目次

  1. 毛織物産地の尾州で明治20年創業
  2. 三菱商事、BCGを飛び出し家業へ
  3. 「なぜ火中の栗を拾うのか」
  4. パリの見本市で確信した自社の価値
  5. 不採算事業の撤退めぐり父と激論
  6. 「サステナブルな繊維」ウールに注目
  7. コロナ禍が契機「ひつじサミット」開催へ
  8. 「絞りすぎないから、つながれる」
  9. 売上高は就任来最高、営業利益は不調時の4倍に
  10. 「自社さえよければ」では成長できない

 三星グループが根を下ろす尾州(びしゅう)地域とは、愛知県北西部と岐阜県にまたがる一帯を指します。木曽三川の豊かな水に恵まれ、日本一の毛織物産地として発展してきました。イギリスのハダースフィールド、イタリアのビエラと並び、尾州は「世界三大毛織物産地」の1つに数えられるそうです。

 三星グループの始まりは、岩田さんの高祖母・志まさんが1887(明治20)年に始めた「艶(つや)つけ業」といいます。和服に使われる綿や絹の織物の艶を出す仕上げ作業のことです。

艶つけ業を再現した様子。砧(きぬた)と呼ばれる台の上に、水でぬらした布を置き、木づちでたたいて艶を出す

 衣類の西洋化が進むにつれ、需要の増す毛織物の取り扱いを始めました。1931(昭和6)年、毛織物の染色など行う三星染整を創業。1948(昭和23)年には、現在の三星グループの中核である三星毛糸を設立し、ウール、綿、絹などの紡績を始めました。三星の名前は、岩田家の家紋である「丸に三つ星」に由来します。

 1950年に始まった朝鮮戦争で、尾州を含む国内の繊維産業は特需に沸きました。機械をガチャと動かせば「万」のお金がもうかることから「ガチャマン景気」と呼ばれた頃です。

 岩田さんの祖父・悦二さんが社長だった1968年には、皇太子ご夫妻(現・上皇ご夫妻)が三星毛糸を視察しました。

1968年、皇太子ご夫妻(現・上皇ご夫妻)が三星毛糸を視察した際の様子(三星グループ提供)

 岩田さんは「三星では当時から工場見学を積極的に受け入れていました。もっと大きな会社もある中で三星が視察先に選ばれたのは、どこよりも丁寧な説明を受けられると判断されたからでは」と話します。

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