「いいもの作れば売れる」は通用しなかった 笏本縫製3代目が磨いた発信力
10人ほどの従業員でネクタイ作りを手がける、岡山県津山市の笏本縫製。3代目の笏本(しゃくもと)達宏さん(35)は、職人の技術力にひかれ、右肩下がりだった家業に入りました。「いいものを作れば売れる」という気持ちで立ち上げた自社ブランドが苦戦し壁にぶつかりますが、地道なものづくりを続けながら情報発信を強化。有名ブランドやキャラクターとのコラボが次々に生まれ、大きな手応えを感じています。
10人ほどの従業員でネクタイ作りを手がける、岡山県津山市の笏本縫製。3代目の笏本(しゃくもと)達宏さん(35)は、職人の技術力にひかれ、右肩下がりだった家業に入りました。「いいものを作れば売れる」という気持ちで立ち上げた自社ブランドが苦戦し壁にぶつかりますが、地道なものづくりを続けながら情報発信を強化。有名ブランドやキャラクターとのコラボが次々に生まれ、大きな手応えを感じています。
目次
城下町として栄え、歴史的な町並みが残る岡山県津山市。笏本縫製は1968年に、同市で笏本さんの祖母にあたる玉枝さんが近所に住む女性ふたりと、自宅の一室で始めた縫製会社です。以前、働いていた縫製工場などから、ワイシャツのボタン付けや、ボタンの穴開けなどを請け負っていました。
4世代という大所帯で暮らしていた笏本さん。物心ついたころには、母・たか子さんも、縫製の仕事をしていました。笏本さんは、3つずつ離れたふたりの妹とともに、ミシンの音で起き、ミシンの音を聞きながら眠る日々を過ごしていました。
小学4年のときに両親の離婚を経験。曽祖父や祖父はとっくに他界していたため、家の中で男性は笏本さんだけになってしまいました。祖母や母は仕事ばかり。「妹を守らないと」と強く思ったといいます。この頃には、自宅から近くの工場に仕事場を移していました。
当時の笏本縫製は孫請けの仕事が多く、数をこなさないと生活もままなりません。たか子さんや玉枝さんも子どもや孫を育てるため、子育てよりも仕事を優先せざるを得ない日々でした。
「母親たちはものすごく苦労して何とか生きている状況に見えました。父親はいないし、母親は仕事ざんまいで構ってくれなくて、ご飯は子どもたちだけで食べる。そこまでして仕事をしているのに、いっこうにお金はもうかっていない様子でした」。そう子ども心に感じるほど、暮らしは裕福ではありませんでした。
「こんな生活をしているのは、激安商品を誰かに言われて作らされている、ダサい会社だからだ」とも思っていたそうです。
↓ここから続き
高校生になると、自分の将来についても真剣に考えるようになり、働いても働いても大変な思いしかしないイメージが染みついた家業から距離を取るようになりました。これまでやっていた家業の手伝いも、一切しなくなります。家業が嫌いなわけではなく、むしろ長男なので継ぐ必要があるとは少なからず思ってはいました。ただ「ご飯を食べていけなかったら仕方ない。自分の選ぶ仕事ではない」という思いが強かったのです。
高校卒業後は美容室への就職を選びました。
「先生には進学を勧められましたが、親に負担をかけますし、妹たちもいますから。早く僕が働かないとというのがありました。僕の負担が1つでも減ったら、楽だろうなと思っていたんです」
早く独立するため、働きながら通信の専門学校に3年間通い、美容師の資格を取得。これから本格的に美容師として活躍していこうと頑張っていた矢先、母のたか子さんの調子が悪くなってしまいました。最初は数カ月だけのつもりで、会社を手伝うことに決めました。
この手伝いが、転機につながります。
子供の頃、家業を「ダサい会社」と思ってた笏本さん。しかし手伝いを通じ、最初の1カ月で会社を知っていくなかで、徐々にイメージが変わっていきました。
笏本縫製は2005年頃から、誰もが知る有名ブランドのネクタイといったアパレル縫製を手掛けていたのです。技術力や、会社としての信頼がなければ有名ブランドの仕事は回ってきません。
「うちの家業って、格好いいのでは?」
そう気づいたのです。
同時に、もし自分がやらなかったら、小さい頃から聞いていたミシンの音がいつか途絶えてしまうのかなと思い「すごく悲しくなった」と語ります。
「僕たちを大人まで育ててくれたばあちゃんと母のこの仕事を、このまま終わらせるのはすごく悔しくなったんですよね。自分が情けない。自分だったら、もっとやれるんじゃないかって。根拠のない自信が湧いてきて『何とかしたい』と母に伝えたんです」
しかし母のたか子さんから返ってきた言葉は「お願いだから継がないでくれ」という真逆の返答でした。たか子さんは、自分の代で会社を終わらせるつもりでいたため、息子に継がせるつもりはなかったのです。
「それがまた悔しくて。僕がやってそれでも駄目なら閉めよう」
そう訴えたのです。これまで大変な思いをしながら家業を守ってきたたか子さんは、うれしさよりも心配が勝っているようすでした。
一方、創始者である祖母の玉枝さんは、近所の2人で始めてつないできた縫製会社が、未来につながり「うれしかった」と、後日語っていたそうです。
こうして、一度は逃げた家業のすごさを知り、家業を継ぐことを決意しました。21歳の頃のことでした。
笏本さんが入社したのは2008年。笏本縫製は技術力のある会社ではあったものの、バブルの影響で服をつくれば売れる時代はすでに過ぎていました。ボタン付けや服を縫う作業は賃金の安い海外工場に流れ、国内での仕事は減っていく状況にありました。
母のたか子さんはすでに、ボタン付けなどの下請け仕事を継続しながらも、ネクタイづくりの仕事を増やす方向にかじを切っていました。仕立てのいいネクタイの作り方を探るため、百貨店で購入した高級ネクタイをバラバラにして研究。以前あった設備もネクタイ専用のものに変わってきていました。
ネクタイは、スーツのようにカーブを縫うことはあまりないため、一見簡単そうに思われがちです。しかし現場を知る笏本さんは「すこぶる難しい」と語ります。
ネクタイは結んで使用するので、結ぶことを想定し伸縮性を大事にしつつも、ゆがまないつくりにしなければいけません。膨らみを持たせる箇所は膨らみを持たせ、左右を絶対に合わせるなど、調整箇所がたくさんあり、一つでも狂うと違和感が生まれてしまいます。
たとえばネクタイは芯に生地を巻き付けるように、立体的に包み込むようにつくるのですが、芯との間に隙間が多く生まれてしまうとブカブカとした不格好なネクタイになってしまいます。そのため「感覚でつくらないといけません。線を引いたようにつくれません」と語ります。
入社後、下積みのつもりでネクタイの作り方を職人から一つひとつ教えてもらいました。自分で作っていく中で、より職人たちの技術力の高さを再認識します。
「もっと自分たちの技術力を多くの人に知ってほしい」
強く思うと同時に、お客様の声を聞いてみたいと感じるようになりました。下請け仕事は、受注に依存しているため、価格もコントロールされてしまいます。
「今後のことを考えても、自分たちのアイデンティティーになるような物を作りたい」
こうして2015年に生まれたのが、自社オリジナルブランド「笏の音(シャクノネ)」でした。売り上げの8割は下請けの仕事、残りの約2割を自社ブランドでまかなう目標で、最初に100本をつくりました。
多くの縫製製品が海外でつくられているなか、国内で丹精込めて作られている「笏の音」。いいものを作れば、きっと売れるはず。そんな気持ちで、最初はネット販売から始めました。
とはいえ現実は厳しく、ネット販売は全然売れませんでした。次に「国産にこだわり地元で作られているのだから、地元に置いてもらい応援してもらわないといけない」と考え、地元の百貨店に営業に行きますが、これもうまくいきません。
そこで考えた策が、市役所という大きな看板を味方につけることでした。市役所の産業担当者の方に「地元にはこんなに素晴らしい技術力を持つ製品がある、市としても応援して欲しい」と自社の商品や技術力について説明し、後ろ盾になってもらえるように掛け合ったのです。製品を気に入ってくれた市役所の担当者の方と、再度、百貨店などに行き地元の商品ということで置かせて欲しいと頼みました。見事、販売スペースをもらうことに成功したのです。
百貨店での販路は開拓できたものの、売り上げは苦戦。一方のネット通販も動かないままでした。あきらめずに細々と続け、売り上げはすこしずつ伸びたものの、2016年は約100万円ほどにとどまりました。
「正直、2017年もこの調子なら、もうブランドはダメという流れになっていました」
そこで「いいものを作れば売れる」という考えは一度捨て、コンセプトを決めて作ろうと思い直しました。お客さんと接していく中で、ありきたりなものではなく、遊び心のあるものが好まれると気づいたため、「少しこだわる・しっくりくるネクタイ」をコンセプトに定めました。オリジナルロゴ入りの商品を作り、2017年10月にクラウドファンディングで資金調達を目指したところ、121人から約172万円の支援を得ることに成功。さらにクラウドファンディングの人気ぶりに目を付けた阪急メンズ大阪のバイヤーから連絡があり、ポップアップイベントに出品することになったのです。
しかし、オリジナルブランドの売り上げはなかなか安定しません。大阪でのポップアップイベントに参加するためのホテル代なども、ままならない状況でした。
「本当にお金がなさ過ぎて夜行バスで大阪まで行き、漫画喫茶で10連泊もしました。さすがに足を伸ばして寝ないとしんどいと思い、14日間のうち2日は、友だちの家に泊まらせてもらいましたね」
とても大変ではありましたが、苦ではなかったそうです。お客さんの反応があったためです。
「オリジナルロゴの入った商品を作るためにクラウドファンディングに出した商品が、実際に並んでいるわけじゃないですか。しかも商品を手に取ったお客様に『さりげないデザインがいいですね』などの言葉を頂いて、とてもうれしかったですね。阪急メンズ大阪がこれまでやってきたネクタイ系のポップアップ店に比べ、3倍ほど売れたようです」
阪急メンズ大阪のポップアップの実績は、やがて日本橋三越でのポップアップイベント参加などにもつながり、徐々に知名度が上がっていきました。
自社ブランドは右肩上がりを続け、2年間で初期投資分の売り上げは立つも、会社全体ではまだ利益は出ていない状況でした。
というのも2017年時点での売り上げのメインは、以前から続けているOEM事業でした。2015年くらいからOEM事業は年々10%ほど減っていき、自社ブランドの売り上げが右肩上がりでも、OEM事業の売り上げ減を補うまでには至らず、厳しい状況だったのです。
この頃には「別に自分がそんなに頑張らなくても、会社を潰したほうがラクなのではないか」「廃業も勇気なのではないか」といった迷いが生まれていたそうです。紙に迷いや問いを書き出してみました。結果、どんなに考えてもやはり「ネクタイを好きになったきっかけは『笏の音』でした、と言ってもらえるようなものを作りたい」「もっと多くの人に知ってもらいたい」という気持ちを再認識し、続ける意思が固まりました。
続けるためには「まず知ってもらわないといけない」。百貨店のイベントなどにも精力的に取り組みました。
そんな状況の中、2020年の新型コロナウイルスの拡大により、さらなる追い打ちがかかります。
大手百貨店などのイベントは中止となったうえ、売り上げの大部分を占めていたOEM事業も予定した受注が無くなり、自社ブランドの売り上げに頼らざるを得なくなりました。
「多分、自社ブランドを始めるのが1年遅かったら、潰れていたと思います」と笏本さんは振り返ります。
この頃は、マスク不足の懸念から、マスクをつくる企業が増えた時期でもありました。笏本さんは、少しでもマスクが医療関係者に渡るようにと思い、社員のために自社でマスクをつくったところ、社員やその家族がSNSに掲載。そこから火が付き、依頼を受けるようになったのです。
「社員さんのためにつくったものが求められたことで、自分たちや会社の命もつないだ、というのが正直なところですね」
マスクを購入することで「笏の音」の存在を知り、購入してくれる人も増えてきたためブランド自体の売り上げはコツコツと伸び続けました。
翌年、2021年1月1日、笏本さんは社長に就任します。「実質、これまでも会社の顔としてやってきていたので、あまり違和感はありませんでした。日常の延長線上で社長になったという雰囲気でしたね」と笏本さんは当時の心境を教えてくれました。
笏本縫製では、新型コロナウイルスの影響により対面がままならなくなり、発信の重要性が高まったことを受け、2021年4月くらいから、TwitterやInstagramの運用を本気で行うようになりました。またネット販売の場合は、ネクタイの質感などがわからず不安要素も多くなりがちなので、お客様が商品に対して不安があれば、ホームページのLINEやSNSのDMなどで相談にのり、お客様との対話を大事にした販売スタイルを大切にしていきました。
「弊社が作ったネクタイと知らずに付けていた人が、SNSなどでどのような思いで作られたネクタイなのかを知ることで、さらに愛着が湧く可能性があります。だからこそ発信が大事なんです」
ツイッターはほぼ毎日発信し、運営は笏本さん本人がやっています。内容は実にさまざま。ネクタイに関する豆知識や、職人の技術がわかる動画といった仕事の話題から、大好きなジブリの話、男性不妊に関する話もあります。そのように自分をさらけ出すことで、共感が生まれ新たなファンが生まれているようです。つぶやきがネットで話題となって拡散することもたびたびおこり、フォロワー数も約2万7千人まで増えました。
SNSから生まれた縁で、仕事の相談も入るようになりました。その中の一つに、2022年始めにSNS経由でコンタクトがあった「鎌倉シャツ」で知られるメーカーズシャツ鎌倉(神奈川県)があります。もともと丁寧な仕事をしている真摯なメーカーと笏本さんも感じていて、いつか一緒に仕事ができればと思っていた会社。6月には提携につながりました。
このほかにもSNSなどをきっかけに、ピーターラビットとのコラボレーションネクタイや、クリエイタープロジェクト「#AAAA(#フォーエー)アーティスト・クリエイターズ」の一環である「NEXT ATOM for the future Produced by #AAAA」(株式会社⼿塚プロダクション監修) への参画が決まり、人気キャラクター「アトム」とのコラボを実現するなど仕事の幅が広がっていきました 。コラボの拡大で自社ブランドの売り上げが大幅に増え、 2022年度は黒字見込みと語ります。
また、SNSやホームページが窓口となって、思わぬ出来事に遭遇することもあるそうです。
ある冬のことでした。ホームページを見たお客様から「もう1回、人前で付けたいのです」とネクタイの仕立て直しの相談を受けました。明らかに買い替えたほうがいいレベルの、ボロボロになったネクタイです。予算や仕上がり時間、仕上がりイメージなどを伝えたうえで、仕立て直しをしました。完成した頃は、ちょうど街がにぎわいを見せるクリスマスシーズン。
「『いかがですか』とお伝えしたところ『感動しました。もう一度、亡き妻にプレゼントされた気持ちになれて幸せでした』と連絡が入ったんです」
依頼されたネクタイの状態からして、昔のネクタイだったそうです。
「きっと奥様に何らかの記念日にいただき、気に入ってつけていらっしゃったのでしょう。しかし奥様が直近で亡くなられた。やっぱりこのネクタイをしたい、どうしても……と思い検索したところ私たちのホームページが出てきたようです。このように喜んでいただき、職人冥利に尽きると思いましたね」
知ってもらうために始めたホームページづくりやSNSは、笏本縫製にとってさまざまな出会いをもたらしているようです。
「今後は海外にも挑戦したいという夢を持っています」と生き生きと夢を教えてくれる、笏本さん。海外進出するためには、市役所にお願いして地元の百貨店に置いてもらった時のような「看板が必要」と語ります。しかし誰かに頼むのではなく、業界で一番になれれば、それが看板になるはずです。
「現在は、自分たちの思いに共感し、提携してくださる会社と、一つひとつ丁寧に話をさせてもらっているところでもあります」
今後も笏本縫製の技術や品質の良さを「知ってもらうことが大事」と語ります。これからの活動も見逃せません。
(続きは会員登録で読めます)
ツギノジダイに会員登録をすると、記事全文をお読みいただけます。
おすすめ記事をまとめたメールマガジンも受信できます。
おすすめのニュース、取材余話、イベントの優先案内など「ツギノジダイ」を一層お楽しみいただける情報を定期的に配信しています。メルマガを購読したい方は、会員登録をお願いいたします。
朝日インタラクティブが運営する「ツギノジダイ」は、中小企業の経営者や後継者、後を継ごうか迷っている人たちに寄り添うメディアです。さまざまな事業承継の選択肢や必要な基礎知識を紹介します。
さらに会社を継いだ経営者のインタビューや売り上げアップ、経営改革に役立つ事例など、次の時代を勝ち抜くヒントをお届けします。企業が今ある理由は、顧客に選ばれて続けてきたからです。刻々と変化する経営環境に柔軟に対応し、それぞれの強みを生かせば、さらに成長できます。
ツギノジダイは後継者不足という社会課題の解決に向けて、みなさまと一緒に考えていきます。