「大手まんぢゅうを育てて鍛える」 特化戦略の幅を広げた6代目のアイデア
広部憲太郎
(最終更新:)
「日本三大まんじゅう」の一つと称される岡山市の大手まんぢゅうは、岡山土産の定番です。製造元の大手饅頭伊部屋(いんべや)は1837年に創業し、たっぷりのあんこを薄皮で包む製法を守り続けています。創業家6代目で常務の大岸聡武さん(37)は、大手まんぢゅう味のソフトクリームの販売、カフェの開店、小豆の皮で染色したエコバッグの制作などを実現しました。大手まんぢゅうは売り上げの大半を占めますが、製造や販路の拡大には限界があります。一見、伝統から離れた大岸さんのアイデアは、できたての大手まんぢゅうとの「出会い」を増やすための特化戦略でした。
売り上げの9割を占める看板商品
大手饅頭伊部屋の本店は、岡山城下の風情を今も漂わせる地域にあります。2024年8月下旬に訪ねると、平日にもかかわらず、大手まんぢゅうを求める地元客が次々と訪れていました。
初代伊部屋永吉がこの地で創業。備前藩主らに愛され、まんじゅうの名前も岡山城大手門に由来します。最初は白い厚皮のまんじゅうでしたが、大正時代、あんこの比率を高め、備前米から作られた甘酒と小麦粉を混合して発酵させた薄い生地で包む形となりました。
直営3店のほか、駅や百貨店、空港などで岡山定番のお土産として定着。「薄皮饅頭」(福島県)、「志ほせ饅頭」(東京都)とともに「日本三大まんじゅう」と呼ばれています。
「朝作ったものは昼過ぎに温かい状態で店頭に並びます。賞味期限は1週間ですが、なるべくできたてを味わっていただきたいので、販路や生産個数を手広くすることはできないんです」
1個86円(税込み)の大手まんぢゅうが、売り上げ全体の9割超を占め、生産量が1千万個以上になる年もあります。大岸さんは「大手饅頭伊部屋という社名の通り、うちは和菓子屋ではなく饅頭屋なんです。他の和菓子の製造ノウハウはあまりなく、工場も大手まんぢゅうに特化した設備になっています」
まんじゅうにこだわり続けて187年。大岸さんも、その伝統とともに歩んできました。
穀粉メーカーでレシピ開発
大岸さんは子どものころ職住一体の環境で暮らし、店内で遊んでいました。代々続く饅頭屋だったため、むしろ他店の和菓子をもらったり食べたりする機会が少なく、もっぱら洋菓子やフルーツを味わいました。「色々な和菓子を食べて勉強したのは、家業に入ってからでした」
現社長の父豊和さんから継ぐように言われたことは一度もありませんが、地元の高校を出た後、東京の大学で経営を学びました。
「大学の友人も家業の後継ぎが多く、実家に帰省すると継ごうかなという話もしていました。父は32歳から社長を務めており、そのくらいには帰ろうと思っていました」
卒業後、菓子作りの上流を理解するため、東京の穀粉メーカーで働きました。菓子だけでなく、パンなども含めたレシピの開発や営業などを担当した後、2016年、家業に入りました。
「知りません」では通用しない
取締役からスタートした大岸さんは「父から特に指示はなく、社内でウロウロして仕事を探す状態でした」と振り返ります。実行したのは、百貨店や小豆の仕入れ先などとの付き合いを深め、自社の歴史を勉強することでした。
「私の歴史は30年ですが、後継ぎとして家業の180年を全て背負い、紡いでいくことが期待されます。若いから知りません、では通用しません。戦時中の空襲で家業の史料が手元になく、岡山城や周りの古い店の歴史も含めてたくさん勉強しました。取材の窓口になる機会も多く、聞かれそうなことは全部予習していました」
大手まんぢゅうは製造のキャパシティーに限界があり、基本的に売り場を急拡大する営業はしていません。
「作り置きができず、(時間が過ぎて)おいしくないものを提供してしまうと、次が無くなってしまいます。『冷凍して米国に輸出すれば売れる』といったオファーもありますが、それはあるべき姿ではありません。末永いお付き合いをしてもらえる商品にしないといけません」
拡大戦略に限界があるなか、大岸さんが考えたのは、土産物にとどまらずできたての味と「出会う」機会を増やす作戦でした。
ソフトクリーム発売の狙い
大岸さんがまず考えたのは、岡山市内の工場の店舗でオリジナルのソフトクリームを売ることでした。「ソフトクリーム目当てで訪れる家族連れなどに、できたての大手まんぢゅうを知ってもらうきっかけになったらと思いました」
試行錯誤を重ねて生みだしたのが、大手まんぢゅうに使うあんこと甘酒を、クリームに混ぜ込んだ商品でした。
「ソフトクリームに大手まんぢゅうを盛り付けるような商品は他でもできます。見た目はソフトクリームで、味は大手まんぢゅうという方向性が決まると、あんこや甘酒のバランスを調整し、一気に走り出しました」
2019年に発売を始めると評判を呼び、夏休みには工場に行列ができるようになりました。
美観地区にカフェをオープン
もう一つの仕掛けが2020年3月、倉敷市にある全国有数の観光地・美観地区に開いた「大手まんぢゅうカフェ」でした。
元々は、岡山市のコーヒー店「暮らしと珈琲」と、大手まんぢゅうに合う専用コーヒーを開発したのが始まりでした。そんなとき、美観地区で空き店舗が出たため、同店と共同でカフェを運営することを決めたのです。
「それまで美観地区で大手まんぢゅうを買える場所がありませんでした。ソフトクリームもコーヒーもあるので、物販も飲食もできると考えました」
一番の狙いは、美観地区に大手まんぢゅうの看板を出すことでした。「カフェがあれば、地元の人が美観地区を案内する際、大手まんぢゅうのことを伝えてくれます。岡山を扱う旅行雑誌は倉敷市がメインになることが多く、飲食店として紹介されることでメディア露出も倍になりました」
開店直後にコロナ禍が発生しましたが、結果的に給付金や補助金を活用し、安価に少しずつ設備を整えられたといいます。今ではカフェも人気の観光スポットになり、「私たちのマーケットが一気に広がりました」。
ソフトクリームもカフェも、あくまでできたての大手まんぢゅうにつなげるための戦略でした。社内からの表だった反対はなく、「ソフトクリームは以前から話がありましたし、美観地区での販売も長年の課題でした。私一人が騒いだのではなく、あくまで調整役を担った形です」。
大岸さんは「とっぴな事業はできないし、組織も製造と販売に無駄なく特化しています。それ以外の仕事ができるのは、余っている私しかいませんでした」と冗談めかしますが、家業の将来像を長い目で見られる後継ぎだからこその取り組みと言えます。
廃棄される皮で染めたエコバッグ
大手まんぢゅうに使われる小豆の皮は「食品ごみ」として、週に200~300キロ、廃棄されています。大岸さんは2020年12月、捨てられるはずだった小豆の皮で染めたピンク色のエコバッグを作り、クラウドファンディング(CF)で発売しました。
エシカルな取り組みには、生産者への強い思いがありました。
大岸さんは大学を出て就職するまで、小豆の仕入れ先である北海道士幌町の農家に住み込み、農作業に従事した経験があります。
「小豆は大雨が降れば色が流れ、商品として出荷できなくなります。農家の皆さんは収穫の何日も前から天気を気にして、収穫のタイミングを計っていました。傷がつき廃棄される小豆がたくさん積まれている様子も見ました。そうした姿に触れると、我々も小豆を一粒一粒、大事に使わなければと感じていました」
赤飯は小豆の煮汁で色を付けます。大岸さんはそれを応用し、自身で小豆の皮を煮て白いシャツに染色しました。「小豆そのもので染色するよりも、ほどよいピンク色になり、いけるのではと思いました」
エコバッグを選んだのは、レジ袋の有料化のタイミングと重なり、世間へのインパクトがあると考えたからでした。後継ぎ仲間で、倉敷市でデニムブランドを手がける「ITONAMI」に相談。同市の浦上染料店や県などの協力も得て、ピンク色のエコバッグが完成しました。
菓子業界は、全国的に小豆の収穫量が落ちているという切実な問題に直面しています。大手まんぢゅうのあんこは、士幌町産のエリモショウズという高品質な小豆を使っていますが、農協や農家にとって栽培するメリットが薄れれば、調達ルートを失いかねません。
「だからこそ産地との関係は大切にしなければいけません。『小豆を大切に使っています』という思いを、エコバッグに込めています」
士幌町のふるさと納税の返礼品には、大手まんぢゅうとエコバッグのセットもあり、産地との緊密な関係がうかがえます。
地元企業とのコラボを加速
地元企業とのコラボはさらに加速しています。
2022年からは、岡山県を代表する百貨店・天満屋と、敬老の日に合わせた「オリジナル包装紙」の企画を行っています。祖父母などの似顔絵を入れたオリジナル包装紙で包んだ大手まんぢゅうを、贈ることができるキャンペーンです。
「子どもたちが似顔絵を描いて、親世代が購入し、祖父母が食べる。3世代に広がる企画です。若い世代に大手まんぢゅうを売るのは大変ですが、祖父母の家で似顔絵を見ながら食べてもらえれば、将来も買ってもらえるかもしれません」
2023年末には岡山市の宮下酒造と手を組み、ビールの発酵に必要な糖分に大手まんぢゅうを用いたクラフトビールを開発し、CFで発売しました。「大手まんぢゅうファンの方が、甘いものを食べない人にもビールを贈ることができます」
いつかは「きびだんご超え」を
大岸さんは2、3年以内の事業承継を見据えて準備を進め、介護休暇や育児休暇の整備など就業規則の見直しにも着手しています。「私の子どもは3姉妹です。将来後を継ぐかもしれないと考えれば、女性が働きやすい環境も整えないといけません」
大手まんぢゅうを核にした経営は、今後も変えることはないと言います。「新商品に力を入れすぎると、本体がおろそかになる恐れがあります。歴史があっても消えるお菓子はたくさんあるなかで、我々は大手まんぢゅうを育てて鍛えていく道を選びました」
それは、現状維持ではありません。ソフトクリームやカフェ、エコバッグなど大手まんぢゅうとの「出会い」を広げ、磨き上げる企画には今後も注力していきます。
「岡山土産と言えばきびだんごですが、それが大手まんぢゅうになればいいと思っています。ネットによって、情報の壁も低くなっています。地元の人が推してくれる大手まんぢゅうが全国区になれるよう、地元のナンバーワンを目指したいです」
いつかは「きびだんご超え」を。小さなまんじゅうに、大岸さんの夢がぎっしりと詰まっています。