猪奥さんは、姉と弟、妹の4人きょうだいです。実家と工場が離れていたため、幼い頃から家業について意識する機会はほとんどなく、両親からも後を継ぐことについて何も言われずに育ちました。
高校生になると、1年間学校を休学してフランスに留学。京都外国語大学フランス語学科を卒業した後は、陸上自衛隊へ入隊しました。家業について理解していましたが、自分の選んだ道を反対せずに受け入れてくれる両親の姿に「後を継ぐのは自分じゃないんだ」と思っていたといいます。
そんな猪奥さんに転機が訪れます。2009年のゴールデンウィークに帰省したとき、父から「きょうだいで話し合って、誰か会社に入る人を一人決めて」と言われたのです。夏ごろにきょうだいで集まり話し合うと、みんな他にやりたいことがありました。
もともと自分は後継ぎの対象外だと思い「家業は能力のある人間が継げばいい」と考えていた猪奥さんですが、「誰もやりたくないなら、本家の長男である私がやります」と自ら手を挙げました。
2010年3月、猪奥さんは家業に入ります。工場勤務からスタートし、約8年かけて、東京・大阪営業所や輸出の営業、経理、取締役など幅広く経験し、会社への理解を深めました。
順調な売上に成長要因を見誤り 開発に過剰投資
会社の売上は、バブルがはじけたときに下がったものの、創業以来ほぼ右肩上がりを続けていました。2010年には行政向けの防災用スピーカー分野に進出。3.11による防災意識の高まりにも後押しされて爆発的に売れ、売上はさらに伸びていきました。
実は、自社ヒット商品による売上の増加は2000年ごろまででした。そこから10年間は、先代やそれまでの従業員たち努力という礎があったものの、大手企業の市場からの撤退や同業他社の廃業などによる“残存者利益”を享受していのです。
「今振り返ると、成長の要因は『市場は縮小しているのに、外部環境は追い風』という特殊なものや、『防災用スピーカーの売上増加』だと分かります。でも、当時は会社がずっと活況だったので、そのことに誰も気づけなかったんです」
好調だった売り上げは、10億円に到達した頃から少しずつかげりがみえはじめました。
「当時営業をしていると、商品力で他社に負けていると感じました。当社は1990年半ばから約20年にわたり画期的な新製品を開発できていなかったので、それが成長鈍化の原因だと考えていました」
「これ以上売り上げを上げるには新製品が必要だ」という社内の強い要望に応え、会社は開発投資をどんどん進めていきます。
売上アップへ 5つの新製品を開発するも
近くに住んでいた大手電機メーカーのOBを大勢雇用し、会社を組織化。大手の仕組みを導入しながら開発力と製造力を強化した結果、大手企業と取引ができるほど品質力を高めることができ、2013年からの5年間で5つの新製品を世に送り出しました。
中には複数の賞を受賞し売上を上げた商品があった一方で、値付けや販売戦略の失敗、ニーズの見誤りなどからまったく手ごたえを感じられなかった商品も…。結果的に、5つの新製品の採算は合わず、新製品開発は失敗に終わりました。
海外販路開拓を行うも売上は減少
新製品開発と並行し、猪奥さんは2014年から輸出の営業を担当していました。1990年代から行っている海外販路の再開拓に注力し、中国、台湾、中東諸国向けの輸出を増やそうとしたのです。
中東諸国などイスラム教が広まっている国では、モスクから礼拝時間を呼びかける「アザーン」に拡声器が使われています。
1日の寒暖差が激しく、沿岸部では多湿も加わる過酷な気候条件のサウジアラビアでは、ノボル電機の拡声器の壊れにくさと独占販売契約を結んでいる商社の営業力から約40年以上使われている実績があり、さらなる需要が見込めたためでした。
しかし、主力のホーンスピーカーは70年前から形も機能も変わっていない商品です。そのため、購入者の購入条件は“コストメリット”一択。同じくホーンスピーカーを販売する中国・台湾・韓国・インドなどの新興メーカーに価格面で負け、思うように販路を拡大できませんでした。
好調だった防災用スピーカーの販売も、2016年を機に減少の一途をたどります。会社の売り上げは、毎年約2千万円ずつ減り続けていきました。
ただ、売上10億円のうちの2千万円というと、2パーセントです。コストダウンや効率化、従業員の手当類の見直し、賞与の減額などの企業努力で、何とかカバーできました。
「人員を削減するところまではいきませんでした。中には辞めていく従業員もいましたが、『ここまで悪いんだから全部を変えよう』というほど、どうにもならない状況ではなかったんです。真綿で首を絞められるようにじりじりと売上が下がる様子を見て、焦りだけが募っていきました」
八方塞がりからBtoC事業への参入を決意
2018年10月、本社と工場の移転を機に、猪奥さんは代表取締役社長に就任します。社名も「ノボル電機製作所」から「ノボル電機」に変更し、新たなスタートを切りました。
これまでの試行錯誤の結果や、これから人口が減少していく日本の未来を考えると、このまま既存事業を続けるだけでは会社の未来を見通せなくなっていました。
「考えれば考えるほど『このままの事業だと死ぬな』と思いました」
何とかしようと、猪奥さんは先代と2人で経営資源の棚卸しを行います。そこで、自社の強みは拡声器というひとつの商品を車載用や船舶用、メガホンなどの他分野に展開していく“市場開拓戦略”を取り続けてきたことだと分かりました。
「これまでと同じ市場にばかり目を向けていても成長できない」と新しい目で広く市場を見つめ直したとき、BtoC市場という新たな活路が見えてきました。
しかし、これまでずっとBtoB事業を行ってきたために何をしたらいいのかわからず、独力でBtoC事業への参入を成し遂げる自信はありません。加えて、社内には反対の声も多くありました。
そんなとき、猪奥さんは大阪産業局が大阪府の協力を得て実施するBtoC化伴走型支援事業「大阪商品計画」を知ります。10人のアドバイザーが1人1社選び、選んだ企業のBtoC化のために商品計画アドバイスからブランディング、販路開拓まで幅広いサポートを行うプロジェクトでした。
自社の強みを生かしながら行政支援を受けられることと、採択されれば社内の理解も得やすくなるだろうという考えから、猪奥さんはBtoC事業参入を決意します。
当時は社長就任直後で業務が忙しかったため、「大阪商品計画」への応募手続きを先代に依頼しました。しかし、先代は「無理に決まってるやん」と諦め、応募していませんでした。
期日を過ぎてからその事実を知り、猪奥さんは先代と大喧嘩します。それでもBtoC事業への参入は諦められず、2019年5月、改めて「大阪商品計画」に応募。アドバイザーの1人である「CAMP」の新田晋也さんに選ばれ、BtoC事業参入を進めることになりました。
BtoC向け新ブランドコンセプト設計に着手
猪奥さんはまず、新田さんと社内の若手からベテランまで数人のスタッフとともに、BtoC向け新ブランドのコンセプト設計に取りかかります。
ブレインストーミングでは「音に関するニーズ」や「世の中に必要とされる商品像」などについて意見を出し合い、“懐かしさ”や“癒し”というキーワードが出てきました。
新田さんからは「北欧調」と「昭和レトロ調」の2つのコンセプトイメージを提案されました。猪奥さんも世の中の流行りに乗っていて自分たちにないカッコよさをもつ「北欧調」に憧れていたため、「北欧調」が優勢に。
しかし、実際に「北欧調」のオーディオ機器を自社で製造しようとすると、社内に必要なリソースがないと分かりました。企画からデザイン、開発、設計、仕入先探しまで、ほぼ全部を外注しなければならず、実現は困難だったのです。
「できないのか、やりたくないのか…やらない理由を探しているだけじゃないか」と悩み続ける猪奥さん。東京出張のときに新田さんから参考になりそうな小売店を教えてもらい、実際に販売されている商品を見て回ることにしました。
店舗には北欧調を真似た程よい価格帯のお洒落な台湾製オーディオがあり、その横にはザ・ヨーロッパデザインといった見た目のとてもかっこいいドイツ製のオーディオも並んでいました。
その様子をみて、猪奥さんは「自分たちが作るものは、台湾製オーディオのさらに劣化版になる」と確信し、同時に怖さも感じたといいます。
自社を見つめ直して生まれた「不器用なガジェット」
この経験から、猪奥さんは何かのモノマネにしかならない「北欧調」のコンセプトを手放します。
新田さんや先代、ベテラン技能者と相談する中で、これまで長年選ばれ続ける商品を提供し続けてきた自社の歴史と誇り、強みを生かせるブランド設計をすることに決めました。
「当社は社歴こそ長いですが、不器用な会社です。新ブランドのコンセプトは、不器用な自分たちでも無理なく取り組めるものにしたいと考えました。
自社の設計力やこれまでのプロダクトデザインを受け継ぎ、どう売っていくかを合理的に突き詰めたとき、『町工場らしいレトロ感を出していく』という方針にいきついたんです。そこで、自社の強みを生かせる『昭和レトロ調』を採用しました」
こうして2020年11月「不器用なガジェット」というブランドコンセプトが誕生します。
「不器用なガジェットは、背伸びせずに自社の弱みを強みに変えられるコンセプトです。すごくしっくりきて、いい形におさまったなと思いました」
ブランド名は祖父がつけた以前の社名で、ブランドコンセプトにもぴったりハマった「ノボル電機製作所」に決めました。
「拡声器だよ?」社内で大反対を受けた新製品
コンセプトとブランド名が決まり、いよいよ製品開発に取りかかろうとした猪奥さんは、2021年2月に「大阪商品計画」の成果発表会があると知ります。
もともと猪奥さんが作りたかったのは、アンプとスピーカーがセットになったコンパクトなホームオーディオ。しかし、完成までは2年かかる見込みでした。
成果発表会までに完成させられる製品はないかと考え、ホーンスピーカーにスマホを置くための穴をあけた「拡声器型のスマホ用無電源スピーカー」を思いつきました。
試作品を見た新田さんは「超カッコいいじゃないですか!」と大興奮。しかし、社内からは失笑がおき、先代からも「拡声器だよ?」と猛反対されました。
ホーンスピーカーは工場にごろごろ転がっているほど身近だったため、インテリアとしてカッコいいとは誰も思えなかったのです。
当然社内に協力的な雰囲気はなく、反対2割、無関心6割、「社長がやるなら」と肯定してくれる人が2割くらいでした。
「それでも、新田さんの感性を信じてやってみようと思い、開発をスタートしました」
開発部長の手助けもあり完成 展示会で思わぬ反響
BtoC向けの製品とは言え、作るのはいつも自分たちが製造開発している製品です。難易度は高かったものの、開発メンバーの力を借りながらいつも通りに設計を進められました。
「一番苦労したのは、これまで行ってきた組織化により“大企業のようになっていた開発・生産体制”を、早く生み早くコケながら開発を進める“中小企業らしいモノづくり体制”に戻したことです。
開発部長とひざ詰めでしっかり話し合ったことで、部長自らが設計を行い、私のアイデアを実現してくれました」
でき上がった手作りのスピーカーを、猪奥さんは成果発表会の展示会に出品しました。
「思いのほか皆さんの反応が良くて驚きました。その反応をみて『よし、一回やってみよう』と腹を括れました」
11月16日公開の後半記事「早く生み早くコケる ノボル電機3代目が挑戦し続けた商品開発」では、ブランディング手法やはじめてのBtoC市場での販売戦略について伺います。