ユースキン製薬は1955年、薬局を営んでいた野渡さんの祖父・良清氏が瑞穂化学工業として創業しました。来店客からの「ベタつかずに効くハンドクリームはありませんか」という声に応えるため、ハンドクリーム「ユースキン」を開発。1968年に現社名となります。
3代目の野渡さんは幼いころ、祖父と3世代で同居していました。当時の家は顧客への手紙の発送やデータ入力、サンプリングの袋詰めを行う仕事場でもあり、野渡さんも作業を手伝ったそうです。
ユースキン製薬は身近な存在でしたが、「自分の人生は自分で決めたい」という思いから、大学時代は周りと同じく就職活動して大手ベビー用品メーカーに入社。海外の代理店との折衝や市場調査、プロモーションなどに携わりました。メーカーで働くうち、ユースキン製品にも少しずつ興味がわいたといいます。
「私の父の会社であることを知らず、『これ知ってる?すごくいいよ』とユースキン製薬のリップクリームをすすめてきた先輩がいました。さらにリップクリームのスティックが折れてしまったときのお客様相談室の電話対応が『とても良かった』と話してくれたのです。誇らしくうれしい気持ちになりました」
長男の野渡さんはそのころ後を継ぐか悩み、「父子ではセンシティブな会話を避けていた」といいます。そのとき、間に入ったのが当時の営業本部長でした。
「次の代の入社は企業が安定して運営するのに必要なこと。サポートするから安心して入ってほしい」。営業本部長の言葉に背中を押され、野渡さんは2013年、ユースキン製薬に一般社員として入社しました。
自ら手を挙げて富山工場へ
野渡さんは国内営業を経て、2年目からは海外営業部に異動。当時は台湾、中国、韓国などに展開していましたが赤字でした。前職で海外事業を経験した野渡さんは損益のデータをすべてチェックし、経費などを洗い出します。赤字の大きな原因は、為替による価格改定でした。
「円高になると現地は苦しいので、卸売価格を安くしていたのですが、円高が解消されても価格を見直していませんでした。為替が落ち着いた場合は価格を戻すようにルールを決め、3年くらいかけて対応しました」
海外事業を黒字化した野渡さんは、2016年から富山工場に移り、原材料や資材の購買を担当するマネジャー職を務めます。富山工場は横浜から移転したばかりで、異動は自ら希望しました。
「富山への工場移転は3年前からアナウンスしていましたが、移住を伴うため多くの従業員が辞めてしまい、ショックでした。工場移転は大きな投資なので、自分が行くことで覚悟を示すという気持ちでした」
社内ブランディングに注力
工場の後は早稲田大学大学院で経営学修士(MBA)を取り、大阪で西日本エリアの営業を経験。2022年、本社の企画部長となり、PRや広告、プロモーション、製品のリブランディングに着手しました。
野渡さんが意識したのは社内ブランディングです。「社外へのプロモーションが広まっていなかったり、他部署の活動を知らなかったり。社内でのコミュニケーションに課題があると感じました」
まず着手したのは社内報の改善です。「どんな記事が読まれ、何を知りたいのかをアンケートし、より興味が持てる内容に変えました」
営業や工場などを渡り歩いた経験を生かし、部署間の壁を取り払うコミュニケーションも心がけました。
「それまでは部門をまたぐ施策の場合、それぞれの上司に断りを入れるなど、コミュニケーションが重荷になっているのではと思いました。従業員から提案があれば、部署をまたいだミーティングをすぐに設置するように変えました」
エシカル販売をスピードアップ
企画部は2022年、廃棄ロスの削減を目指し、「yuskin×ethical」 (ユースキン・エシカル)も始めました。
手荒れ対策製品の需要はその年の気温に左右されるため、返品が発生しがちです。ユースキン・エシカルは使用期限まで12カ月を切ったり、パッケージに傷や汚れはあるものの未開封で品質に問題がない製品を、廃棄せずに自社ECを中心にアウトレット販売をするサービスになります。
以前からの取り組みですが、野渡さんが勢いづけました。「部門をまたがる取り組みで、商品を出すまでに時間がかかる面がありました。私が入ってOKを出すことでスピード感を早めました」
エシカル販売の規模は拡大し、廃棄削減数は累計で約3万5千個(2024年5月末時点)にのぼります。
有料コンテンツを提供する目的
ユーザー向けのブランディングにも、野渡さんの思いや戦略が表れています。肌の仕組みを学び、乳化の実験を体験できる親子向けイベント「夏休みこども実験室」もその一つです
以前は無料でしたが、2023年から1人千円の有料イベントに。付加価値を出すため社内見学を組み込み、スキンケアセットと自由研究に使える資料をお土産につけました。
初年度は36組の定員に対し、5倍の180組の応募がありました。「何でも無料提供するのではなく、お客さまからお金をいただき、その価値に見合ったものが提供できるよう全力を尽くすのが大切です。従業員にも、自分たちのコンテンツはお金をいただける価値があることを実感してもらいたいと思いました」
プロ麻雀チームをスポンサード
野渡さんはユニークなブランディングも進めています。代表例が、2023年から始めたプロ麻雀Mリーグのチーム「セガサミーフェニックス」へのスポンサードです。
「元々、Mリーグのファン」(野渡さん)ですが、スポンサーになった理由はそれだけではありません。「競技麻雀は顔よりも手元がカメラに映ります。女性はマニキュアなどできれいにして、男性も気を使っています。ユースキンとの親和性がありました」
Mリーグのコアファンは中高年男性で、ユースキンの購入層としては1割ほどに過ぎません。しかし、積年の課題に解決の糸口が見え始めました。
ユニホームにロゴを付けて露出を高め、SNSで選手への応援コメントを送ったユーザーに抽選でユースキン製品をプレゼントするキャンペーンを実施。応募者はほぼ男性でした。「推し」の選手が勧めるユースキン製品を買う男性ファンも出るなど、成果は着実に表れているといいます。
Jリーグの「応援だより」を自ら執筆
野渡さんはJリーグ「カターレ富山」のスポンサードにも、熱を入れています。富山工場から生まれた縁からですが、社内コミュニケーションにもつながっています。
試合会場では毎月、エシカル製品をサポーターに販売し、売り上げをチームに寄付しています。販売ブースに立つのは富山工場の従業員で、野渡さんも毎回レジ打ちなどを担当しています。
工場の従業員は基本的にエンドユーザーとの接点はありません。しかし、サポーターから意見や感謝の声を聞くことで、気づきやモチベーションにつながります。
薬局をルーツとするユースキン製薬の原点は、一人ひとりの消費者と接することです。そうした思いを製造現場に感じてほしい、という野渡さんの思いがあります。
社内では毎週、カターレ富山の「応援だより」も発行しています。野渡さん自ら詳細な試合レビューを書き、サポーターのアンケートの報告、相手チームの紹介まで熱がこもった内容です。
「どのような目的で地域貢献活動をしているか、従業員に理解してもらうことが重要です。応援だよりは報告書代わりだと思っています」
「応援だより」はサポーターの間で話題となり、現在はカターレ富山の公式X(旧ツイッター)にも転載されています。
カターレ富山は2024年のJ2昇格プレーオフを制し、2025年は11年ぶりにJ2で戦います。ユースキン製薬の支援も後押しとなりました。
ユースキン製薬には、大手のようにテレビCMなどを出す予算はありません。MリーグやJリーグのチームへのスポンサードは、地に足をつけたファンづくりの一環です。
「祖父も父もお客さまにサンプルを配り、良さを実感してもらうことでリピーターを増やしました。自分も何億円を使ってCMを打つつもりはありません。どうしたらファンになって長く買い続けていただけるかを考えた結果、こうしたプロモーションにつながっています」
親子愛の製品秘話を発信
ユースキンのハンドクリームは、祖父の薬局を訪ねた一人の女性客からの「手荒れをなんとかしたい」という声から生まれました。
「従業員はほぼ全員、そのエピソードを話せるほど浸透しています。ただ、定番製品以外は、そうしたストーリーが弱い部分がありました」
2024年8月にリブランディングした敏感肌用の「ユースキン シソラ」では、ストーリー性を意識したプロモ-ションを展開しました。30年以上の歴史がある製品ですが、ユースキン製薬の公式noteで開発秘話を公開したのです。
開発のきっかけは、野渡さんが幼いころにアトピー性症候群を患ったことでした。心を痛めた先代が、しその葉のエキスがアレルギー症状を軽減するという論文に出会い、1993年にシソラの原型となるシソエキス配合のクリームを発売しました。
野渡さんは「記憶にはありませんが、写真を見ると肌が真っ赤でした。母も『我が子でなければ抱っこをためらうくらいだった』と言うほどひどく、両親とも何とかしてあげたいという思いが強かったそうです」
親子愛から生まれた製品であることも、社内では知られていませんでした。noteでは野渡さん父子へのインタビュー形式で、アトピーで顔を真っ赤にした野渡さんの写真も載せ、シソラの開発秘話や効能を伝えました。
「敏感肌用の低刺激な製品というありきたりなことしか言えないと、シソラの魅力は伝わりません。まずは社内にストーリーを伝え、社外にも発信することで、敏感肌に悩む方の共感も増えると考えています」
2024年10月、野渡さんは3代目社長に就任しました。
「売り上げなどの数値目標は持っていません。創業の原点は1人のお客さまの声にあります。目の前の一人に満足していただける製品を送り出す姿勢は不変です」
ユースキンブランドを守り、社内外に広めるストーリーテラーとして、新社長の挑戦は続きます。