目次

  1. 「地元に愛される店」にこだわった創業者
  2. 「東北が廃れる」抱いた危機感
  3. 仙台牛のポテンシャルに気づく
  4. 知名度を一気に押し上げたお弁当
  5. 催事を全国への足がかりに
  6. 地元向けの発信も強化
  7. コロナ禍でも伸ばした売り上げ
  8. 昔と変わらぬ「町のお肉屋さん」の顔

 仙台市青葉区に本店を構える「肉のいとう」は、伊藤さんの父で先代の攻(おさむ)さん(77)が1967年9月に創業しました。50年以上にわたって、精肉や手作りの総菜を販売し続けています。屋号としても商標登録されている「かたい信用 やわらかい肉」というユニークなキャッチフレーズは、「良いものを安く提供する」「地元に愛される店作りにこだわる」という思いをこめて、攻さんが考案したものだといいます。

創業者で先代の攻さんは、今でも現役で肉の仕入れやカットなどを行っている(肉のいとう提供)

 攻さんの息子である直之さんは、幼い頃から家業を間近で見てきました。しかし、自分で家業を継ぐ気はありませんでした。また両親も「肉のいとうは自分たちの代で閉める」と決めていたそうです。

本店外観の様子(肉のいとう提供)

 直之さんは孫正義氏の経営手腕にほれ込んで、通信大手のソフトバンクで働きたいと思うようになり、大学卒業後の2005年に入社。2年間はシステムエンジニアとして勤務した後、経営企画部門で、会社の営業利益改善に取り組みました。転機が訪れたのは、2011年の東日本大震災でした。

 当時を振り返り、直之さんはこう語ります。

 「震災から間もない2週間前後のころ、津波で基地局が流され安否確認がとれない被災者に、ソフトバンクで小型アンテナの設置や電源供給をするため、部門を越えた600人ほどのプロジェクトが組まれました。宮城県出身だった私も行くことになり、配属場所は女川、牡鹿半島、石巻、気仙沼、陸前高田でした」

同じ本部から東北の支援に向かった、ソフトバンクのメンバー10人。右から3番目が伊藤直之さん(伊藤直之さん提供)

 「被災地は、本当に言葉が出てこないほどショックで、悲惨な状況でした。船が道路に乗り上げ、町は津波で流され壊滅的な状況だったのです」

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