目次

  1. 長尺ボルトに強い自動車部品メーカー
  2. 「大学まで進学できたのは家業があったから」
  3. 責任感が乏しく不良品が多かった理由とは
  4. “分かりやすい”内容に落とし込む
  5. コロナの影響で売上ゼロ「なんかやらなあかん」
  6. 「儲けることが目的ではない」失敗から学ぶ
  7. 国や市の補助事業などを積極活用
  8. 販路拡大など課題は山積
  9. 課題あっても採用・本業・意識改革に寄与

 ミナミダは1933年、釘を扱う製鋲所として設立します。2代目の南田義治さんになるとボルトの製造に注力、南田さんの父親である3代目の南田豊司さんになると、自動車業界に積極的に進出し、一気に事業を拡大。特に、長いボルトを得意としています。

ミナミダが手がける製品。中には1m近いボルトもある

 現在は売上約70億円のおよそ9割を、自動車向けのシャフト、ボルト・ナット類で占め、国内すべての自動車メーカーに加え、輸入車でも使われています。従業員は国内外合わせ約3670名、大分県、タイ、メキシコにも拠点を構えます。

 かつては3Kの職場だと思っていたこと 、高校時代に倒産の危機にあったこと、家業継承の話が特に出なかったことなどの理由から、学生時代、家業を継ぐことはまったく考えていなかったと、南田さんは言います。

 しかし、大学3年生となり、父親と進路について話し合うと、父親の本心は南田さんに継いでもらいたかったことを知り、考え直します。

 「中高と私立に通わせてもらったのに、中退して迷惑をかけてしまったこと。結果として、大学まで進学できたこと。父親のサポート、家業があったから。ひいては働いてくれている従業員のおかげだと考え、家業に入り恩返ししようと思いました」

 卒業後は取引先であった鉄鋼製品を扱う商社に入社。営業職としてインドでの海外赴任約4年も含め7年ほど修行を積んだ後、家業に入ります。

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