目次

  1. 大正時代創業、町のパン屋の4代目
  2. アメリカのベーカリーで2年間修行
  3. 「日本一の職人に」プティパンづくりに傾倒
  4. アメリカで見た急速冷凍技術の衝撃
  5. 「いいパンがない」シェフの悩みに商機
  6. 営業先の反応鈍く、初月は売上2.5万円
  7. 高級レストランに絞ってDM、次々に商談
  8. 家庭で気軽に冷凍パンを食べる文化を

 スタイルブレッドの起源は、大正時代にさかのぼります。菓子屋として創業し、まんじゅうやようかんなどを作る中、当時まだ珍しかったパンを焼き始めたそうです。1930(昭和5)年に屋号を「桐生製パン所」とし、製パンに特化。戦時中に「田中製パン所」に改名しました。戦後復興期は学校給食用のパンを作り、田中さんの父で3代目の田中実さん(84)の時代になると、市内に3店舗を構えました。

「田中製パン所」時代の店舗(スタイルブレッド提供)

 1990年に家業に入った4代目の田中さんは、職人として長年にわたりパンの味を追求しました。ある時、味を損ねずにパンを急速冷凍する技術に出会います。2006年、社名を「スタイルブレッド」に変更。ホテルやレストラン、結婚式場などに販売する事業を始めると、急成長しました。

 その後も地元・桐生市でベーカリー1店舗を運営していましたが、コロナ禍で閉店。現在は小売り店舗を持たず、自社工場でのパン製造、法人向けの販売、個人向けの「Pan&」の運営に集中しています。業務用パンの導入店舗は3500店を超えました。従業員数は約270人、売上高は約23億円(2019年度)です。

 田中さんは1968年に生まれ、両親がパン屋を営む様子を見て育ちました。物心ついた時から、将来はパン職人になろうと考えていたそうです。

 「父が工場でパンを作り、母が店舗でパンやサンドイッチを売っていました。パン屋を継ぐのは当たり前だと思っていましたね。将来の職業について父から指図されることはなく、好きなことをやるよう言われていました。ただ『商業高校でそろばんくらい習っておけ』と言われたのは覚えています」

 桐生市立商業高校に進み、ラグビー部で主将を務めました。卒業後、東京・高田馬場にある東京製菓学校のパン専科で、パンづくりを学びます。

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