「根拠ない売上目標」をやめて最高益に 萩原珈琲4代目の生存戦略
神戸市灘区の「萩原珈琲」は、コーヒー豆の焙煎・卸売りを手掛ける会社です。4代目でCEOの萩原英治(はぎはら・ひではる)さん(41)は、中南米でのコーヒー修業や商社勤務を経て家業に入り、「労働が間延びしている」と課題に気づきました。市場が縮む将来を見据え、売り上げ目標を廃して生産性をあげる方向へと経営をシフト。反発を受けながらも効率化を進め、残業時間の削減と過去最高益を達成しました。
神戸市灘区の「萩原珈琲」は、コーヒー豆の焙煎・卸売りを手掛ける会社です。4代目でCEOの萩原英治(はぎはら・ひではる)さん(41)は、中南米でのコーヒー修業や商社勤務を経て家業に入り、「労働が間延びしている」と課題に気づきました。市場が縮む将来を見据え、売り上げ目標を廃して生産性をあげる方向へと経営をシフト。反発を受けながらも効率化を進め、残業時間の削減と過去最高益を達成しました。
目次
生豆の仕入れから焙煎、出荷までを一貫しておこなう萩原珈琲。1928年の創業以来こだわっているのが、自社工場での炭火による焙煎です。加熱温度と時間をコントロールしやすいガス焙煎に対して、職人技を要する炭火焙煎。導入している会社は国内でもごく少数ですが、遠赤外線効果で豆の内部から加熱されて均等に火が通るため、コクのあるコーヒー豆ができあがります。
後味がよく、冷めてもおいしさが保たれる萩原珈琲の豆には、1868年の開港でコーヒー文化が花開いた神戸を中心に、長年のファンが数多くいます。主な売り上げは喫茶店への卸販売で、神戸や銀座を始め全国に得意先が広がっています。2023年11月時点の社員数は21人、年商は約4.5億円です。
萩原さんが子どものころは、灘区の自社ビルに焙煎所があり、ビルの上階が自宅でした。萩原さんは豆を焙煎する香りに囲まれて育ち、近くの摩耶山や原田の森(王子公園)で、虫や植物を観察するのが大好きな少年でした。
萩原さんは大学で生物資源開発を専攻し、蛾やコオロギといった、人間からは害虫扱いされる虫たちを研究します。大学4年生の夏休みには「家業を継ぎたくない」と、先代の父と取っ組み合いの大ゲンカ。実家の壁に穴が開くほどハードなものでした。
「親に決められた道を進むのが嫌でした。でも友人(現在の妻)に、『人間社会の営みは、大きな自然界のなかでは、ほんの一部にすぎない』と言われて気が楽になりました。一方で、卒業後すぐに入社するのには抵抗もありました」
そこで大学を卒業した後、「いつかは家業を継ぐ」ことを前提に、父の紹介でブラジルやグアテマラでの約1年のインターンを経験しました。農園でコーヒーノキの栽培や収穫を手伝ったり、商社でコーヒーのサプライチェーンの仕組みを学んだりするうちに、コーヒーが「自分ごと」になったといいます。
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「特に、コーヒーノキの栽培に面白さを感じました。接ぎ木の技術や土壌の管理で、収穫量が目に見えて変化します。ブラジルの自然の豊かさや、生き物の力強さにも圧倒されましたね。自分のなかの『好き』と、コーヒーが結びついた感覚がありました」
帰国後は東京の食品商社に就職した萩原さん。飲料の商品開発などを担当し、2009年に萩原珈琲へ入社しました。
入社当時、萩原珈琲には「焙煎」「製造(豆の計量と梱包)」「ルート営業」「その他営業」「経理・総務」の5部門がありました。売り上げのおよそ8割が個人営業の喫茶店で、取引先は900軒を超えていました。
「自社工場で焙煎したコーヒー豆を、取引先の注文に合わせて手作業で梱包していました。12か国の産地の豆を、浅煎りから極深煎りまで4段階で焙煎し、商品はブレンドを含めて30種類以上になります。それを約900軒の取引先から100グラム単位で注文を受けるため、製造ラインを作って自動化するよりも手作業の方が効率的でした。アナログの、多品種少量生産です」
入社して製造を担当した萩原さんは、改めて手作業の強みを感じる一方で、社内の慣行に首をかしげることもあったといいます。
「ベテラン社員が定めた『謎ルール』がありました」
萩原珈琲では、豆を挽かないままで喫茶店に出荷することがほとんどですが、アイスコーヒー用の豆は自社で挽いてから出荷していました。アイスコーヒー用の豆は深煎りで豆の油分が多く出るため、喫茶店のミルで挽くと粉が詰まりやすくなる、というのが理由です。ただ、豆を挽くタイミングに問題がありました。
「豆を挽くと鮮度が早く落ちるので、出荷直前に挽くべきなのですが、『挽いた豆を社内で一定期間保管する』という謎のルールが守られていました」
ルールを定めたベテラン社員の発言力が強く、誰も「品質的におかしいのでは」と言えない環境でした。萩原さんはさらに、一部の社員の士気の低さにも危機感を抱きました。
「社内を見渡すと、部門ごとの仕事の負荷に差がありすぎると感じました。複雑な注文に対応するために製造が多忙な時間帯に、総務では暇な社員が家から持ってきた雑誌を読んでいたのです」
当時の社員数は、直営の喫茶部門(のちに分社化)を含めると40人を超えていました。炭火焙煎の技術と味の評価が高いため、注文に応えていれば大きなピンチもありません。さらに出荷が遅れそうになっても社内で助け合う動きはなく、ベテランが旧知の取引先に「一日遅れます」と電話をかけて済ませていました。いわば外敵のいない、温室のような環境だったと萩原さんは振り返ります。
「夜遅くまで残業する社員もいれば、業務時間に雑誌を読み、定時に帰る社員もいました。市場規模は横ばいでしたが、少子高齢化が進むなかでは取引先の喫茶店も高齢化が顕著で、市場の右肩上がりは期待できません。経営効率を高めないと、会社は先細りするだけだと感じました」
そこで父に相談し、2014年に喫茶部門を分社化したのをきっかけに、萩原さんが取締役に就任。萩原珈琲の経営改善プロジェクトを一人で始動しました。
まず萩原さんが着手したのは目標の見直しでした。萩原珈琲の当時の指針は売り上げ目標のみ。それも「今年は前年比104%だから、翌年は105%で」というような、根拠が弱いものでした。
「2040年の人口予測に基づいて、コーヒーの消費が4分の3になった場合の自社の損益分岐点を算出しました。市場が縮小する未来でも萩原珈琲が存続するには、目指すのは売り上げではない、労働生産性を上げていこう、減収しても増益を目指そう、と呼びかけました」
売り上げ目標を撤廃するという萩原さんの呼びかけに、ベテラン社員たちは猛反発しました。
「すぐに部長2人から呼び出されました。『生意気だ』『会社の和が乱れる』というのです。当時は社員の平均年齢が50代で、後継ぎとは言え30代の私は若輩者。寛容な父のもとで、自分たちにとって快適な環境が変化するのが許せなかったのだと思います」
当時の萩原珈琲本体には34人の社員がおり、そのうち8人が5年以内に定年退職する予定でした。ところが萩原さんの方針に反発したベテランたちは、定年前に次々と退職していきました。父から「人の気持ちを考えたのか」と言われた萩原さんは落ち込みましたが、「退職する8人の補充はしない。労働生産性を高めて利益を社員に還元し、会社全体を幸せにしていこう」と、決意を固めました。
次に萩原さんが取り組んだのが、全社員の仕事内容の可視化でした。
「ワークショップ形式で、出社から退社までの行動内容を、30分単位で付箋に書いて1枚の紙に貼ってもらいました。すると同じ部署でも手が空く時間帯が違ったり、ダブリ業務が見つかったりしました」
次に、空いた時間帯に別の仕事を担当して仕事をシェアし合う「業務パズル」を検討。まずは部門内で社員の負荷の差を減らし、続けて他部門との仕事のシェアを進めていきました。
「伝票作成や豆の梱包などで、製造部の仕事が過密なときに総務がヘルプに入る、といったシェアリングです。うまくいかない場合はすぐに元に戻し、原因を調べて対策を講じていきました。私自身が失敗を恥ずかしいと思わない性格なのと、仕事内容を背景とともに全て可視化したので、社員の納得感も高まりました」
さらに2017年からは、労働生産性を可視化するため、「売上高÷人件費」を指標として設定。指数の変動を全社員の賞与に連動させることにしました。萩原さんが指数の月別推移を全社員に公開し、業務パズルの意味や、会社が目指す姿を毎日社員に話し続けるうちに、「減収しても増益」という方針が徐々に浸透。社員の行動も変化していきました。
「それまで営業部門では、会社に遅く戻る社員を全員で待っていました。いわゆる付き合い残業です。私が『帰りを待つ気遣いは優しさから来るかもしれない。でも残業時間が増えて労働生産性が落ちると、全社員の賞与が下がるので全く優しくないのでは』と話すと、(遅い社員を待たず)帰社した順に退勤するようになりました」
小さな見直しを重ね、2019年には社員一人当たりの残業時間が1日6分にまで減少。一方で、仕事で手間取る社員に対して「それ、やったるわ」と毎回手伝う社員にも、「その場の仕事が片付くのは優しいが、なぜ毎回手間取るのかを考えて対策する機会を奪っていると考えると、長期的には優しくないのでは」と考えてもらうようにしたといいます。
「仕事の可視化や、労働生産性と賞与の連動などの変化に対して、社員がその環境に適応する行動をとるようになり、建設的な意見も増えました。時間はかかりましたが、あきらめずにやってよかったです。2019年の純利益は過去最高を記録し、会社には以前の8倍ほどのキャッシュが残りました。これが直後のコロナ禍で、大きな助けになったのです」
萩原さんは「減収しても増益」という目標にあわせて、社員の評価制度も見直しました。
「営業部門の社員に対しては、売り上げの増減よりもアプローチの仕方を評価しています。売上実績の配点が5だとすると、「好奇心」「挑戦意欲」「発想・提案」といった項目の配点を2倍以上にしています。結果として売り上げに結びつかなかったとしても、『ナイストライ』を評価することで、チャレンジを続けてほしいと考えています」
コロナ禍で喫茶店からの注文が激減したとき、注力したのが「情報発信」でした。社員の考えたギフト企画や、商品の深掘り記事をnoteで発信。取引先の増加につながり、2023年11月時点の取引先数は1050軒にまで伸びています。
さらに、仕事以外の内容で、評価項目を自己申告する制度も導入しました。
「会社に来る楽しみを増やしてもらうのが目的なので、内容は何でもOKです。たとえば胃腸が弱めのとある社員は、『毎日1本ヤクルトを飲み、おなかに乳酸菌を増やす』と申告し、実績はカレンダーに飲んだヤクルトのフタを貼って報告してくれました。達成度が賞与に反映される仕組みです」
現在の社員の平均年齢は30代で、子育て世代が多い萩原珈琲。萩原さん自身も6人の子どもの父親です。
「就業時間は8:30~17:30ですが、出退勤の時間は前後30分をフレックスにしています。加えて所定労働時間を1日7時間にし、給料は8時間分を支払っています。給料が同じだと、短時間で効率的に仕事を終わらせようと行動するので、午後5時にはだいたい皆退勤していますね。労働時間は短くなりましたが、社員の平均年収は上がりました。2021年からはベースアップも続けています」
2023年の萩原珈琲の売上構成は、喫茶店向けが85%、法人向けが12%、ECサイトによるBtoC販売が3%ほどだといいます。
「実は今年、大手菓子メーカーとのコラボ商品が限定発売されました。炭火焙煎の味を認めてもらえて嬉しかったですね。一方で、コラボを通じて改めて、『うちはスポットライトが当たるコーヒー店というよりも、あくまでも原料屋だ』と再認識しました。ビッグネームとのコラボはとてもありがたいですが、それによって大量生産が必要になったり社内の管理体制が変わったりすると、これまでの取引先への対応に影響が出てしまいます。うちは、毎年ベースアップをしながら、社員が幸せに暮らしていければそれでいいのです」
萩原さんは自社の姿を、蝶のアオスジアゲハに重ねます。
「アオスジアゲハの幼虫は、クスノキの葉を好んで食べます。クスノキの葉の成分には、防虫剤の原料になるほど匂いの強い『樟脳』が含まれており、普通の虫はまず食べません。クスノキの葉を好むように進化したことで、アオスジアゲハは他の虫と食物を取り合うことなく生き延びてきました。萩原珈琲も同じです。他がやらない炭火焙煎の技術を高め、それを多品種少量生産で丁寧に出荷していく。経営体質は変わっても、その生存戦略は変わりませんね」
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