北海道にある老舗洋和菓子店「壺屋総本店」は、「おいしさという幸せな記憶を積み重ねることが、家族の団欒を育む」を大切に、北海道の大地で生まれた季節の素材、地元の食材、生産農家さんの顔や思いまで感じられるお菓子作りに取り組んできました。
村本さんの曽祖父である創業者の村本定二が、食料が不足した戦時中に闇市で原料を仕入れてまで作り続けることにこだわった、自家製餡の「壺もなか」やどらやき、地元の旭川で冬に見られるダイヤモンドダストをイメージした人気お土産菓子「き花」、本場ベルギーで修業した村本さんが妻と独自に立ち上げたチョコレートブランド「RAMS CHOCOLATE」などがあります。
現在、旭川や札幌など道内に19店舗を展開しており、2014年からは多店舗型出店から唯一無二の店舗作りと旭川らしさをモットーに、旗艦店型の出店スタイルにも注力しています。
リビングの机にはかごにたっぷり盛られたどらやきやクッキー。冷蔵庫の中には、毎日当たり前のようにケーキがあり、生まれ育つ中で「うちはお菓子屋さん」という意識がしっかりと根付きます。
兄がいることもあり、自分が家業に入る未来は何となく描かずに、大学卒業後はマーケティングの会社に勤めます。けれども、社会人1年目に大好きな祖父が亡くなったことが、人生の大きな転機となります。
「一度も怒られたことがない、優しいおじいちゃん。毎年お祭りにも一緒に出掛け、運動会やサッカーの大会をいつも見に来てくれていた」と村本さん。
祖父の死を知った時に村本さんの頭に浮かんだのは、幼い頃に祖父から言われた「いつか一緒に仕事がしたいね」という言葉でした。いつも優しく愛情たっぷりに接してくれる祖父から言われた言葉だからこそ、とてもうれしく、大人になっても鮮明に覚えていたのです。
家業を継ぐ未来が描けず、まったく別の業界に進んだのに、社会人1年目で「家業に入る」ことをイメージするようになりました。これは自分でも意外なことだったと話します。
「現状維持は後退」という信念を持つ村本さんは、入社4年目でマーケティングの会社を退職して、お菓子作りという新たな夢に向かって歩き出します。
でも、ふと気になったのが、26歳という自分の年齢です。高校から調理の勉強をしている人、高校卒業後に菓子の専門学校に通って知識と技術を習得した人とは、10年近いキャリアの差があることに愕然としたのです。
そこで、いまは壺屋総本店の会長であり、いつも一番の良き理解者として背中を押してくれる父親に相談をして、特別な環境に身をおくことにし、修業先を、お菓子の本場であるベルギーに決めました。
ベルギー修業で得た 2つの大切な存在
村本さんには、ベルギー修業中に得た、2つの大切な存在があります。1つ目は「チョコレート」という存在です。
ベルギーがチョコレートの本場であることはもちろん知っていましたが、実際に現地で暮らしてみると、日常的に目にする芸術性の高いチョコレートに大きな衝撃を受けます。甘いアート作品、そのものだったからです。
「壺屋総本店では、チョコレートを菓子の一部として使っているだけ。菓子業界の中でも、最も市場が大きなチョコレートだったら、地元と会社により貢献できるのではないか?」と考えるようになりました。
ベルギー修業中に何よりもショックだったのは、日本では雄大な土地と食材の宝庫として有名な「北海道」という土地の知名度の低さでした。現地の人に日本人だと言えば、東京や大阪、京都など地名ばかりが話題となり、北海道は知らないと首を傾げられることが多かったのです。
異国の地で感じた残念な気持ちをバネに、世界的に愛されているチョコレートに北海道の食材を組みあわせて、世界中の人に伝えたいと決意しました。
そして2つ目は、人生の伴侶である妻という存在です。
彼女の名前は、デボラ・マリノさん。フランスのリールに生まれ、フランス人の母とイタリア人(シチリア島)の父を持つデザイナーです。村本さんとはベルギーの地で出会い、そのまま日本に一緒に帰国し結婚、北海道の地で2人の新たな人生が始まりました。
夫婦2人の力を結集 RAMS CHOCOLATE
2017年に「北海道の最高の素材を使ったデザイナーズチョコレート」という新しい価値を作り、北海道各地の魅力を「世界へ」発信してくことをミッションとして、ベルギーで運命の出会いを果たした2人が立ち上げたのが、RAMS CHOCOLATE(ラムズ チョコレート)というブランドです。
「チョコレート×デザインの力」で、人や地域、業種を越えて、北海道を表現しています。
世界への発信という大きな夢を掲げつつ、まずは壺屋総本店の既存店の一角のスペースでの販売を開始。
主力商品は、江丹別の青いチーズ、男山酒造の復古酒、山路養蜂園のはちみつなど、地元北海道の素材をふんだんに使った、ボンボンショコラです。現在の売上は、ブランド立ち上げ時と比較して5倍以上になりました。
またブランドコンセプトであるデザイナーズチョコレートの概念も少しずつ広がり、全国各地からオリジナリティあふれる注文が舞い込みます。最近では7つの山を登頂した記念に、それぞれの山々の近くに育つ食物や食事を、北海道の素材に置き換えてチョコレートを作ってほしいというオーダーが入りました。
ブランドは順調ですが、チョコレートは村本さんの強みであって、会社の強みではないことに気が付いていました。
社員全員の気持ちは「あんこ」
「社員全員、なぜかあんこの話をしていると盛り上がるし、笑顔になるんです」と自身も満面の笑みで話す村本さん。昔から社内で「自社の強みはあんこ」だという認識があったことは、村本さん自身も気が付いていましたが、社員全員が参加したブランディング研修で、全員であんこが強みだと再認識したそうです。
社員1人1人の中にも「自家製餡を使った壺もなかは、創業当時から会社の主力商品の1つであり、この最中があったからこそ、会社が拡大してきた」「創業当時から作り続けている唯一の商品。とても大切」という思いがしっかりありました。
しかし、あんこ市場はチョコレート市場に比べて、小さいのです。
また創業者である祖父が最も大切にしてきた、自家製餡の人気商品「壺もなか」も、年々販売数が落ちてきて、2010年の販売数64万5595個から、2023年には27万823個と10年で半分以下となっています。
でも、村本さんはこう言いきります。
「このままでは日本の伝統菓子技術の1つである“あんこ“の技術が廃れてしまう。日本の小豆は9割5分が北海道産だからこそ、私たちがあんこで世界にチャレンジしていくべきです」
村本さんは、自社の強みである「あんこ」と自分の強みである「チョコレート」の2つの力があれば、世界と戦うことができると確信しています。
あんこ×チョコレートで 北海道を世界に伝えたい
村本さんは、マーケティングの会社に勤めた経験と知識を生かして、「アメリカ」を挑戦の場に選びました。
それには2つの理由があります。1つは人種のサラダボウルと言われる土地であり、食に寛大なマーケットだと考えるからです。
2つ目は2024年米食品リサーチ会社レポートによると、アメリカの小豆市場予測が2022~2023年までに年率3.4%が予測できているからです。
北海道の小豆は食物繊維がゴボウの4倍、ポリフェノールはワインの1.5~2倍のため、健康志向・ベジタリアンの多いアメリカでは受け入れやすい食材です。加えて、チョコレートなどと組み合わせることで、もっとアメリカの人々に受けいれやすくなると考えています。
また現時点で、アメリカの文化にあんこがローカライズした商品がないからこそ、アメリカに大きなチャンスを感じているのです。
現在開発を進めているのが、祖父の思いと自家製餡がたっぷり詰まった壺もなかにチョコレートを組み合わせた「壺もなかチョコ」、あんこ×アップルパイ×チョコを組み合わせた「あんぷるチョコパイ」、「どら焼きフォンダンショコラ」です。しかしながら、これが現時点でのイメージの1つにすぎません。
創業95年の歴史と知識、菓子製造の技術を生かし、どんどん顧客の声を取り入れてブラッシュアップをしていこうと考えています。
天国の祖父へ伝える 「あんこで世界を変える」
今後はイベント出店を繰り返し、顧客の声を1つ1つしっかり拾い上げ、日系スーパーでの販売を目指していきます。
「自分はビビりなんです。でも100%を望まずに、80%でもいいからまず動くことを大切にしています。現状維持は後退がモットーですから」と、はにかんだ笑顔の村本さん。
創業者である天国の祖父はきっと「やってくれたな。次の展開を楽しみにしている」と、これからの自分の予想もできない行動の1つ1つを見逃さないようにしているのではないかと思うと、決して気を緩めるわけにはいかないそうです。
生まれ育った北海道を飛び出して、一度は違う業界に就職をした。異国の地で生活をしてみた、異文化で育った大切なパートナーを見つけたなどの様々な刺激が、新しい味となり、老舗菓子店の後継ぎとして世界に挑戦しようとしています。
ただ伝統を守るだけではない、新たな付加価値と可能性を見出して、歴史を紡いでいく村本さん。
天国の祖父にこう伝えます。
「おじいちゃんのあんこと僕のチョコレートで、世界を変えよう。たくさんの仲間とともに」