下町に暮らす人々は東京スカイツリーの開業を前にわき立っていました。この追い風に乗るべく、墨田区は2009年、すみだ地域ブランド戦略を立ち上げます。ものづくりの街としての墨田区を内外にアピールするという触れ込みでした。その目玉企画が「すみだモダン」。地場の優れたモノやコトをブランド認証する制度です。
岩澤さんが父の康行さんに差し出したのは、すみだモダンの募集要項でした。ところが康行さんは気乗りしない様子で、「好きにしたらいい」とだけいいました。そっけない態度に鼻白むも、岩澤さんは申請書類を作成しました。
すり口とは文字どおり、ふたと本体の接合面をすり合わせる技法のことで、毛細管現象により液だれを防ぐ仕組みです。およそ四半世紀前に完成させた商品でしたが、手間がかかるために値も張り、当時はそこまで出ていませんでした。
「江戸前すり口醤油注ぎ」はテレビ東京の人気番組「出没! アド街ック天国」に取り上げられて一気に火がつきます。すみだモダンの商品を扱う区のアンテナショップ「すみだもの処」には、開店前から長い行列ができたそうです。
「いまでは区の成人式の記念品にも選ばれるように。ありがたいことです」
「江戸前すり口醤油注ぎ」は年間2万本が出る主力商品に成長、外注に出していたすり口の工程は内製化しました。
逆風の中で家業へ
岩澤硝子は1917年に江東区で創業し、戦後、墨田区で再興します。
工場ではかつて、ヘッドライトのレンズをつくっていましたが、その取引は価格も納期もシビアでした。3代目で父の康行さんは灰皿に活路を見いだします。
ガラス製の立派な灰皿がどの家にもあった時代。このもくろみは当たり、会社は大いに潤います。余勢をかって食器づくりに欠かせない「スピン」という製法を導入し、業務用食器業界へ深く根を下ろします。
しかしながら海外生産が本格化すると、真綿で首を絞められるように経営が苦しくなっていきました。
このタイミングで家業入りを決めたのが岩澤さん。2004年のことでした。
とくに将来についていわれることのなかった岩澤さんは、大学を卒業するとかねて興味のあった飲食業界に職を得ます。
そんなある日の夜、父から電話がかかってきます。聞けば大口の取引先の注文メールが確認できないとのことでした。導入したばかりのパソコンの担当は60代で、指一本でキーボードを操作していました。父はもちろん何もわかりません。岩澤さんが駆けつけてことなきを得ましたが、このままでは立ちいきません。
父は「うちで働かないか」といいました。「入れるからには(後継者として)続けて欲しいと思っているのか」と尋ねると、「そうだ」と答えました。
手仕事で生むガラス製品に高評価
取材で通された場内には巨大な窯があり、その窯を囲むように多くの職人が黙々と作業しています。
真っ赤なガラス種を棹に巻きとり、切りとり、成形する。岩澤さんの説明が耳に入らないほどぼうっとしてしまったのは、1400度に達するという窯の熱さのせいばかりではないでしょう。じつにほれぼれとする、流れるような動きです。
改めて質問すれば、製法や注文内容によって職人を4〜5つのチームに振り分けているとのこと。1チームは3〜6人で構成されます。
まだまだ手仕事が幅を利かせた時代の工場をほうふつとさせます。オートメーション生産が進んだ現在、このスタイルを守る工場は数えるほどしかありません。
クラシカルな窯は毎日のケアが欠かせません。ガラス種は微量ながら窯にたまっていきます。これをかき出す「種出し」はもっとも重要な作業です。
「細心の注意を払ってもなんかしら不具合が発生するのがこの仕事の難しいところです。半分以上が不良となることも珍しくない。むしろ悪い状態が当たり前、という心構えで臨まなければならないんです」
そのものづくりは高く評価されてきました。かつて年間20万本生産していた大手文具メーカーのインクボトルは、手仕事だからかたちにできるものでした。都内有数の繁華街に構える百貨店のファサードにも、岩澤硝子の仕事はあります。
「社長と書いて雑用係」
康行さんの急逝により、2018年、岩澤さんは社長に就任します。岩澤さんは康行さんが積み上げてきた伝統を大切に育んできました。
「一番に大切なのが社員で、二番に大切なのが仕入れ先です。この二つがなければつくれませんから。もちろん取引先あってこその物種ですけれど。この父の教えをわたしも守っています」
工場長を置かない現場の体制は、その表れです。
「ガラスづくりにはわかりやすい正解がありません。一人前になるまで10年かかるとも20年かかるともいわれますが、その域になっても頭を悩ます毎日です。そのようなプロダクトにおいて、現場に丸投げするようなことはできません。わたしがすべての責任を負うことで、現場は心置きなくものづくりに励める」
古き良き工場ならではの福利厚生も、特筆に値します。1千度を超える窯と向き合うこの仕事は体力を消耗するだけでなく、たっぷりと汗をかきます。
工場には3〜4人が同時につかれる風呂があり、洗濯機も4台設置。10畳近い更衣室は仮眠がとれるよう畳敷きになっています。現在は3人の女性が現場に入っており、岩澤さんは女性専用の更衣室や風呂も用意しました。
食関連では、会社が一部を負担する仕出し弁当のほか、サラダやフルーツなどのセルフ販売サービスをラインアップ。仕事終わりにはビールも待っています。社長室の冷蔵庫に入っていて、社員は自由に飲むことができます。
「ビールの補充はわたしの担当です。わたしは『社長と書いて雑用係と読む』といっています」
残業を極力減らすための差配
残業がほとんどない、というのも見逃せないところです。しかし、そこにはそうせざるを得ないガラス工場特有の事情がありました。「窯たき」と呼ぶ翌日分の仕込み作業を夜から朝にかけて行わなければならないのです。
残業すれば窯たきのスタートが遅れ、それはそのまま翌朝の遅れにつながります。
岩澤さんはこのサイクルにのっとったスケジュールを組みますが、一朝一夕にはいきません。注文内容、窯の具合、そして職人――。これらを無駄なくはめ込んでいく作業はパズルに近いといいます。職人のピースが足りなければ、みずから現場に入ることも珍しくありません。
この職人の差配こそ、雑用係の本領発揮といえるでしょう。
売り上げ最高額でも増す負担
2023年度の売り上げは、この四半世紀の最高額を記録しました。取引先は業務用食器業界を中心におよそ200社にのぼります。
同業者が1社、2社と土俵を降りていくなか、その際で踏ん張ることができたのは「浮気心」を起こさなかったからといいます。
「吹きガラス製法のニーズが高まったころ、おたくもやったらどうかと声をかけられたことがありましたが、わたしも父も頑として首を縦に振りませんでした。あらたな生産体制を築こうと思えば、設備にも人材にも投資しなければならない。だったら金型成形を研ぎ澄ましたかった」
倒産した工場の職人の受け皿となることで現場の層は厚くなりましたが、それでも需要に追いつかず、納期は半年待ちになりました。
そのような状況ながら、生活は楽にならないといいます。なぜならば、注文を上回るような光熱費や原材料の高騰があったからです。41人に膨らんだ社員の人件費も重くのしかかります。
ガラス工場の窯は365日燃やし続けます。窯のコンディションを保つための必要経費であり、ガスの元栓を締めるのは窯を入れ替える十数年に一度だけだそうです。
「ガス代は月に数百万円かかります。これが3倍近くに膨らんだときにはさすがに我慢できずに区へ陳情にいきました」
光熱費を削減すべくさまざまな策を講じますが、どれも焼け石に水でした。
「ガス代を少しでも抑えようと火力を弱めたことがありましたが、十分に煮ることができませんでした。ものづくりをする会社としてそれは許容できない」
岩澤さんは遠からず取引先に再見積もりを求めるつもりです。
「ガラス市」の実行委員長に
岩澤さんは対外活動にも力を入れています。東京に出てくる同業者がいれば都下のメンバーに声をかけ、酒を酌み交わします。先日は「窯の調子が悪い」という他県の工場に足を運び、不具合を検証しました。
「もはやいがみ合っている場合ではありません。我々が助け合っていかないと、業界そのものがなくなってしまう」
おひざ元では先代のころに始まった「すみだガラス市」(一般社団法人東部硝子工業会主催)の実行委員長に就任しました。まったく売れない時期も粘り強く続け、現在では1万人規模のイベントに成長しました。
行政の後押しもありました。下町でつくられるガラスは「江戸硝子」の名で2002年に都、2014年に国の伝統工芸品に指定されました。
社員発のオリジナル商品も誕生
「化粧瓶もプラスチックやチューブに変わりました。ガラスが必要とされないプロダクトも増えたけれど、付加価値のあるものづくりができれば生き残る道はあると信じています」
岩澤さんの選んだ一本目の道はサステイナブル、そして二本目の道がオリジナルです。
リサイクルガラス事業に本腰を入れたのは2021年。自社の廃材のほか、自動車業界から仕入れた廃材を、タンブラーなどのガラス製品にアップサイクルしています。
ガラスならたとえ不良品が出てもまた溶かせばいいのでは、と考えるのは早計で、色の混ざったガラスは色が定まらないために取引先の注文に応えることができません。その廃棄量は岩澤硝子1社で年間ざっと70トンにのぼるといいます。
原材料が高騰しているときに、これはなんとももったいないと考えた岩澤さんは一計を案じ、その不確かさをリサイクルガラスゆえの個性として打ち出します。すると、数社がこの試みを面白がってくれ、取引が始まりました。
まだ売り上げの1割程度ながら、オリジナルにも注力していきたいといいます。その露払いを務めるのが、「Futatsuki」(フタツキ)。その名のとおり蓋のついた猪口型のカップで、ふたはソーサーや豆皿としても使えるという寸法です。
2024年にKITTE丸の内で開催したポップアップストアは盛況で幕を閉じました。自信を深めた岩澤さんは、年内中に本格展開したいと意気込んでいます。
「Futatsuki」はすみだモダンの取り組みの一環で、デザイナーと工場をマッチングするプロジェクト「すみだモダンフラッグシップ商品」にラインアップされます。
30代の社員が「挑戦したい」と声をあげて始まった企画だそうで、「じつはわたしが(商品企画に)まったく入っていないはじめての商品なんですよ」と目を細めました。