目次

  1. 大手ブランドの下請けで成長
  2. 外資系でマーケティングを経験
  3. 飛び込み営業も成果が出ず
  4. ビジネスモデルを大胆に転換
  5. デジタルマーケティングで成長
  6. 年10%ペースで売り上げ増
  7. 潜在顧客の発掘へ情報発信
  8. 長男も「10年で家業に入る」

 マツブンは、松本さんの祖父・文作さんが1939年、スーツに持ち主の名前を手刺繍する職人として東京・南千住で開業したのが始まりです。当時の東京では手刺繍職人はわずか3人しかいなかったため、文作さんに刺繍を依頼するスーツ姿の顧客が連日、店の外まで行列をつくっていたそうです。

 2代目で松本さんの父・誠さんが53年に家業に入ったころに、ミシンで大量の刺繍加工ができるようになりました。事業拡大に伴って64年に法人化し、66年には現在本社がある東京都足立区に工場ごと移転しました。

マツブンの本社兼工場

 70年代から90年代にかけては、アパレルブランドなどの下請けとして衣類にロゴなどを刺繍する事業で成長しました。専門の職人による細やかな刺繍表現と、特注した最新型の機械を掛け合わせた品質の高さからバーバリーやアーノルド・パーマーなど大手の信頼を勝ち取り、指定工場に選定されました。パーマーのシンボルである「傘」のロゴを刺繍するにあたり、専用の糸の開発もマツブンで手がけたそうです。

 成長途上だった75年、マツブンの本社が放火され、併設していた松本さん一家の自宅もろとも全焼する事件がありました。付近の複数の家屋も被害を被った連続放火事件で、松本さんの祖母も命を落としました。

 松本さんは当時8歳。愚痴をこぼさず再建に向けて地道に頑張る両親の後ろ姿を見て、「いつか家業を手伝ってあげたい」と考えたそうです。子どものころに父・誠さんから家業入りについて話を向けられたことはほとんど無かったといいますが、一度「僕が大きくなったら会社を継ぐよ」と松本さんが話したところ、誠さんがとてもうれしそうな顔をしたことが記憶に残っているそうです。

マツブンで刺繡したロゴ

 「家業では学べないことを先に外で経験する方がいい」と誠さんに勧められ、松本さんは、大学卒業後に下積み期間が比較的長い日系の会社ではなく、すぐに仕事を任せてもらえそうな外資系の商社に入社。ビジネス用の機械の営業を任され、早いうちにさまざまな経験ができたそうです。

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