家業に入ったころ、見積書を持って訪れた取引先で、石川さんは厳しい言葉を突きつけられました。化粧は濃いめ、きれいな縦巻きにセットした髪にネイルもバッチリ決めた彼女を、誰も本気で相手にしてくれませんでした。
「学生のころは会社を継ぐ気はなく、玉の輿に乗って専業主婦になりたいと思っていたんです」。そんな彼女は、高齢の父が経営する会社の危機を知り、26歳で電気工事の世界に足を踏み入れました。
2013年に30歳で3代目社長に就任。「バリバリ働くキャリアウーマンにあこがれていたから、社長という肩書が魅力的でした」と笑い、自身を「経営もわからないキラキラ女子だった」と振り返ります。
現在は就任12期目。2023年度の売り上げは3.3億円、従業員の平均年齢は31.5歳と若返り、経営基盤を安定させました。少子高齢化による若手の人材不足や長時間労働が課題の建設業で、育成を軸に独自の経営モデルを築き、新風を吹き込んでいます。
東陽電気工事は1933年、東京に本社を置く東光電気工事の白河出張所として始まり、1965年に株式会社化しました。公共・民間の電気設備工事、送電線の設置やメンテナンスなど幅広い実績を誇り、福島県白河市周辺の地域インフラを支えてきました。
東陽電気工事は長年、地域インフラを支えています
三女の石川さんは父が48歳のときの子で、年の離れた姉が2人います。父は中学生のころから創業者の祖父を手伝い、苦労人でした。仕事の話は家に一切持ち帰らず、幼いころの石川さんが事業内容を知る機会はほぼなかったそうです。
一方、専業主婦として家庭を支えていた母は「とりあえずやってみたら?」が口ぐせ。失敗を恐れずチャレンジできる環境で育った彼女は、自由にやりたいことを謳歌して成長しました。大学では心理学を専攻し、カウンセラーを目指すも就職は狭き門で挫折。卒業後はUターンし、福島県郡山市で塾講師を4年間務めました。
石川さんは週一度は実家へ帰り、縁側で父と話をしたそうです。70代になった父は、家族の前で経営の不安を漏らすことはありませんでしたが、姉は家業を継ぐ気はなく、第三者承継も難しかったため「会社を畳むしかない」と思っていたようです。
「それなら私がやってみたい!」。後継に名乗りを上げたのが、当時26歳の石川さんでした。電気工事業に女性が入りにくい雰囲気であることは考えもせず、「社長ってかっこいい!」という好奇心で飛び込みました。
自ら作業にあたる石川さん(東陽電気工事提供)
入社して見えてきた課題
石川さんは2010年に入社。一部の従業員には歓迎されたものの、大半は無反応でした。「何しに来たんだという雰囲気で、口も聞いてくれず、目も合わせてくれませんでした。知識も資格もない、なのに化粧とネイルはバッチリ決めていたので、当然かもしれません」
クライアントからは見積書を突き返され、必死に仕事を覚えても認めてもらえない日々が続き、石川さんは「何をしたら人に話を聞いてもらえるようになるか」を考えたそうです。専門知識を身につけようと、猛勉強で電気工事士資格の第二種、第一種を取得。そこから周囲の目も変わったといいます。
若手従業員と談笑する石川さん(右)
経験を重ねるにつれて見えてきたこともありました。有給休暇を取りにくい風土や年功序列の給与体系で従業員のモチベーションが上がらず、加えて小さな会社ながらも派閥があり、円滑なコミュニケーションが取れませんでした。
社内改革をしなければ未来はないと直感した石川さんは、ボトムアップ経営を目指しました。そのころは、長い間トップダウン経営を続けてきた父との口論も絶えなかったといいます。「月曜日に出社するのが楽しみになるくらい、やりがいのある環境にしたかったんです」
2013年、父から経営権を引き継いで社長となり、社内改革を進めました。
離職が続いても心は折れず
石川さんは年功序列から人事評価制度に基づいた給与体系に変更し、就業規則も改定しました。しかし、世代交代の2年後には、「ついていけない」「俺は先代派だから」と、不満を持った従業員の大半が辞めてしまいます。
過度のストレスから全く声が出なくなることもありましたが、不思議と心が折れませんでした。「ここから息を吹き返したら、かっこいいじゃないですか」
とはいえ、建設業界の経営者は60〜70代の男性が中心で、経験が少ない女性社長の石川さんは孤立。業界の集まりでも、経営者同士の会話に入れませんでした。彼らと同じ土俵に立つには経験値を上げるしかありません。時間の差は埋められないので、経営の専門知識を短期間で身につける方法を探したといいます。
そこで石川さんは2015年、東京の大学院に入学。200~250社の創業ストーリーや経営状況を読み解いて、判断力を学びました。
平日は仕事で土日に東京へ通学。課題やレポート作成に追われ、睡眠時間は1日3時間。通学期間には出産も挟み、2年半かけて経営学修士(MBA)を取得しました。「まだ経営をすべて理解できたわけではありませんが、やりきったことで自信がつき、そこからは全速力で社内改革に踏み切れました」
採用を強化しても定着せず
まともに同業者と戦っても勝ち目はないと考えた石川さんは、業界の人材不足に着目し、採用を強化しました。
もちろん就任後から採用に力を入れてきました。企業説明会への参加、高校への求人票提出、新聞折り込み、求人サイトへの登録などを試行。中でも求人サイトからは年100人が応募し、5人ほどを採用。しかし、結果的には全員辞めてしまいました。石川さんは、人材が定着しないのは社内に人を育てる人材が整っていないからと気づきました。
しかし建設業は、残業規制の厳格化や土日の仕事を制限される流れが進み、限られた現場作業で、育成に割く時間を確保するのが難しいという課題がありました。
そこで、自社に研修棟を作る決断を下します。きっかけは、パートナー企業である東光電気工事の研修施設に従業員を送り込んだことでした。
「研修を受けさせるだけでなく、その前後に自社できちんと指導するのが理想だと思いました。職人育成には、5~10年はかかると言われます。けれど『見て覚えろ』という昔ながらのやり方ではなく、自社で技術と知識をしっかり教え込むことで、早期に現場に送り込めると考えたのです」
公共事業が主力の東陽電気工事は、4月~6月が閑散期になります。売り上げは立ちませんが、職人たちが手を止めて仕事を教えるのに適したタイミングです。石川さんは振り切って、閑散期を従業員育成の期間にあてようと考えました。
敷地内の一角に建てた研修棟。研修室のほか貸しスペースもあり、ワークショップもできます(東陽電気工事提供)
電柱や配線設備も備えた研修棟に
2021年8月、融資を受け、2階建ての研修棟(延べ床面積約70平方メートル)を立ち上げました。研修棟を新たに作るほど業績が良かったわけではなく、リスクを伴いましたが、石川さんには人材育成への強い覚悟がありました。
「現場では時間の制約があり、失敗は許されません。うちのような小さな会社が研修棟を持つのはまれかもしれませんが、若い世代が安心して失敗できる環境を作りたかったんです。現場と区別された安全な学習環境があれば、じっくり技術を教えられます」
研修棟の1階から2階に突き抜ける形で電柱を設置しました(画像の一部を加工しています)
建物内には、電柱や信号機、ケーブルラックといった様々な設備があります。昇柱や天井墨出し、間仕切り配管なども用意。基礎から実践的な技術まで学べる教育設備を整えました。
研修棟では、新入社員にまず1カ月間の新人研修をします。壁天井墨出しから天井内配線、電柱昇降、ケーブルラック配線、分電盤結線などの電気工事の知識や技術、マナーを自社の職人がひと通り教え込みます。すると、早期から新人を現場に送り込めるようになり一定の成果が得られました。
石川さんは自社のみで研修棟を使うのはもったいないと考え、試しに講師付きの研修パックとして有料で受け入れました。
すると県内同業者が初年度から利用し、口コミから2024年は4社を受け入れました。「もともと業界の横のつながりを強化したいと考えていたので、思わぬ効果が出た形です」
研修の様子(東陽電気工事提供)
研修棟の効果はそれだけではありません。採用コストをかけずとも人材が集まるようになり、研修制度がしっかり備わっているという安心感から、地元の工業高校の定期的な応募が舞い込むようになりました。
戦力化を早めて業績アップ
石川さんが社長に就任した1年目は業績がよかったものの、その後は右肩下がりでした。しかし教育体制を整えた結果、現場に出るまでに約1年かかっていたのが3カ月になり、若手の即戦力化で施工件数も増えました。その結果、2023年度の業績が就任1年目よりも伸びたといいます。
石川さん自身、「キラキラ女子」から社長に就任したころは、周りに完璧を求めすぎていたと振り返ります。
「結局、会社の雰囲気が悪いのは自分のせいだったんです。自分自身が変われたのは、娘を出産した経験が大きかったと思います。子育てはコントロールできないことの連続で、柔軟になることを覚えました」
「経営者として人を育てるということは、成長を見守り、失敗しても待つこと。根気が必要ですが、組織強化で必要なのはやっぱり『人』です。私自身がチャレンジさせてもらえる環境で育ってきたので、若い子たちには『失敗しても大丈夫』と思える環境を提供していきたいです」
人材育成を柱に100周年へ
東陽電気工事では月1回、従業員の家族向けにニュースレターを発行しています。それは、家族のサポートも大切にしたいという思いからです。従業員全員が持ち回りで書いた内容を、石川さんがパワーポイントでまとめ、印刷しています。
「若い世代は家族との時間が少なかったり、熟練の職人も家で仕事の話をしない人もいます。私も子ども時代に父から仕事の話をもっと聞きたかったんですよね。だからこそ、ご家族向けの広報誌を作って、直接郵送しています」
従業員の家族向けのニュースレター
石川さんは小学生の娘にも積極的に仕事の話をしているといいます。母の仕事に興味を持った努力家の娘は、従業員の協力を得ながら毎日勉強を重ね、第二種電気工事の試験に合格したそうです。
「(9年後の)100周年に向けて考えているのは、若い世代の育成です。業界全体の人材育成を事業の柱に据えたいと考えています。若手の育成をしながら、引退する職人の受け皿にもなりたいです」
人材育成を軸とした新しい経営モデルは、建設業の未来を切り開くかもしれません。技術と志をつなげるため、石川さんは次世代に向けて動き始めています。