「ひつじサミット」を開いた三星グループ5代目 目先の利益より大事なもの
岐阜県羽島市の三星(みつぼし)グループは、国内外のアパレルブランド向けに生地を製造したり、自社ブランドの洋服を販売したりしています。5代目の岩田真吾さん(41)は、総合商社や外資系コンサルという華やかなキャリアを手放し、27歳で家業に入りました。2021年には、地元の同業者を巻き込んだ大規模イベント「ひつじサミット尾州」を開催。自社の業績も好調です。岩田さんが描く地域社会の未来や、経営者の心構えについて聞きました。
岐阜県羽島市の三星(みつぼし)グループは、国内外のアパレルブランド向けに生地を製造したり、自社ブランドの洋服を販売したりしています。5代目の岩田真吾さん(41)は、総合商社や外資系コンサルという華やかなキャリアを手放し、27歳で家業に入りました。2021年には、地元の同業者を巻き込んだ大規模イベント「ひつじサミット尾州」を開催。自社の業績も好調です。岩田さんが描く地域社会の未来や、経営者の心構えについて聞きました。
目次
三星グループが根を下ろす尾州(びしゅう)地域とは、愛知県北西部と岐阜県にまたがる一帯を指します。木曽三川の豊かな水に恵まれ、日本一の毛織物産地として発展してきました。イギリスのハダースフィールド、イタリアのビエラと並び、尾州は「世界三大毛織物産地」の1つに数えられるそうです。
三星グループの始まりは、岩田さんの高祖母・志まさんが1887(明治20)年に始めた「艶(つや)つけ業」といいます。和服に使われる綿や絹の織物の艶を出す仕上げ作業のことです。
衣類の西洋化が進むにつれ、需要の増す毛織物の取り扱いを始めました。1931(昭和6)年、毛織物の染色など行う三星染整を創業。1948(昭和23)年には、現在の三星グループの中核である三星毛糸を設立し、ウール、綿、絹などの紡績を始めました。三星の名前は、岩田家の家紋である「丸に三つ星」に由来します。
1950年に始まった朝鮮戦争で、尾州を含む国内の繊維産業は特需に沸きました。機械をガチャと動かせば「万」のお金がもうかることから「ガチャマン景気」と呼ばれた頃です。
岩田さんの祖父・悦二さんが社長だった1968年には、皇太子ご夫妻(現・上皇ご夫妻)が三星毛糸を視察しました。
岩田さんは「三星では当時から工場見学を積極的に受け入れていました。もっと大きな会社もある中で三星が視察先に選ばれたのは、どこよりも丁寧な説明を受けられると判断されたからでは」と話します。
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1974年には、繊維染色技術を応用して合成樹脂の着色や高機能化を担う三星ケミカルを設立。その後できた、ベンチャー企業への投資を手がけるウラノスなど計5社を「三星グループ」と呼んでいます。
岩田さんは1981年生まれ。姉2人と3人きょうだいで、家族からは「アトツギだから」と言われて育ちました。高校生の頃まで、「いずれ後を継ぐのだろう」と素直に受け止めていたといいます。
転機は大学生活でした。2000年に慶応大学に入学し、都内で1人暮らしを始めました。様々な人に出会う中で、世界は広く、後継ぎ以外の様々な生き方があることを知ります。
大学最大のサークル「律法会」での経験も大きかったといいます。律法会では毎秋、1年生の中からサークル全体の実質的なリーダーを選挙で選ぶことになっていました。立候補者が1人でも信任投票があります。岩田さんは「当時すでに36年の歴史があり、良さも多いけど、時代に合わない部分もある。改革してより良いサークルにしたい」と立候補を考えます。ライバルから辞退を求められた時には、むしろ燃えたそうです。信任投票でリーダーに選ばれたことは、岩田さんにとって大きな自信になりました。
大学3年になると、大手広告代理店の博報堂でインターンを経験し、チームで仕事をする会社員の仕事に魅力を感じました。広告代理店や商社を中心に就職活動をし、2004年に三菱商事に入社。しかし、わずか2年で転職します。
「三菱商事は今でも入社したいくらい、良い会社でした。ただ、当時はもっと自分の可能性や実力を試してみたいと感じていたんです。それなら外資系だと考えて、24歳でボストンコンサルティンググループ(BCG)に入社しました」
BCGでは、金融機関の3カ年経営計画の策定や、自動車部品メーカーの営業効率化などを担当しました。大手スポーツブランドの日本戦略見直しでは、当時まだ規模の小さかったランニング用品の市場に注目し、マーケティング予算の倍増を提案。顧客企業の期待を大きく上回る売上成長につなげたそうです。目に見える成果を出し続けることで、肩書はアソシエイトから1つ上(当時)のコンサルタントになりました。にも関わらず、岩田さんは27歳の時、BCGも退職します。
起業するか、家業を継ぐか――。考えた末、「起業は自分以外でもできるけど、家業を継ぐことは自分にしかできない」と後者を選びます。
しかし、国内の繊維産業は逆境続きでした。下請けの立場にある多くの繊維メーカーには価格決定権がなく、利益率は下がっていました。さらに、国内で流通する衣料品のうち、国産品の割合は数量ベースでわずか数%にまで縮んでいます。2009年時点の三星グループの従業員数は約100人で、ピークだった1960年代の約1600人から激減していました。
家業に入ると言うと、周りからは「なぜ火中の栗を拾うようなことをするのか」と不思議がられたといいます。恵まれた待遇や社会的ステータスを捨てることに、葛藤はなかったのでしょうか。
「正直なところ『恵まれた待遇や社会的ステータスを捨てる』という感覚が全くなかったんです。むしろ、これまでのキャリアを生かすなら、斜陽産業や地方に飛び込むべきだと思っていました。BCGで一定の成果を出せたので、仮に失敗しても家族だけは食べさせられるという度胸もつきました。それに、自分はどちらかというとアイデアマンです。自分のアイデアをどんどん形にしたいという部分は、経営者向きだと考えました」
リーマンショック直後の2009年、岩田さんは27歳で三星グループの3社に入社。約10カ月後、28歳で3社の社長に就きました。
岩田さんは当時の自分を「相当とがっていた」と振り返ります。周りの同業者や先輩に教えを請うより、東京で得た知識や経験で業界を変えてやろうと、鼻息荒く事業に取り組んだそうです。
しかし、社長になって1年経ったころが一番つらかったといいます。リーマンショックで悪化した業績をV字回復させたつもりが、パッとしない決算内容だったのです。
それまでの1年間、岩田さんは社長を務める3社にそれぞれKPI(重要業績評価指標)を設定。営業部門には客先を回る厳しいノルマを課し、製造部門には「B品(ほつれやシミのある不良品)を出すな」とうるさく言いました。
「今思えば、数字だけを追っても結果が出るわけありません。でも当時は何がいけないのか分からず、悩むばかりでした」
BCG時代に知り合った先輩に相談すると「1年では結果が出なくて当たり前。20年、30年という長い目で見てはどうか」と助言されました。「そうだ、焦る必要はない。三星グループは非上場企業なのだから、(株主など)外部の目は気にせず、ゆっくり取り組めばいい」と考えると、気持ちがすーっと楽になったといいます。
現状を変えるには、三星グループ130年の伝統と信頼だけでは不十分です。後世に残すべき自社製品の価値とは何だろうか――。岩田さんはその問いを世界にぶつけることにしました。繊維商社に任せきりだった海外ブランドへの営業活動を見直し、ヨーロッパの高級ブランドに自ら売り込むことにしたのです。
こうして2012年、パリの高級生地見本市「プルミエール・ビジョン」に出展します。名だたるブランドの人たちが三星の生地に注目してくれ、岩田さんは「自社のクリエイティビティは、未来に残す価値がある」と確信します。2015年には自社ブランド「MITSUBOSHI 1887」を立ち上げ、洋服の製造と販売に乗り出しました。同じ年、イタリアの高級ブランドのエルメネジルド・ゼニアが日本の職人とコラボする「MADE IN JAPANプロジェクト」で、三星の生地が選ばれました。
経営が安定し始めた2017~18年ごろ、社長として大変な時期をもう1度経験します。繊維の染色加工を行う三星染整の事業撤退をめぐり、父・和夫さんと意見が割れ続けたのです。
染色は採算が取れなくなり、グループ経営の足を引っ張っていました。ただ、三星染整の業態は祖業である艶つけ業に最も近く、和夫さんが長年注力してきた分野です。撤退を主張する岩田さんと、残したい和夫さん。会議のたびに衝突したといいます。
決定権は社長である岩田さんにありましたが、半生を捧げた父に納得して決めてほしい一心で、何度も説得しました。2019年に和夫さんが「やめる」と言ってくれるまで、2年かかったといいます。撤退が決まり、雇用継続を望む人にはグループ内の別会社に移ってもらい、転職希望者には再就職を支援しました。
和夫さんとのやりとりの仕方について、反省もしたそうです。自分たちは議論しているつもりでも、周りには親子げんかに見えてしまいます。それ以来、会議では親子での激しい議論を封印しているといいます。
2012年に出展したパリの高級生地見本市「プルミエール・ビジョン」では、ヨーロッパのブランドの担当者から、ある助言を得ました。
「三星の繊維はすごくいい。今後はサステナビリティ(持続可能な製品づくり)に力を入れてほしい」
この助言は、のちの岩田さんの活動に大きな影響を与えました。持続的開発目標(SDGs)が国連総会で採択されたのが2015年です。岩田さんが助言を受けたころ、サステナビリティの概念は今ほど社会に浸透していませんでした。
アパレル業界には大量生産、大量消費、大量廃棄の慣行があり、特に近年、問題視されています。国民生活センターの月刊誌「国民生活」2021年4月号によると、2020年の衣料廃棄物は日本だけで50 万㌧を超えます。
1990年代初頭からの需給の推移を見ると、国内の市場規模が縮小する一方、国内供給量は増加傾向が続きました。
一方、衣服1点当たりの価格は下がっています。
こうした流れを生んだ1つの要因が、ファストファッションの台頭です。大手アパレルメーカーは大量の服を製造し、安く売る一方、多くの売れ残りが出ました。すると廃棄される未使用の服も増えます。客の消費サイクルも速まり、少し着ただけで捨てられる服が増えました。また、服から抜け落ちた合成繊維の中には、マイクロプラスチックとして生態系に影響を与えるものもあります。
これらの問題を解決する「サステナブルな繊維」として、岩田さんがたどり着いたのがウールです。朝日新聞の記事「繊維の王様・ウールは生きている」(2007年2月11日付)では、日本繊維機械学会に取材して、ウールの特性に迫っています。記事によると、ウールの繊維の表面は撥水(はっすい)性があるためドライに保たれ、汚れにくいそうです。中は吸湿性が高く、空気も多く含みます。このため、冬は暖かく夏は涼しいのだといいます。また、ウールの元となる羊毛は土に返る性質があり、環境への負荷の少ない天然素材として近年再注目されています。
ウールに着目した岩田さんが開発したのが「23時間を快適にするTシャツ」です。コンセプトは「1日のうち(お風呂に入っている1時間以外の)23時間、ずっと快適に着ていられる」というものでした。Tシャツといえば綿素材が主流ですが、撥水性が低いため、吸った汗でベタベタしてしまうのが難点。一方のウールは、いつもサラサラの着心地で、防臭効果も高いそうです。
2019年には「23時間を快適にするTシャツ」のクラウドファンディングを実施。目標額の100万円をはるかに上回る約815万円を集めました。現在は「23時間を快適にするメリノウェア」としてTシャツやパーカー、カーディガンなどを販売。売れ行き好調で、三星毛糸の売上の約1割を占めるまでになりました。
翌2020年、コロナ禍が訪れ、繊維やアパレル業界は大打撃を受けます。岩田さんは「今までのように各企業が個別に製造して売るだけでは、この困難を乗り越えられない。尾州の同業者が手を組むべきだ」と考えました。とはいえ、ライバル同士が協業するには信頼関係が必要です。
そこで思いついたのが、クラフトツーリズムでした。地場産業(作り手)と観光客(使い手)が、ものづくり体験などを通じて交流する新しい観光の形です。「ウール素材のサステナビリティを知ってほしい」と思っていた岩田さんは、クラフトツーリズムのテーマに「羊」を据えました。
周囲に相談するうち、次第に賛同者や支援者が集まりました。30~40代を中心に、20代や学生も含んだ男女20人の実行委員会が発足したのです。
実際に開かれた「ひつじサミット尾州」では、羊毛で人形を作るワークショップや織物工場の見学、ヒツジのえさやり、羊肉バーベキュー、ウールTシャツの販売といったイベントを展開することになります。
資金面はどうしたのでしょうか。当初は10人余りの発起人が10万円ずつ出し合うつもりでした。しかし、賛同者が増え、イベントの規模も膨む見通しになり、100万円余りの予算では不十分になりつつありました。
大きかったのは、地銀から協賛を得られたことです。岩田さんが自社の相談ごとで地銀支店長に会った際、「ひつじサミット尾州」について熱く語ると、先方から申し出てくれました。岩田さんは「僕には協賛という発想がなく、予想外の申し出でした。本当に感謝しています」と振り返ります。これがきっかけになり、他の金融機関や地元有力企業からも協賛を得て、市の補助金も支給されました。
その後も実行委員会のつながりから、来場者が会場内を移動するための水素自動車を自動車販売店が無償貸与してくれたり、商店がスタンプラリーの景品を提供してくれたりと、地元の協力者が次々現れたのです。
マスコミへの露出も図りました。取り上げてもらうために、「ひつじサミット尾州が社会で話題のテーマに即している」とアピールしようと考えました。「持続可能性」「事業承継」「産業観光」などニュースでよく聞くキーワードと開催目的を結びつけたプレスリリースを作りました。すぐに取り上げてもらえなくても、あらゆるツテをたどってアプローチした結果、地元紙だけでなく、全国区の媒体も「岩田さんの熱意に負けた」と取り上げてくれたそうです。
著名人の力も借りました。ともに愛知県出身で、若い世代に人気の声優・戸松遥さんと人気モデルの牧野紗弥さんがアンバサダーに就任。愛知県一宮市出身で祖父が繊維業者だったラッパーのSEAMOさんは、オリジナルソングを作ってくれました。
2021年10月30、31日に開かれた「ひつじサミット尾州」には、53の事業者(繊維29、飲食11、その他13)が参加し、39事業者が協賛・協力、7団体が後援しました。6月に2日間開いたプレイベントと合わせ、約1万2000人が来場、約3000人がオンライン参加し、売上金額は1337万円に上りました。
地元以外への広がりもみられました。来場者の約半数は地元の愛知県一宮市と岐阜県羽島市でしたが、4割が東海3県、1割はその他の地域でした。参加者の満足度も高い傾向が出ました。来場者の9割近くがアンケートに「満足」と回答。参加した事業者の8割も「とても満足」または「やや満足」と答えました。
当日は、紡績から撚糸(ねんし)、糸染め、織り、編み、整理など、原料が生地になるまでの全工程を公開しました。「来場者の前で実演した結果、職人たちが仕事の社会的意義を感じ、より誇りを持てるようになりました」と岩田さん。「もっと服を大事にします」と話した来場者も少なからずいました。
周りを巻き込んで地域イベントを成功させるコツは何でしょうか。岩田さんは「ゆるいつながり」が大事だと考えます。「ひつじサミット尾州」で掲げた目的は次の5つです。
1. 使い手と作り手がつながる
2. 地域内で業種の壁を超えて事業者同士がつながる
3. ウールの持続可能性を(楽しく)認識してもらう
4. 後継ぎのイメージアップ(事業承継の促進)
5. 担い手育成(働くモチベーションのアップ&採用促進)
「『ひつじサミット尾州』は、開催目的を1つに絞っていない点がユニークだと思います。この5つのどれかに結びつけばOKです。来場者から見ると、おしゃれなファッションが好き、羊がかわいい、羊肉が好き、など理由は人それぞれでいい。入り口を広くして、まずは足を運んでもらい、この地域や産業、製品に興味を持ってほしいと考えました。参加事業者の目的も様々ですが、それでいい。絞りすぎないからこそ、つながることができるんです」
三星グループの2022年度の売上高は、岩田さんの社長就任後最高となる24億円の見通しです。売上高は最悪期である2014年の1.4倍、営業利益は4倍になるといいます。
好業績の要因は何でしょうか。岩田さんは大きく3つの理由を挙げます。
1つ目は適時適量生産に移行したこと。以前は大量生産した在庫の中から受注分を販売していましたが、利益率が低迷する原因になっていました。2つ目は、10年前と比べ顧客の半分以上が入れ替わったこと。三星グループを下請け扱いせず、提供する付加価値を理解してくれる顧客との取引が増え、売上高が伸びています。3つ目は不採算事業だった三星染整からの撤退です。
三星グループでは2021年から、技術の継承にも力を入れています。高齢などを理由に廃業を考えている地元の繊維企業にグループ社員を派遣し、対価を支払いながら古い織機の操作などを教えてもらっています。古い織機の中には、太さや質感が異なる様々な糸から多様な生地を1台で生み出せるものがあるのです。
アパレルブランドと仕事をする際、岩田さんたちは「どんな服を作りたいか」から逆算し、必要な生地、必要な糸や織り方を考えていきます。様々な織機の技術や知識があることで、より適切な提案ができるといいます。
家業を継いで12年。経営者としての考え方も変わりました。
家業に入った当初は、「四半期ごとの会計上の利益をいかに増やすか」が経営者の価値を計る指標だと思っていました。しかし、すぐには業績が上向かない中、短期的には利益に直結しない打ち手が、のちに業績を押し上げるという経験を重ねてきたのです。
例えば、社長に就いてまもなく、売上ナンバーワンの営業マンが辞めてしまいました。痛手でしたが、結果的に顧客の入れ替わりが進み、自社の生み出す付加価値を高く評価してもらえるようになりました。また、パリの高級生地見本市への出展も、それ単独では大きな赤字ですが、現在では海外との取引が利益に貢献しています。
「短期での会計上の利益を追うことや当期純利益を最大化することは、はっきり言ってサステナブルな会社経営には全く関係ありません。もちろん、しっかり利益を出すこと、少しずつでも成長することは事業継続に不可欠です。ただ、短期に目を向けすぎて、顧客や取引先の信頼を損ねては本末転倒です。何より、会社や従業員の基盤である地域社会を差し置いて『自社さえよければ』という姿勢では、長期的な成長は望めないのではないでしょうか」
この秋、2回目の「ひつじサミット尾州」が開かれます。日程は2022年10月29、30日の2日間。場所は前回同様、ウール産地である尾州(愛知県一宮市、津島市、岐阜県羽島市)の複数の会場です。工場見学やものづくり体験、アートやショッピング、グルメを楽しみながら、「ウールの持続可能性」を感じてほしい、と岩田さんは考えています。
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