大学時代に目標として掲げた「起業」をかなえた松岡さんを襲ったのは、義父の死でした。2009年9月、原因はがん。義父が経営していた金属加工会社は、「私以外継げる人が誰も居ないから……」という理由で、義母が後を継ぎました。
松岡さんは、義母から「会社を手伝ってほしい」と相談されていましたが、当時はリーマンショックの影響で経営するIT会社の業績が厳しく、翌月の家賃も払えないところまで追い込まれていたため「見向きもできなかった」と振り返ります。
義父のお見舞いに訪れたとき、2人きりで話す機会がありました。継いでほしいと言われるかな、と松岡さんは身構えました。実は、結婚前から何度か継いでほしいと相談されては断り続けていたからでした。
しかし、この日の義父は「お金に困ったらいつでも言ってこい」とだけ声をかけました。リーマンショックの影響で、松岡さんは経営するIT会社は危機に追い込まれており「貧乏でやせてしまって、顔に吹き出ものができている状況で、しんどい状況だと義父もわかっていたのでしょう」。
松岡さんが一番苦しいときに、義父が一番やさしい言葉をかけてくれました。その義父が守り続けてきた会社がなくなるのを見て見ぬふりして良いのかと考えたといいます。
一方、事業承継の道に進むと、起業したIT会社の仲間に迷惑をかけてしまうので、そこが、一番葛藤した部分だったといいます。
しかし「(IT会社の方は)業績が安定するようになり、当面は大丈夫という安心感は残せたのかなと思い、最後は頭を下げました」と話します。
事業承継前に開いた親族会議
事業承継に向けて松岡さんがまず開いたのが親族会議でした。妻は3人姉妹。さらに社長となった義母も交えて、改めて誰も継ぐ人が本当にいないのかを確認しました。
誰からも手が上がりませんでした。膨大な借金が残っており、連帯保証人となることのプレッシャーが重いと感じましたが「この会社でやれるだけのことはやろう」と腹をくくります。
そのうえで、松岡さんが養子に入ること、松岡さんの息子にまで継ぐことが必須条件ではないことを確認したうえで、全会一致で事業承継が決まりました。
義母が求めたのはただひとつ「何十年やってきた会社なので、いま働いている社員たちが定年まで働ける会社にしてほしい」ということだけでした。
「社員が反発するからやりにくいとは言いたくなかった」
経営危機を迎えている会社に入り、最初の数週間はみんなも温かく迎えてくれていましたが、会議をきっかけに一変します。
松岡さんはこれまでの経験から「新人でも会議で発言しないとバリュー(価値)を出せない」と考え、積極的に発言します。しかし、当時の会社は意見しない会議が当たり前だったため出席者から「メンツをつぶされた」「あいつは何も分かっていない」と怒りを買ってしまいました。
悪いイメージが広がり、話したこともない社員にまで嫌われてしまう状況でしたが、「自分は何のために会社に入ったのか」と振り返り、この環境に入ると自分で決めたのだからと踏みとどまりました。
松岡さんは2014年から事実上の社長として経営の指揮を執りました。若い経営層が入ったときは、組織を若手中心のチームに刷新するという方法をとるケースもありますが、松岡さんは「マネジメントしやすい環境に身を置かない」と決め、今までがんばって会社を支えてきてくれた社員にきちんと感謝を示すことから始めます。
「年上の社員が反発するからやりにくい、とは言いたくなかったんです。義父ならうまくやっていたはずです。それができないのは自分に力がないからです」
掲げたのは「今いる社員の能力の最大化」
逆に、経営者としてやるべきは、社員一人ひとりのパフォーマンスを最大限発揮してもらうことだと考えました。部門を超えて話し合う場を設けたり、上司が怒鳴って部下に言い聞かせることを禁止し、上司の評価基準に「部下の成長度合い」を加えたりと「50~100ぐらいの手は打ちました」と松岡さん。
その結果、製品の質も売り上げも上がり、利益率も大幅に伸びました。社員一人ひとりの取り組みに結果が伴い始めると社員との関係も次第に改善されていきました。
会社70周年を迎える2016年に定時株主総会を経て正式に社長に就任。ただ、義母は社長退任の2週間後に急性白血病で急逝しました。引退後の旅行を予約し、楽しみにしていたなかで。事業承継時に、もう一つの目的として松岡さんが持っていた「義母に楽をさせてあげる」という目標を失うことになりました。
しかし、義母との約束だった「社員が働き続けられる会社」を果たすため、がんばり続けることを誓ったといいます。
会社は従業員承継へ
自動車業界の大変革の時期に、ガソリンエンジン部品加工をおこなう下請け企業が今後どうすれば生き残れるのかを考え、松岡さんは次の体制をつくるために2018年末、社長を退くことにし、義父が期待していた社員に事業承継しました。
松岡さんのパソコンには、寄せ書きと花束を渡された社員全員との集合写真が保存されていました。
後継者は「逆境が来ても立ち向かうタイプで、経費の使い方も一切公私混同せず使い分けられ、学ぶことに努力できる人」だといい、松岡さんの退任後も会社は順調に成長しています。
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