に倒産しうる、という厳しい現実を目の当たりにしました。

 「しばらく勤務先に残り、倒産した取引先からの売掛金回収や管財人との交渉、仕入れ先との調整などを担当しました。当時は一社員に過ぎませんでしたが、これらの経験は現在の経営に大きく役立っています」

 その後、倒産した勤務先の洗浄機製造事業を引き継いでくれる会社を探し始めました。1999年、複数の候補の中から、父親が経営していた昭和金属工業(現在のショウワテクノ)への移管が決まります。移管先候補の中で最も財務基盤が安定していたことが決め手になりました。同時に藤村さんは昭和金属工業へ入社しました。

 3年後の2002年、昭和金属工業が造る業務用洗浄機を保守点検する会社としてワムコ・ショウワテクノを新設。昭和金属工業の専門は板金加工だったことから、2006年にワムコ・ショウワテクノをショウワに社名変更し、洗浄機製造事業を移管します。当初は父・庄市さんが社長を兼務しましたが、洗浄機製造事業を受け入れる段階から関与していた藤村さんが2010年、社長に就任しました。

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