「震災で全てなくなったのだから」 売り上げを5倍にした寒梅酒造の挑戦
宮城県大崎市の寒梅酒造は東日本大震災で蔵が全壊しました。蔵元5代目の岩﨑真奈さん(38)と夫で社長の健弥さん(38)は、震災を機に商品アイテムや取引先を大幅に絞り、蔵を開放して異業種コラボも進め、経営をがらりと変えました。売り上げは震災前の5倍以上に伸び、地域に貢献する新規事業も進めています。
宮城県大崎市の寒梅酒造は東日本大震災で蔵が全壊しました。蔵元5代目の岩﨑真奈さん(38)と夫で社長の健弥さん(38)は、震災を機に商品アイテムや取引先を大幅に絞り、蔵を開放して異業種コラボも進め、経営をがらりと変えました。売り上げは震災前の5倍以上に伸び、地域に貢献する新規事業も進めています。
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1918年創業の寒梅酒造は代表銘柄「宮寒梅」で知られ、自社田の酒米を中心に純米酒と純米大吟醸にこだわる蔵です。生産量は年8万本(一升瓶換算)で、国内約50の取引先に卸しています。
真奈さんは4姉妹の長女で、幼いころは米の香りがするのも従業員と衣食住を共にするのも当たり前でした。親戚から「いずれ継ぐんだから」と言われましたが「当時の私は嫌で、あとは妹たちに任せたというつもりで家を出ました」。
真奈さんは仙台市の大学に進学。サークルが一緒だった健弥さんと4年生の時から付き合い始めます。しかし、このころ母から家業の経営が苦しいと打ち明けられました。「別の会社に就職が決まっていましたが、家業も気になり一回戻ってみようと思ったんです」
健弥さんも一緒に働くことを決めました。「正直、当時はあまり深く考えておらず、まあやってみようというくらいの気持ちでした」
卒業直前の2006年秋、会社近くに2人で家を借り、アルバイトとして家業の業務を学びます。翌07年4月に2人そろって入社した直後に結婚式を挙げました。
健弥さんは製造現場に入り、真奈さんは経理などを担いました。しかし、いざ入社すると課題が次々に浮かびます。昔の慣習というだけで行っていた作業が多く、経営視点が抜けていたのです。
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「昔は農業の合間に酒造りに関わる人が多く、農業時間で動いていたんです。毎朝早くから酒の様子を見て一緒に朝食を食べる。休みもなく効率的ではなかった」(健弥さん)、「パソコンがなく、帳簿、送り状、請求書は全て手書き。借金も数億円ありました」(真奈さん)。
当時は約100アイテムを抱えながら営業戦略もなく、15年前の酒が残るなど大量の在庫を抱えていました。2人が参加した日本酒の試飲会で、宮寒梅を飲んだ人が「こんな酒はぶん投げておけ」と言ったのもショックでした。
健弥さんは専門家に酒造りの仕組みを一から教わり、真奈さんは酒の分析を覚えました。そして、搾りたての酒をすぐに瓶に詰めて冷蔵庫で保管して味を高め、在庫も3年で売り切ろうと計画を立てました。
08年夏にはワインのような味わいの日本酒「Mr.Summer Time」を発売。ラベルやボトルにもこだわり、若者や女性から人気を集めました。
真奈さんと先代の父は、経営をめぐってよく衝突したといいます。「父はここまで会社を続けたプライドもありますが、私たちは軸や企業理念をしっかり持って経営したい。絶対に交わらないところがあったのはつらかったです」。言い合いになると、健弥さんが仲裁に入りました。
改革を進めた矢先の11年3月、東日本大震災が蔵を襲います。家族や従業員は無事でしたが蔵は全壊。1週間電気が使えず、冷蔵庫の酒瓶も割れて売り物がほぼなくなりました。「稲わらの放射線を気にする声があり、昔の借金もまだ残っていました」
真奈さんと父は廃業もやむなしと考えましたが、「宮寒梅を飲みたい」という客からの連絡が次々入ったのです。健弥さんが2人を説得し、蔵の再建を決めました。
健弥さんは言います。「頭を悩ませていた在庫の酒も地震で全部割れたんです。全てなくなったのだから、心機一転、後悔のない酒を作ろうと決心しました」
真奈さんは資金調達、健弥さんは営業と製造、父は米作りと役割分担。震災を受けて「人の心を温かくする酒を造ろう」という願いを込め、「こころに春をよぶお酒」という企業理念を作りました。
震災から9カ月後の11年12月に蔵を再建。仕込み部屋全体を冷蔵仕様にしたほか、米を蒸す釜、タンクの温度がわかる機械などを導入しました。資金は銀行融資や寄付金で賄いました。始業時間も午前8時半に統一し、従業員の負担軽減に取り組みました。
再建にあたり、2人は100アイテムほどあった商品を米と水だけで作る純米吟醸と純米大吟醸に絞りました。真奈さんは「一つひとつの品質を上げてファンを増やしたいと考えました」。
寒梅酒造は自社田を持ち、酒米は全量宮城県産を使用しています。水も蔵の隣を流れる鳴瀬川の伏流水を使い、敷地内の井戸から組み上げています。華やかな香りで米のうまみを生かし、日本酒を飲んだことがない人にも伝わるよう「一杯でうまい酒」を目指しました。
その過程では失敗もありました。酒屋から「味がいつもと違う」と言われることもあり、その都度火入れのタイミングを変えるなど試行錯誤を繰り返しました。健弥さんは「(酒の質に)納得がいかず、酒屋に案内を出したのに売らないことを決めてタンク1本分ダメにしたこともありました」。
復興支援でつながった東京のデザイン会社などとホームページを充実させ、商品のロゴやラベルも刷新。若者や女性客を意識した発信に力を入れました。
さらに、2人は自分たちからは新規営業をしないと決め、問屋にも一切卸さなくなりました。一部の取引先からお酒を雑に扱われたのが理由といい、残った取引先の中で確実に売り上げを立てようと考えたのです。
取引先や問屋からは相当な反発もありました。「でも、営業すると上から目線で注文を入れてくる取引先も出てきます。うちのお酒を本当に好み、人と人とのつながりを大事に考えてくれるところに商品を置きたかったんです」
その結果、入社当時から面倒を見てくれた酒屋など10店ほどが残りました。
そうした取引先は積極的に宮寒梅を勧めてくれました。すると酒屋の方から卸してほしいと声がかかるように。「後味の爽快なキレを重視し、日本酒が苦手な人も好きになる味わいが良かったようです」。今では営業なしで49店にまで取引先が増えました。
18年、先代の父は会長に退き、健弥さんが代表になりました。真奈さんは「会社に勢いをつけるために交代を急ぐ方が良いと考え、父に『農業に専念してほしい。失敗しても責任を持つからやらせて』と話しました」。
今も米作りを担う父は契約農家との間を取り持ち、酒蔵で大切な役割を果たしています。
2人は日本酒を通じて異業種の企業と知り合う機会も増え、地域のための取り組みを考えるようになりました。19年には蔵を一部改修してオープンスペースを作ります。昭和初期の歴史ある蔵で日本酒を紹介したり試飲したりするイベントを企画すると、外国人観光客や県内外のツアー客が多く訪れるようになりました。
同じころ、他企業と酒粕を使った商品を次々と生み出します。仙台市のコーヒーショップと酒粕入りの生チョコを作り、バレンタインに販売。隣接する加美町の醤油蔵とはすき焼きのたれを開発しました。
「会える蔵元」を目指して蔵の見学も開始。販売スペースも設け、日本酒や関連商品を買えるようにしました。
新型コロナウイルス禍では、最初の緊急事態宣言が発令された20年4~5月の売り上げが通常時の3~4割も減りました。
真奈さんは「震災の時も必死に取り組んだら何とかなりました。コロナは必ず終わりが来る。スピード感を持って仕掛けることが大事と考え、『挑戦します、休みません』と従業員に説明しました」。
寒梅酒造は給付金をもらわず、誰も休ませず仕事を続けました。夫婦に子どもが4人いることもあり、20年4月、消毒用の高濃度エタノールを作って大崎市内の学校に寄付し、一般向けの商品も販売しました。
「お金にはならなくても人の役に立つものを作りたい。仕事があることが従業員のモチベーションを保つことにもつながると思いました」
真奈さんは飲食店が復活した時に、宮寒梅をテイクアウトで販売できるよう税務署と交渉したほか、SNSでの発信を強化しました。「蔵元を身近に感じてもらえるよう、インスタグラムで子どものネタを入れるなど試行錯誤しました」
するとSNSを見た蔵見学の客が増え、ほぼ毎日予約が入るように。「1人からでも申し込め、他の人を気にせず見学できるのも時代に合っていたかもしれません」
見学は有料ですが内部をすべて見せ、日本酒3種類の飲み比べも楽しめるようにしました。「案内は父に任せていますが、サービス精神旺盛なところがツイッターで評判になりました。リピーターも多いんです」
22年11月期の売上高は約2億2千万円で、震災直後と比べて5倍以上に回復。震災前の借金も返し終わりました。
寒梅酒造では災害への備えを万全にするため、22年4月に事業継続計画(BCP)を策定しました。蔵が川の近くにあり、地震に加え水害も意識した内容です。「この辺りは台風や大雨の時に被害が出ることが多い。うちもハザードマップ上は安全となっていましたが、水がきたこともありました」
現在、外付けハードディスクへのデータのバックアップを進めており、他にも電源装置やパソコンの保管場所の見直し、書類の電子化、自家発電設備の導入などを検討しています。
日ごろからBCPを周知し、年1回の経営発表会では従業員に安全靴やヘルメットの着用、災害対応の手順などを説明しています。
現在、通年雇用の従業員は13人。うち4人は22年の求人で入社したばかりです。「週休2日を取れるようにするため、人を増やしました。新しい社員は20~30代で主婦だった方もいます」
23年3月21日には、蔵の敷地内に酒粕を使った洋菓子を販売する新店舗「おやつ工房ハルリッカ」がオープンします。自社で作った米粉やみそなどを素材に、バウムクーヘンや米粉クッキー、パウンドケーキなどを並べます。
おやつ工房は真奈さんの発案です。「BtoCを強化したことで、蔵を訪れる家族連れが増えてきたんです。子どもやお酒が飲めない人でも楽しめるものをと、コロナ禍になってから考えました」
夫婦の根底にあるのは、いち企業の枠を超えて魅力ある地域を作りたいという思いです。
「地域の子どもたちが将来継ぎたいと思える会社を作らなければならないと思います。色々な人や会社とのつながりを大切に、それぞれの企業の成功のため、新しいことに挑戦し続けたいです」
「自分たちがバリバリ働けるのも、あと十数年くらいですから」と話す蔵元の若き後継ぎ夫婦はスピード感を持って事業を展開し、地域の復興にも寄与していきます。
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