マツブンは、松本さんの祖父・文作さんが1939年、スーツに持ち主の名前を手刺繍する職人として東京・南千住で開業したのが始まりです。当時の東京では手刺繍職人はわずか3人しかいなかったため、文作さんに刺繍を依頼するスーツ姿の顧客が連日、店の外まで行列をつくっていたそうです。
2代目で松本さんの父・誠さんが53年に家業に入ったころに、ミシンで大量の刺繍加工ができるようになりました。事業拡大に伴って64年に法人化し、66年には現在本社がある東京都足立区に工場ごと移転しました。
70年代から90年代にかけては、アパレルブランドなどの下請けとして衣類にロゴなどを刺繍する事業で成長しました。専門の職人による細やかな刺繍表現と、特注した最新型の機械を掛け合わせた品質の高さからバーバリーやアーノルド・パーマーなど大手の信頼を勝ち取り、指定工場に選定されました。パーマーのシンボルである「傘」のロゴを刺繍するにあたり、専用の糸の開発もマツブンで手がけたそうです。
成長途上だった75年、マツブンの本社が放火され、併設していた松本さん一家の自宅もろとも全焼する事件がありました。付近の複数の家屋も被害を被った連続放火事件で、松本さんの祖母も命を落としました。
松本さんは当時8歳。愚痴をこぼさず再建に向けて地道に頑張る両親の後ろ姿を見て、「いつか家業を手伝ってあげたい」と考えたそうです。子どものころに父・誠さんから家業入りについて話を向けられたことはほとんど無かったといいますが、一度「僕が大きくなったら会社を継ぐよ」と松本さんが話したところ、誠さんがとてもうれしそうな顔をしたことが記憶に残っているそうです。
「家業では学べないことを先に外で経験する方がいい」と誠さんに勧められ、松本さんは、大学卒業後に下積み期間が比較的長い日系の会社ではなく、すぐに仕事を任せてもらえそうな外資系の商社に入社。ビジネス用の機械の営業を任され、早いうちにさまざまな経験ができたそうです。
「中でもマーケティングの実務は、今のマツブンの成長にもつながる重要な経験でした」と振り返ります。法人顧客の需要調査や営業戦略、PR施策など幅広い実務を任され、成果を出してきました。
30歳前後で営業部長に就任し、担当していた事業も順調でした。入社当初は「3年で家業に戻ろう」と考えていましたが、経営層から慰留され続け、10年を過ごした後の2000年に退社。32歳でマツブンに入社しました。
飛び込み営業も成果が出ず
当時のマツブンは業績不振のまっただ中でした。アパレルブランドの多くは生産拠点を人件費が安かった中国に移し、マツブンに刺繍を委託していた取引先の多くが苦境に陥っていました。
マツブンの全盛期の売上高は1億8千万円ほどありましたが、松本さんが入社した00年は4分の1の4800万円に。取引先も15社から3社にまで減っていました。
業界全体の不況もありましたが、マツブン自体にも課題がありました。アパレルブランドからの下請け事業ではそれまで価格交渉をしたことがほとんどなく、単価が低い状態が長年続き、利益が出にくい状態だったのです。
また、1人いた営業担当者が既存の取引先を定期的に訪問する、いわゆる「ルートセールス」をしていただけで、新規開拓もほとんどできていませんでした。
そこで入社から間もない松本さんは新しい取引先を開拓しようと、飛び込み営業を開始。ワイシャツやニットのメーカーにアポ無しで訪問してみると、刺繍の会社としてマツブンがそれなりに知られていたこともあり、たいてい面会には応じてもらえました。
ただ、肝心の受注については「うちもカツカツ。お願いできる仕事なんてないよ」などとあしらわれ、成果は出ませんでした。
ビジネスモデルを大胆に転換
他にも電話帳をめくって電話セールスをしたり、電信柱広告を出したりしたほか、01年には自力で「刺繍加工承ります」という内容のウェブサイトも作成。検索からサイトに誘導しようと、当時はさほど普及していなかったグーグルの検索連動型広告も試してみましたが、ほとんど反響はありませんでした。
松本さんは前職で営業マン・マーケターとして活躍し、マツブンに入社してからもその経験を生かして「何とかなるだろう」と考えていたそうです。しかし、実際は失注が続いたり問い合わせが無かったりして、「自信やプライドは砕け落ちました」と振り返ります。
「どうすれば売り上げが増えるのだろう」と試行錯誤していた02年ごろに転機が訪れました。マツブンのサイトを見た、アパレルではない一般企業の社員から「社員の作業着に付けるワッペンをつくってもらえませんか」という問い合わせが入ったのです。
「一般企業向けに、そんな需要があったとは」と驚いた松本さん。これぞ“鉱脈”と考え、サイトの文言を「刺繍入りワッペンをお作りします」と変更するなど、アパレルメーカーの下請けとして受注することを目的にしていたサイトの内容を、一般企業向けに変えてみました。すると、問い合わせや受注が徐々に増えるようになりました。
刺繍入りワッペンで得た気づきを元に、企業向けの刺繍入りオリジナル衣類にもニーズがあるかも知れないと考えました。
そこで、企業のロゴが刺繍されたポロシャツを一般企業向けに販売。効果が薄いと止めていた検索連動型広告も再開し、検索する人が「刺繍 ポロシャツ」といったキーワードを入力するとマツブンのサイトが上位に表示されるよう、当時、サイト内の各ページに「刺繍 ポロシャツ」という用語を多用しました。すると、サイトへの訪問や問い合わせがたちまち増え、受注が相次ぐようになりました。
「マツブンが提供する刺繍は、オーダーメイド品や高級品と相性がいいことに気づいたのです。以前は『いかにアパレルメーカーの下請けに入るか』ばかりを考えていましたが、発想を変えて『刺繍を入れることで生まれる付加価値を一般企業向けに売る』という方向に事業を変えました」
デジタルマーケティングで成長
潜在的な市場とニーズに気づいた松本さんは、顧客への営業の際に、刺繍を入れることで高級感が生まれることと、マツブンの刺繍が長持ちすることをアピールすることにしました。前職でのマーケティングの知見を生かし、新商品の開発や販促活動にも注力します。
まずポロシャツに加えて、Tシャツや帽子などラインアップを増やして企業向けの刺繍入りオリジナルグッズの販売を開始。これらをウェブサイトを通じて提供することも始めました。
狙い通りの需要はありました。ポロシャツやTシャツを買ってくれた顧客は自社の展示会などで社員らが着用するウェアのほか、「クールビズ」が当時話題になったこともあってスーツの代わりに活用してもらったそうです。
さらにサイトの改修も行い、法人向けに高級感や落ち着いた雰囲気を意識したビジュアルにしたほか、プロのフォトグラファーが撮影した、職人を前面に打ち出した写真なども配置しました。
定額制の値段設定にして金額も明示したことで、サイト経由の受注も増えました。サイトから資料請求した顧客には無料でサンプルも送り、信頼を得る工夫もしています。マツブンのオリジナルグッズを購入した企業の事例紹介記事は、実名で載せるようにしました。現在、ホームページには電子部品メーカーや電力会社、公益財団法人などの事例が掲載されています。
「インターネット経由で訪れた、取引がない企業の方に信用してもらうため、実名で顧客の声を紹介するのがよいと考えました。これらのデジタルマーケティングの工夫は、外資系の商社でBtoBマーケティングをしていた時の経験が生きました」
年10%ペースで売り上げ増
マツブンは年10%のペースで売り上げを伸ばして09年には黒字に転換。松本さんは父・誠さんから交代する形で社長に就任します。
2010年代には、高級タオルで知られる今治タオルに刺繍を入れて販売する事業も始めました。こちらも定額制にしたところ、会社の周年記念品や販促品、学校の卒業記念品として売れるヒット商品になりました。
最新型の刺繍機も相次いで導入し、刺繍のパターン、色、量などさまざまな依頼にきめ細かく対応できる体制をつくっていきました。一方で、刺繍の良しあしを左右する刺繍の「型作り」へのこだわりは変わらず徹底し、時間やコストをかけ続けるようにしました。
20年からの新型コロナ禍では、イベント用のユニホームなど一部の商品の受注は減りましたが大きな影響はなく、前年比で115%の成長を達成しました。
22年3月期の売上高は約3億円を記録しました。松本さんが入社した00年の4800万円に比べると6倍以上の成長です。採用にも力を入れ、00年に6人だった従業員は20人にまで増えました。
潜在顧客の発掘へ情報発信
ビジネスモデルを大きく変えて、いちはやくデジタルツールも活用した松本さんを、父・誠さんは全面的に信頼し、任せてくれました。古くからいる従業員も協力的で素直に受け入れてくれたとのことです。
「僕が入社した当時、業界はどん底の状態で、新しいチャレンジをしないとマツブンは存続できないと皆がわかってくれていたからだと思います」
マツブンは現在、インターネット経由の売り上げは全体の9割を占めるようになりました。松本さんが入社した頃のような訪問営業はほぼ不要となり、ネットや電話を通じての営業活動がメインとなりました。
一方でネットを通じた集客をさらに拡大させる施策も始めています。これまでのようにネット検索を通じてマツブンのサイトを訪問する顕在顧客だけでなく、「直ちに刺繍商品を求めていないがいずれ購入する可能性がある潜在顧客」を発掘するため、松本さん個人のインスタグラムアカウントを通じて情報発信を始めました。
内容は、松本さんの趣味のグルメや音楽などに関する投稿が8割で、マツブンの仕事紹介などは2割程度です。まずは趣味で共感してもらえる潜在顧客と接点を持ち、いずれは刺繍に興味を持ってもらいたいと考えています。
長男も「10年で家業に入る」
松本さんには25歳の長男がおり、現在デジタルマーケティングの会社で働いています。松本さんが長男に検索連動型広告のキーワード設定などで相談を持ちかけることも増えたそうです。
長男が就職するまで事業承継についてはほとんど話したことはなかったそうですが、長男は最近、「今の会社で10年働いた後にマツブンに入るよ」と話すようになったそうです。
「本当に継ぐかどうかはあくまで本人の意思ですが、入社してくれるならうれしいですね。僕が今やっている事業のまま引き継ぐのではなく、彼なりの新しいやり方を編み出して、新しい事業も立ち上げてほしいです」