目次

  1. 「会社を手伝ってほしい」でもリーマンショックで余裕なく
  2. 事業承継のきっかけは義父がかけた言葉
  3. 事業承継前に開いた親族会議
  4. 「社員が反発するからやりにくいとは言いたくなかった」
  5. 掲げたのは「今いる社員の能力の最大化」
  6. 会社は従業員承継へ

 大学時代に目標として掲げた「起業」をかなえた松岡さんを襲ったのは、義父の死でした。2009年9月、原因はがん。義父が経営していた金属加工会社は、「私以外継げる人が誰も居ないから……」という理由で、義母が後を継ぎました。

 松岡さんは、義母から「会社を手伝ってほしい」と相談されていましたが、当時はリーマンショックの影響で経営するIT会社の業績が厳しく、翌月の家賃も払えないところまで追い込まれていたため「見向きもできなかった」と振り返ります。

 しかし、その後、妻の家業の会社の財務状況が良くないことを知りながらも、松岡さんはIT会社の経営を降りて、事業承継の道に進むことを決断します。

 起業した会社を退いてまで松岡さんが事業承継を決断したのは生前、義父と交わした言葉があったからでした。

 義父のお見舞いに訪れたとき、2人きりで話す機会がありました。継いでほしいと言われるかな、と松岡さんは身構えました。実は、結婚前から何度か継いでほしいと相談されては断り続けていたからでした。

 しかし、この日の義父は「お金に困ったらいつでも言ってこい」とだけ声をかけました。リーマンショックの影響で、松岡さんは経営するIT会社は危機に追い込まれており「貧乏でやせてしまって、顔に吹き出ものができている状況で、しんどい状況だと義父もわかっていたのでしょう」。

(続きは会員登録で読めます)

ツギノジダイに会員登録をすると、記事全文をお読みいただけます。
おすすめ記事をまとめたメールマガジンも受信できます。