目次

  1. 産科医療製品でトップクラスのシェア
  2. 「君しかおらん」で承継を決意
  3. 「在庫のピラミッド」から見えた課題
  4. バラバラだった部署に横串を
  5. 「全社最適」で7年連続の増益
  6. 「負け犬根性」から脱した商品開発
  7. 25年越しで気づいた父の思い

 1951年創業の大衛は、「アメジスト」のブランドで、医療機器・医療衛生材料の製造・販売を手がける専門メーカーです。社員数は約220人、国内に11の事業所と工場を持ち、さらにベトナムにも拠点があります。売上の8割は病院向けの商品が占めるといいます。

昔の大衛の様子

 大衛の祖業は、脱脂綿やガーゼ、包帯などの製造販売です。1957年には、日本で初めて生理用ナプキンを販売して大ヒット。その後は大手の参入により路線変更をし、産後の悪露用パット「オサンパット」の販売を開始するなど、お産分野の製品に着手し販路を広げてきました。現在では「お産セット」に代表される、総合病院向けの産科医療製品を主に手掛けています。大学病院向けの産婦人科用品総合シェアではナンバーワンを誇ります(※2023年同社調べ。産婦人科向け主要製品である「お産セット」「分娩キット」の合計の納入件数を元に算出)。

出産時、病院で配られる大衛の「オサンセット」

 会社と住居が離れていたこともあり、加藤さんはほとんど家業を意識することなく育ちました。父で3代目社長の光司さんからも、進路について何か言われることはなかったと言います。京都大学大学院の薬学研究科を修了後、大手商社に就職。しかし社会人1年目の2010年、事業承継を決意するきっかけがおこりました。加藤さんの祖父で、大衛の実質的な創業者だった勉さんが亡くなったのです。

 厳しい祖父でしたが加藤さんは愛着をもっており、自身が社会で活躍する姿を見せられなかったことを、心残りに感じていました。そんな中、お別れの会に大衛の創業時のメンバーが訪れ、様々な祖父の昔話を聞かせてくれました。

 「私が生まれたとき、祖父は『跡取りが生まれた』『これでうちの会社は安泰だ』などと喜んでくれたそうです。以前にもその話は聞いていたのですが、祖父が亡くなった席で言われると響くものがありました」

2代目社長で祖父の勉さん(左)と、3代目社長で父の光司さん(右)。中央手前が加藤さん

 創業メンバーは加藤さんに、いつ大衛に入社するのかと問いかけてきました。当時、商社に就職したばかりだった加藤さんは、仕事への意欲に燃えている時期。現状を伝えると、こう言われました。

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